ツレは私と同学年だが。早生まれの一つ下の現在69歳の頑固爺である。今年は大変だった。5月に脳梗塞を起こし、救急搬送で入院。7月に後遺症のてんかん発作で救急入院。高次脳機能障害となり、それがてんかん発作を起こしては悪化する。離婚した元夫なのに、同じ家に住んでいる縁で、私はその都度救急車に乗り、退院後の受診に付き添い、実に良く面倒を見たと自負している。半身麻痺の体でよく頑張ったと思う。9月に家の中で転倒骨折。手術とリハビリで、一週間前に退院してきたところだ。

 ツレが言うことを聞いて穏やかに過ごしてくれたのは、三日間だけだった。

 今回の退院にあたって、自力歩行できるが、麻痺側の半身無視があり、右側によって行きぶっつかっても平気で、歩行時は見守りが必要だと言われていた。高次の機能障害で、本人が自覚するほど、記憶と理解力が落ちており、分らないことがあってうまくいかないとパニックになって、怒りだすので、家で暮らすにも常時見守りが必要だというのが、ケアマネさんと私の共通認識だった。

 おばあちゃんの入居しているグループホームに空きがあって、自宅よりホームの方が安全に暮らせると考えて、申し込みはしたが、本人の帰宅要求が強いのでまずは家に帰ってもらうことにした。

 半身麻痺の私がツレの面倒を看るのかと、暗澹たる思いだったが、退院の3日ほど前に啓示が降りるように決心が降りて来た。「私が面倒見ればいいじゃないか。嫁さんにご飯づくりも解雇されたことだし、ツレのためにご飯を作ってやれということかもしれない。仲良くやろう」と、覚悟ができて、気が楽になったのだった。

 ツレは、スーパーへ買い物に行くのが大好きだ。止めても言うことは聞くまい。私がついていっても、サポートにはならない。ケアマネさんと相談して、私が、ディケア利用時に、週に二回ヘルパーさんに来てもらうことにした。

 そして、週に二回リハビリディケアにも通ってもらおうとツレとケアマネさんとで話していたはずだが、

三日前にケアマネさんとディケアの理学療法士さんが来てくれた時にうまくいかなかった。

最初は順調に話が進んでいた。「いつ行くの?」と問われて、火曜日と金曜日と説明を受けると

「京と一緒に行くんやな」と、言うではないか、同じ系列の別の施設で、よりリハビリできるところだと説明しても、分かったようなわからないようなだったが、無事経過。何時に迎えに来てくれて、何時に帰れるのかというところで、ツレは切れた。9時20分迎え、午後3時ごろに帰るのだと、用意してこられた紙を渡されて、激怒。「そんなん嫌や。俺がちっともゆっくりできひんやないか」週に二日間も、ほぼ一日リハビリに時間を取られるのが不満だったようで、「退院してきたばっかりやで、ゆっくりさせてくれや」と。こうなると聞く耳を持たない。前日にふらついて、家の中で転倒していて、筋力も落ちてきているのに、自分の体の状況すら把握できないのだ。「俺のことはほっておいてくれ」と怒り、しまいには、

「帰ってくれ」と、ケアマネさんを手で払い怒って、リハビリディケアの契約は破綻した。

 昨日から、柴ワンコの散歩にも行っている。止めたって聞きやしない。お嫁ちゃんは、「車の来ない、人の目のあるところで転んでくれるならまだいいのですが・・」と、心配してくれているが、「もうどうでもいい」との言葉を私は飲みこんだ。

 偏食もはなはなだしい。入院中の三カ月間、てんかん発作を起こさなかたらしいのは、規則正しい生活とバランスの取れた食事のおかげではないかと考えられたので、私は三食ちゃんと作ってやり、ツレを養ってやる心算だった、だが、「作ってイラン」と、言われればそれまでだ。

 もうツレがどうなろうと私の知ったことじゃないと思うが、退院三日後からずーっと気が重い。

他者は自分の思い通りにはならない。高次脳機能障害だろうと、ツレは自分の生きたいように生きている。それでいいじゃないか。リビングはツレに占拠されて、私は楽しみにしていた韓ドラも自由に観られなくなったが、私は私の暮らしをすればいい。常時ツレの見守りが必要なわけではなく、ツレは好きにやっているのだから、私は自由にどこにでも行けるのだと、考えればいい。

 またツレに何かあって、救急車に乗ることになるのは嫌だと考えるから気が重くなるのだ。

何かあれば、また私が対処する、それは、離婚したのに同居を選択せざるを得なかった私の選択の帰結だ。子供の負担にならないようにこいつと最後まで付き合う。それが私の選択だった。腹を決めて、

拾ったおまけの人生を生き抜こう。