生きているのが面倒くさくて仕方がない。脳出血からの左半身麻痺を抱えて、

自由に動かない体をどうにかこうにか駆使せんと苦労して、やらねばならないことを

こなしているのだが、不自由な体が面倒で仕方がない。身体障碍者となって17年目に入るが、どのくらい経っても、この体を受け入れることができず、慣れることもない。

遣りたいことも遣らねばならないならないことも沢山ある。心と体のバランスの悪さに、辟易してそのうち「もう生きていたくない」と抑うつ的になるのは何時ものことである。

生きていたくない一日を生きるのはどうってことない。だが、生きていたくない何もできない日々の積み重ねは、逃げ出したくなるほど辛くなってくる。

 だが面倒くさかろうが、生きていきたくなかろうが、生きねばならいのが人間である。自死は、周りの人を愛する人を傷つける。自死してしまうのは、おそらく一瞬狂気に陥るからであろうと思われる。

 私は家族を愛しているし、彼らの心に傷を残すことは望まない。

 私が初めて自死を意識したのが、思春期の頃で、それから60年近く生きているので、これから先もどんなに苦しくとも私に狂気の瞬間は訪れない気がする。

 有難くもなく、人生百年と言われるこの時代である。百まで生きるとすればまだ三十年ほどあるではないか。生きていくのが面倒くさくても、生きて行かねばならないのである。それなら、自分がわくわくできることを探すしかないではないか。

 プランターガーデニングは、身体機能の限界を感じ、止めて三年ほどになる。身体機能は加齢とともに落ちてくるのである。

 週一程の頻度で観ていた映画にも行けなくなった。シニアカーでイオンシネマまで行っていたが、電動車椅子がないと館内も歩けなくなり、これからは、介護タクシーを呼んで、車椅子ごと乗せて行ってもらおうかと思案中である。公開が始まった「ゴールデンカムイ」をなんとしてもみにいきたいのだが・・・。

 落ちた身体能力で、できることを楽しもう。お花は、近くのフラワーアレンジメント教室へ月に1回、先月から通い始めた。枯れた花を抜き、新たにお花を買い足して、次の教室まで持たせるよう楽しんでいる。オアシスへの水やりは毎日必要です。面倒くさいと言ってられません、命が相手ですから・・。

 百歳まで続けられる何かを見つけないといけませんから、NHKの俳句教室参加を始めました。テキストを購入して、講座を録画して見始めた。今日は、投句のハガキを2枚出してきた。箸にも棒にもかからなくても、続けるのが肝心かと思っている。

 久々にブログを開いたのも、面倒くさかろうが、何か楽しみを見つけて生きていきたいからである。他の方のように、自分のアレンジしたお花の写真など、貼れるようになると面白いのだろうが、やり方が分かりません。やってみれば意外と簡単かもですね。スマホとパソコンはどうやってつなぐ?パソコンへ写真を取り込めたら簡単ですよねキット。