我が家の家族構成は、狭い家に、2世帯が暮らしていて、高次脳機能障害のツレの一人世帯と、息子の家族に私が扶養されている形の母親と同居の息子世帯です。しかし、息子夫婦にしてみれば、要介護の両親と同居しているということになります。

 もともと、DVなツレでしたが、私が半身麻痺になってから受けるモラハラに我慢すべきではないと決意して、離婚したのですが60歳を目の前にしてのことでした。ここで別居できなかったのは、経済的な理由でした。自宅が共同名義で、まだ住宅ローンを払っていたのです。ツレは定年前だというのに会社に行かなくなり、経済的には完全に私に依存していました。ローンが残っていますし、その返済管理を私がしていましたので、私は半身麻痺の身でまだ働いていました。お小遣いまでツレに渡していた記憶はありませんので、この頃ツレは年金をもらえるようになるまで、おばあちゃんにお小遣いをもらっていたのかもしれません。

 離婚したのに同居のままであることを恥じながら、私が息子に報告すると、

「いいんじゃない。僕もその方が助かるし」と、言ってくれました。

「助かる?」

「親父の所へ、様子見に行くのも大変だから・・。親父一人暮らしするとホームレスみたいになるやろし・・」

そのころまだ元気なツレでしたが、息子は父親を、

「親父は屋根付きの家に住むホームレスだ」と、その暮らしぶりを評価していました。

 この時、私には不要になったツレでしたが、この子には、様子を見に行ってやらねばならない大事な親なんだと、認識しました。

こんな親でも見捨てられないんだと・・・。結局私も見捨てられずに同居を選択したのですけどね。

 息子は結婚し、2年が経つ頃のある日のツレのモラハラは、暴力にまで及び、恐怖を感じた私は、近くの交番へ電話をかけSOSを出しました。110番ではありません。地域巡回に来ていて、一軒一軒に置いて行ってくれた交番の電話番号が電話のそばにあったのです。

 警察官が2名できてくれました。事情を把握した警察官は、被害届は出さない方がいいでしょうとアドバイスしてくれまして、私は了解しましたが、そのままは帰られないようで、息子夫婦の所へ連絡が行き、お嫁さんが、一緒にいてくれるのを確認して帰っていきました。私は、「もうお父さんとは一緒に暮らせない」と息子に訴えました。ツレが家を出ていくことを了承するはずもなく、私はどこかで一人暮らしするしかないと覚悟を決めました。

 自分が家を出て行くのに、家のローンと自分の家の家賃を払う覚悟です。悔しこと限りなかったのですが、債務者であるツレがローンを払えなければ、連帯保証人である自分の所へ請求が来るわけで、おん出ていく家のローンを払う覚悟でした。ツレは、結婚した時から、家族の暮らしの心配を一度もしてくれたことがなく、家計は私が支えてきましたので、当然の覚悟でした。

 其れまで息子に金銭的なことを一度も話したことはありませんでしたが、その時に、愚痴ったのではないかと思います。息子は、自分たちが賃貸している所が契約更新で、家賃が上がるので、母と一緒に住めそうなところを探すから、それまで待ってと言ってくれました。息子夫婦は10万円の家賃を払っていて、それ以上の支払いを覚悟していたのですが、適当な物件を見つけられず、同居してくれることになったのです。

 それから10年、いろんなことがありました。ツレは、飲酒からの肝硬変で死にかけ、入院で持ち直すと、酒を止めて、小ざっぱりするようになり、自室でのホームレス生活を止めました。ツレの入院中に、ツレの使っていた、ベッドからから布団から全部捨てて、別のものを用意しておきまして、ツレに柴犬をプレゼントしました。

 その後ツレは脳梗塞を起こし、てんかん発作を起こし、高次脳機能障害で認知力が落ち、ろくに話せない人となりまして、完全に家族のサポートなしでは暮らせない人となりました。転倒骨折で入院手術もしました。ものが言えないので、モロハラもなく静かでいいです。歩行も不安定になりましたから,DVを振るう力ももうありません。

 ツレは毎日犬の散歩と自分の買い物に行きます。犬に餌をやり、買ってきたものを黙々と食べて、淡々と同じ日々を繰り返しています。私も自分のことはどうにか自分でできます。それでも息子夫婦にしてみれば、アラ古希の半身麻痺と、高次脳機能障害の要介護者で、見守りの必要な二親です。

 自営業の息子の出勤時間は朝は9時半ごろの出勤で、夜は10時過ぎの帰宅です。

 遅寝遅起きの私は、息子の「いってきます」に、ベッドの中から、「行ってらっしゃい」と、声を出します。元気ですよの朝の挨拶です。起きているときには玄関まで出ます。

数日前、朝食で、リビングにいますと、なんと息子は、リビングのドアを開けて、正面のソファに座っているツレに向かって、「いってきます」と言っているのでした。ツレは、手を振っています。

 「ああ~、息子の行ってきますは、親の安否確認だったのか」と、私は知った訳です。帰宅したときも必ず、リビングのドアを開け、私の顔を見て、

「ただいま」と、言いますしね。

意識してか無意識下でか、息子の安否確認だったんですね。同居しているとはいえ、それがなければ、顔を合わせることがないですからね。我が子ながら良くできた子です。

 私にはいつもとても厳しいのですけれどね。これで良しですね。

同居していてくれるだけで、感謝なのです。

 ちなみに、住宅ローンは終わって、家賃はもらわなくてよくなりましたが、息子夫婦は、まだウン万円も渡してくれています。 

 ディケアの仲間には、一人暮らしの人が沢山いて、娘と暮らすのさえ嫌がり、一人が気楽でいいと言いますが、私は同居が大変だとか、嫌だとか思ったことは一度もありません。一緒にいてくれるだけで安心なんです。いつも元気か気にかけてくれる人がそばにいるのは、ありがたいことです。同居も、それ以外を期待しなければ気楽なものです。腕白な孫が一緒だと、声を出して笑うことも多い日々です。一人暮らしではそうもいきませんでしょう。

 老いては子に従えですが、その上で、私は自分の好きなことをして暮らしています。明日は、息子の定休日で、夕食は〇ちゃんの好きな蔵ポンを楽しむべく、くら寿司です。支払いはいつでもばあばです。沢山貰っていますからね。この家計の形、平和でいいですよ。夕食まで、私は一人で映画です。ばあばが一人遊びできていれば、息子夫婦も安心というものです。