昨日、93才のおばあちゃんに急病発生。

入居中のグループホームの訪問医の看護師さんよりテルあり、

救急車を呼ぶのでホームまで来てほしいとのことだった。

孫が電話を取ってしまったので、お嫁ちゃんが代わったが、直ぐに私に代わりますと応えていた。

救急搬送が必要なので、娘さんにでも来てもらいたいのですが・・・。とのこと。

我が家で、動けるのは、アラ古希で半身麻痺の私しかいません。

どのくらいで来られますかとのこと。

タクシーに乗れば、15分で行けます。

お嫁ちゃんが、タクシーの配車依頼をすると、空きがなくて、

30分待ちとのこと。

「それならシニアカーで行くから大丈夫」

待ち時間の間に着くはず。だが、夜に走るのは避けたい。

駅まで行って、着待ちしているタクシーがいないか確認。

居ました。どうにか、救急車の高いステップを乗り越えて、乗車。

搬送先が見つかったのは、15分後くらい。

救急室に入ってからの待ち時間が長い。

コロナでホームでの面会ができず、やっと顔を見られたのが、救急室とは情けない限りでした。

検査後のドクターからの説明の時にお顔を見ましたが、ばあちゃんは話す元気なし。

ただ、私であることは認識してもらえて、

「こんな遅くに・・・」と。

診断は尿管結石で、石で、尿をブロックされているので、

溜まった尿を出してやるためのステントを入れるために系列の病院へ転院するとの説明でした。

今日は、転院の連絡待ちでしたが、なかなか連絡がなく、

こちらから連絡すると、主治医から病状説明の電話を掛けますとのこと。その電話が3時間も待ってやっとありました。

電話待ちのために携帯をそばに置いて、朝から私は何もできず。

熱が下がって、感染症状が治まっているので、ステントは入れずに様子を見るとのこと。

納得がいきません。

「石が動く可能性がありますか?」

「これだけ大きければ、ありませんね」

「石で堰き止めら溜まっていくいくおしっこは、どこかに流れますか?」

流れていく場所がなく、感染を繰り返すだろうと心配して訊く。

「流れませんね」

「そうですか・・・」

「感染が収まったら石を砕く治療治療ができます。全身麻酔にいなりますが、希望しますか?」

「はい、是非にお願いします」

予期せぬ事態が起こった時の延命治療の意思確認を受け、希望しないと伝えてあります。

しかし、これは、延命治療ではない。

発生した病気に対する、必要な治療です。

延命治療を受けないというのは、認知症になる前のおばあちゃんの希望でもあります。

いかし、この状況で高齢だから、しないというのは、見殺しです。

全身麻酔によるリスクはあります。

高齢者に全身麻酔は堪えます。

しかし、それで、やらないという選択は、やらずに命を諦めることになります。

「先生、よろしくお願いします。今度の山も越えさせてください」

「分りました」と先生。

手術の段取りが決まったら、明日か明後日か、転院します。とのことだったが、電話を切った後少ししてまた電話があった。

手術の前に先にステントを入れますとのこと。

転院してそのまま、ステントの手術をしますとのこと。

そりゃそうだろうと私は安心する。

明日か明後日、来られますかとのこと。

「はい、何処へでもタクシーで行きます」

転院すれば、私はそのまま手術の待機になります。

時間も体力もしばらくは、ばあちゃんの病気対応に持って行かれそうです。

半身麻痺のアラ古希ばあばは、元嫁です。昨日の書類には、義娘と書きました。

看護師さんに家族構成を確認され、住民票は、ばあちゃんもツレも別世帯ですが、離婚した高次脳機能障害のツレも、認知症のおばあちゃん・元姑も私が見ていますって、答えると「大変ですね」って、

同情されました。

「それが意外と大変じゃないんです。

こんなの大変なうちに入りませんよ」

私の脳裏にあったのは、

映画『ロストケア』で観た厳しい介護の現実だった。

タクシーはばあちゃんのお金で乗り放題だ。

病院だろうと、ホームだろうと、いくらでも行けます。

身体の動く限り、息子夫婦まで、お世話かけないように動くのが

ばあばの残された命の使い道ですから・・・。