3月1回目のプチりんどうの会。
 
今日は、団地に住む
80代の男性・Mさんが
「災害体験より」という
テーマで、話をしてくださった。
 
1944年(昭和19年)
12月7日に起こった
東南海地震。
Mさんは4歳だった。
 
当時の紀勢町(現 大紀町)
柏崎、錦のあたりで、
13:35に地震が起こり、
19分10秒 揺れ続けたという。

小春日和の穏やかな日。
志摩半島沖が震源地だった。

戦争末期で、村にいたのは
老人、女性、子どもがほとんど。
 
Mさんのお母さんは
料理をしていて、
Mさんと、2歳の次男を
抱えて、近くの竹やぶに
逃げた。
目にも留まらないような
揺れが19分以上続いた。
 
 
見せていただいた資料、
紀勢町がつくった
「東南海地震45周年記念誌」の
表紙は旧錦支所の柱時計。
 
 
地震が発生した数分後
13:37で止まっている。
下半分が白いのは
そこまで水がつかったから。
 
7歳だった少年は、
「笹舟が早く動いて
喜んでいたら、
その後、地震が起こった」と
記憶しているという。
 
普段から、貴重品は
まとめている人が多く、
それを持って、
山の方に逃げた。
 
ところが中に、
「命の次に大事な
権利書を忘れた」
「位牌を忘れたので
ご先祖様に申し訳ない」と
家に戻った人がおり、
そういう人たちは
ほぼ助からなかった……。
 
Mさんは、「命が一番大事!
戻ってはいけない。
地震は、一度では終わらない」と
強い口調で語った。
 
科学的根拠はないが、
地震の1年前ごろから
以下の現象があった。
・よく獲れた野ウサギが
獲れなくなった。
・井戸の水が減った。
 
もしかしたら、異変の
前触れだったのかもしれない。
 
また、「地震が起きたら
竹やぶに逃げよ。
そして、キジが鳴くまで
そこで待っていろ」
「虹が鮮やかにかかる時は
気を付けよ」
こんなことも聞いたそうだ。
 
吉村昭さんの
「三陸海岸大津波」という作品では
地震の前、異常なぐらい
大漁で、漁師が驚いたという
話が出てくる。
また、直前には沖の方で
「ドーン ドーン」という
音がして、戦争の大砲だろうかと
思ったが、
そうではなく、その後
地震が起きた、とも。
 

これからできることとして、
こんなことを話された。
 
散歩をする時、
「この橋は大丈夫かな。
この石垣は崩れないかな」
などを考える。
 
その他、
家具の転倒防止、
避難袋をまとめておく、
避難場所を確認しておく、
耐震検査をしてみる、
といったことも挙げられた。
 
 
 
私の絵本も
災害に関する2冊を
紹介した。
東日本大震災で、
「奇跡の脱出」として
ニュースになった、
岩手県野田村保育所を
もとにした絵本。
月に一度、
避難訓練をしていたお蔭で、
のんびりやのはなちゃんも、
早歩きの練習を続けた結果、
3月11日、はなちゃんを含む
90名の小さな命が救われた。

津波中心の話だし
(我が団地は津波の心配は少ない)、
お年寄りに早歩きの推奨は
合わないと思い、
紹介だけにした。
子どもたちには読んであげると 
いいと思う。

 読んだのはこちら。

阪神・淡路大震災の経験を元に、

神戸市消防局が企画・協力して

つくった絵本。

地震が起きたら、

地震に備えて、

どうしたらいいのかを

わかりやすく伝える。

避難の時の合言葉は「おはしも」。

お…押さない、

は…走らない、

し…しゃべらない、

も…戻らない。


災害について

家族で考え、話し合う

きっかけにもできる絵本。


皆さん、頷きながら

聞いてくださった。



今日のお話を聞き、

自分事として考え、

備えなくてはいけないなあと

改めて考えさせてもらった。

 

Mさん、ありがとうございました。

 

※リンクを貼る場合は、ご相談ください。