半身麻痺になった私の唯一できることが、食事を作ることだったのですが、突然噴火したお嫁さんに

戦力外通告され、賄いばあさんを止めて、もう三月になります。

 古希の私は、あと十年、八十歳までは賄いばあさんを生き甲斐に、頑張れるだろうと思っていたのですが、あえなく溶岩に吹き飛ばされてしまいました。それから二月程経って、「週に一度は一緒にご飯を食べない?母が作って」と、息子に提案され、木曜日だけ作っています。そうして一月ですが、息子の家族はもう同居しているという感じはしません。彼らはお二階さんで、毎日お風呂の前に孫を連れて、遊びに来てくれるという感じです。

 夫婦のどちらが言い出した提案かわかりませんが、週一の料理は、私の半身麻痺の体と老いて行く頭のリハビリのためで、私のことを考えてくれてのことだろうということは、分かります。有難いことです。老いては子に従えと言いますしね。

 買い物も、木曜日の週一回になりました。その日のメニューの食材の他、自分の一週間分の食料を買います。メニューン7に必要なものを探すのではなく、食材を見歩いて、食べたいもの食べさせたいものに出会ったら購入して、メニューを考えるというのが、私の買い物パターンで、そのメニューのための不足材料は後日買い足すという行動パターンでした。一回の買い物が、5・6・7千円になるのは、いつものことでした。冷蔵庫には、家族4人の一週間分くらいのメニュー材料が入っていたのです。今それをすると大変なことになります。先週の木曜日は、赤ワインでステーキ用の肉を使って、ビーフシチューをすでに煮込んでいました。あとは、シチューの時には欠かせないバケットを買えばよかっただけなのですが、やってしまいました。

 スーパーに入って、真っ先に目に飛び込んできたのが、立派なフキの束でした。

「ああ~、春なんだね。100円は安い。買わない手はない」

 半身麻痺は人それぞれで、私の場合は、足の方はましで、杖歩行が可能だが、麻痺側の手は全く動かないのです。蕗の下処理は難関です。それでも春を食した思いが先だって、真っ先にかごに入れてしまいました。

きれいな山積の大根を見れば、ぶり大根か?豚ばら大根か?と思う。クリーミーと書いてある酒粕を見れば、今年はまだ、娘にかす汁を作って送ってやってなかったと思う。

で、ついにかごいっぱいの買い物になってしまいました。

 で、只今食材を腐らせないようにするために四苦八苦中です。

 まずは蕗のあく抜きの下茹で、たっぷりのお湯につからせて、火が通るまでゆでます。ゆであがったら、水につけて置き、筋を取ります。片手の至難の業がここです。椅子に座って、テーブルの上で焦らずにやります。動かない麻痺の手に蕗を差し込んで、筋を剥いていきます。膝の上にぼたぼたと水が零れるので、タオルを引いてやりました。

時間がかかることを諦めて、のんびりやってクリアです。あとは簡単。だし汁で、蕗とお揚げさんをコトコト炊くだけですから。

 一人で食べる春の初物は、ちょっぴり悲しかったです。お二階さんにどうですかと、お裾分けしたかったのですが、遠慮しました。また、断られるのが悲しいからやめました。昨日、冷凍しておいて、本日娘のとこへ送る母の手作り冷凍食品の中に加えました。

 また今晩も一人で食べます。春なのに、おいしいと言ってくれる人のいない、蕗の煮つけは、しっかりあく抜きして上手に炊けたのに、ほろ苦い蕗のとうを思い起こさせました。

 故郷の秋田では、春になると、野山や、家の周りのあちらこちらで、蕗のとうが、雪を割って、芽吹くのです。食べられると聞いたことはありますが、食べる人はいませんでした。食べるのは蕗になってからです。雪が解け、野山で蕗のとうが花開く頃に、お店では、あく抜きした蕗を水に浸けて売っていました。お手伝いに筋を剥きました。母は、鍋いっぱいの蕗を炊いていました。

 私は今、一束の蕗を炊いて、持て余し気味ですが、春を一人で炊いて食べられた。週一、料理を担当させてくれた息子夫婦に感謝です。お陰様で、食べたい春に出会えました。