最後のレポです。

 

3コマ目に受けた分科会。

 

「母も子も自分を生きる保育現場」 浅井智子 森のわらべ多治見園(岐阜県)

 

智ちゃん(私なんかが、智ちゃんと呼ぶのは、なんだかおこがましい気がするのですが、でも、敬意と親しみを込めて、そう呼ばせていただきます)に初めてお会いしたのは、もう8年ほど前でしょうか。

私が、広島に住んでいるときに、森のようちえんまめとっこの立ち上げに参加させてもらっていた時でした。

岐阜から来てくれた智ちゃんが、お話し会と、実際に森での体験指導をしてくださったのでした。

その後も、何度か講演を聴きに行きました。

智ちゃんのお話には、いつもその根っこに、お母さんのあたたかさがあるのを感じます。

 

 

〇どうして「森」なのか

  子供の存在は、自然・野生。母も出産で、自然・野生な心身になっている。

  だから、自然(本能優位)でいられる、自然の中・森の中がここちいい。(理由はわからないけど、感覚的にここちいい!)

 

〇森じゃないといけないの?

  どこであってもいい。それよりも人的環境。自然を見つけられる豊かな心、温かい人々。

  ただ、森はそれがしやすい環境である。

  子供は自分で育つ力を持っている。寄り添う人がいれば健やかに育つ。→自分を生きる。



 

〇そんな、森のようちえんはインパクト力がある!(地元に理解されるのはだいたい最後だけど)

  森のわらべの周辺には、車で30分圏内に6つも森のようちえんがある!

  その中でも、しっかりと子供が集まってくるのは、自分の園の特色をはっきりとうちだしているから。

  森のわらべは、「お母さんがお母さんであることを喜べる」園。

 

〇子供が、悲しいetcの一次感情を抱いたとき、心の器が大きければ、それを受け止めることができる。

  しかし、まだ心の器が十分に育っていないから、怒りなどの二次感情として表に出てくる。

  ここで、母が、子供のその一次感情に寄り添って、受け止めてあげるとそれで落ち着く。

  (感情と行動は違う。行動としてNGなものは、きちんとそう伝える。感情には100パーセントOK出せる)



 

〇しかし、お母さんが、心の器が育っていないと、お母さんも受け止めきれない。

  (子供に「ありのままでいいよ」と伝えるには、お母さんがそうでないと、子どもには伝えられない)  

  お母さんにも寄り添ってもらえる人(夫、仲間)が必要。

  森のわらべでは、母さん同士がつながる仕掛けをたくさんつくっている。

  そのつながりには、子供が思春期になった時にも助けられる。



 

智ちゃんのお話、どんどん進化している気がします。

同じ「母親」である智ちゃんの言葉には、よく勇気づけれれます。

前に聴いた、父性・母性、doing ・beingのお話も好きなので、それもちょっと書かせてもらいますね。

 

父性 → どうすればよりよく生きられるか(知恵、技術 doing)

母性 → そのままのあなたでいいんだよ(存在を認める being)

 

今の世の中は、doingをもとめがち。

でも、土台のbeingがしっかりできていないのに、doingをしてもダメ。(特に学校はそういうところがまだまだ多い)

 

父性の前に母性!

 

ざっくりとですが、こんなお話でした。

 

 

今回、3つの分科会に参加しましたが、どのお話にも共通していたのは、

気持ちに寄り添ってもらえること、存在を認めてもらえることで、自己肯定感(生きているって幸せ)がはぐくまれる、

そして、そういうふうに満たされていれば他者のことも受け入れられ、世の中平和に、

というようなことでした。

 

すごいな!

日々の小さな一つ一つのことから、こんなに広がっていく。

言葉でいうほど簡単じゃないけど(でも実はすごくシンプルなことのような気もするけど)、

まずは、自分の気持ちに寄り添うところから、はじめてみます。