annao83のブログ

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彼らによれば、”ナショナリズム”というのは、国家のナショナリズムと庶民のナショナリズムに分けられる。
生活倫理や規範、伝統文化等々に則って、自分の国にはいいところがいっぱいある、と誇りに思うことは良いナショナリズム、かたや、国益の守護だったり、国威発揚のために国家が利用するものが国家のナショナリズムで悪いナショナリズム。そして、第二次大戦以来、国家のナショナリズムを実現するために、国策を決める者たちが、庶民のナショナリズムを利用している。日本はこれだけ素晴らしい国なのに、他国から攻撃されている、反撃すべし。とね。

言わんとするところはわからなくもないんだけど、なんとなく腑に落ちない。というのは、国益、というのは、そもそもがその国に住む人たち、庶民のためになるべきものであって、国益実現のためのナショナリズムが庶民のナショナリズムと相反する位置に当然に存在するということは、あまりにもいろいろな議論をすっ飛ばしてしまっているのではないか、と思うから。
過去の歴史、現在の政治を見ればそう言いたくなるのはわからなくはないけれど。

では、現状を考えた場合、彼らの定義するナショナリズムに関し、何が問題なのか。
彼らが懸念しているのは、庶民のナショナリズムが国家のナショナリズムに利用され、国家のために個人を服従させ、利用するという方向に向かっているのではないか、ということ。だから、我々庶民は、そのようなことがないように、メディアに踊らされることのないよう気を使い、冷静に、人間らしい感情のもとに中韓との関係を考えていかなければならない。というのが彼らの主張、ということでいいのかな。

で、考えられる疑問として、まず、国家と個人の関係は何なのか。国益と庶民の利益は本来であれば一致すべきものなのに、なぜ相反してしまうのか?一致するのであれば、国家のナショナリズムのために庶民のナショナリズムを使おうが、それは結局庶民の利益になるのだから、問題はない、ということになるだろう。

それは、ひとえに国益を考える者が誰を念頭に考えるか、という点に尽きるのかな。政治家が、官僚が、弱い立場にある日本人のことを考えながら全体の政策を作っているのか。本当に人々のことを分かった上で、全ての(は無理かもしれないけど、少なくとも大多数の)日本人のためになる政策を作ることができるかどうか。

で、問題なのは、それがとても難しい、ということ。政治家、官僚の良心によってそれが実現されるのが一番だけど、そう上手くもいかない。例えば政治家を考えた場合、彼らは再選されなければならないから、票を持っている(動かせる)人間の言うことを聞く可能性が高い。でも、そういう場合に強いのは強者。

弱者の票をどのようにマス化するか。そのために、人々の関心をどう弱者に向けるか。そして、政治への関心をどう高めるか。こういうところが課題になってくるのかな。

で、官僚の場合、どうやって彼らに伝えるか、というところが課題かな。そもそも知らない、わかってない、というところが問題な気がするから。裏を返せば、官僚は、そういった人々の声をキャッチできるように、常にアンテナを立てておかなければならない、ということ。

次に、国家と庶民の利益は常に一致しうるのか、という疑問?他国に武力を行使することができる機会を広げる議論なんかはその例?つまり、軍事力というのは国際政治上、その良し悪しは別として、一つのパワーである以上、そのパワーを行使することができる機会を増やす、ということは、国際政治上のパワーを増やすことである、と。現在の国際政治が様々なパワーバランスの上に成り立っている以上、一つのパワーを強化することは全体としての国際政治上のパワーを強化することであり、それによる便益を日本は被ることができる、という議論。

この場合、はっきり言って庶民は誰も戦争に行って死にたくないでしょう。なので、武力行使する機会を増やす、ということは、この一面をとってみれば、庶民の利益には叶っていない。なぜなら、結局戦争に行って死ななければならないのは社会のパワーバランス上庶民だから。

一方で、武力行使の機会拡大によって生まれる他の便益(他国に恩を売れるから、その分経済上のメリットがある、とかね。)があるのであれば、それは費用と便益の比較考量の問題であって、国民みんな巻き込んで議論を尽くした上で決定すべき事項なんじゃなかろうか。まぁそんな外交上の話、公に議論するのは難しいんだろうけど。。そしてどうやって国民みんな巻き込んで議論するのか、という話に戻り、それは上の問題(どうやって弱者の意見をマス化するか)に戻ってくるのかもしれないけど。


別の疑問として、庶民のナショナリズムがなぜ利用されてしまうのか。つまり、彼らは国家が庶民のナショナリズムを利用しようとしているから、庶民は気をつけよう、マスメディアの報道にも気をつけよう、良識ある層の日中韓の交流を深めよう、と言うけれど、なぜ庶民のナショナリズムが国家のナショナリズムと結びつくのか、の議論がなされていないような気がする。

国家(著者によれば、安倍さんとその周辺)が庶民を利用するようになってしまったから、というのがその答えなのかもしれないけれど、本当にそうなのか?それを可能としている、あるいは強化してしまう土壌が今の社会にあるのではないか?

それが結局貧困であったり、現在の生活に対する不満であったり、ということなんじゃないかと思うのです。なので、そういった根本の問題を解決しない限り、ナショナリズムを取り巻く問題の解決は難しいんじゃないかと思ってしまう。

つまり、現在の生活への不満を他国に吐き出すツールとしてナショナリズムが生まれているならば、生活への不満が少しでも解消されるような対策をしなければならない。

それに加えて、インターネットの都合の良さ(好きな情報だけ見ることができる)が問題だというけれど、インターネットを駆逐することはできないわけで、それであればどうやってインターネットを使うか、というか、いろんな意見を聞かないと何が正しいかの判断はできないんだ、ということを学ぶ必要があるんじゃないか。
それは、学校教育の中で、その習慣をつける、例えばディベートの経験を積んでいく、ということなのかもしれないし、別の方法もあるかもしれない。
人間は自分に都合のいいことばかり見たがるだろうから、これでパーフェクトになるわけではないだろうけど、少しでもストッパーになることを期待して。

ということで、とりあえずの感想~。