ぽかぽかとした陽気である。ここ数日、桜の開花が気にかかり、近隣の様子をネットで確かめてみると、目黒川沿いの桜並木もそろそろ見頃を迎えているという。ただ、肝心の天気は土曜が曇り、日曜は晴れとの予報であった。

 新宿御苑の桜は、かつて満開の折に訪れたことがある。苑内に足を踏み入れた途端、そこは夢見心地の別天地であった。二十九日の日曜は晴れの予報である。あの満開の桜絵巻に、再び出会えるかもしれない。そう思ってさらに調べてみると、日曜に限り予約チケットが必要とのことだった。

 善は急げ、である。はやる気持ちを抑えつつアソビューにアクセスし、予約を申し込んだ。一般五百円のところ、シニア(六十五歳以上)は半額の二百五十円。手続きを終え、日曜を待った。この日、土曜の曇天とは打って変わって、穏やかな春の日差しである。少し歩くだけで、うっすら汗ばむほどだった。

 新宿では京王百貨店に立ち寄り、昼の弁当を求めた。花見に出かけるときの、いわば定番である。スマートフォンで開花情報を確かめると、「ソメイヨシノはまだつぼみも見えるが、咲き進み、もうひと息で見頃」とある。今日こそは、あの別天地の風景が広がっているに違いないと、期待はふくらむばかりである。

 正午前に苑内に入った。たしかに満開の木もあるが、桜並木全体としては三分、五分、七分と、まだらな咲き具合である。それでも人々は、八分咲きの桜の下に思い思いの場所を見つけ、シートを広げて春の宴に興じている。

 しばらくは花よりも、行き交う人々のほうに目を奪われた。苑内は国際色豊かで、さながら世界の縮図のようである。やがて正午を回り、ようやく我に返って弁当のふたを取る。現れたのは、寄せ木細工のような幕の内弁当であった。

 


 深川のあさりめしに江戸前のたれをまとった煮穴子。和牛のすき煮。えびと舞茸の天ぷら。蟹つみれに鶏団子。きんぴら、ふき、南瓜の煮物。厚焼き卵には、クコの実が彩りを添えている。

「東京幕の内」の名は伊達ではない。江戸にゆかりの食材と料理を一折に詰め合わせた、小粋な感じの弁当であった。

 

 

今日は、かねて企画していたスコーン作りの実行日でした。

近くのスタバで売られているクリスピーなスコーンが、どうも自分の好みに合いません。さくさくしてそれなりに悪くはないのですが、どこか軽すぎる。むかしイギリスで食べた、あの素朴なスコーンとは大分違うのです。

それならいっそカフェで作ってみよう。そう思い立ち、そのことを家政婦のYuriさんに話すと、彼女は快く引き受けてくれました。

Yuriさんは自宅でお菓子作りの経験があると言います。スマホの写真を見せてくれましたが、それはスコーンではなくチーズケーキでした。タルトの生地にクリームチーズを流し込み、冷蔵庫で冷やして作ったものだそうです。

ふつう円形のタルトを切り分けると扇形になりますが、彼女のケーキは直径5センチほどの小さな円の形をしていました。表面にはチョコペンで目と鼻と口、そして眉まで描かれています。

子供のころから絵を描くのが好きだったという彼女らしい、どこか愛嬌のある顔でした。動物のようでもあり、人の顔のようにも見えます。家族四人の顔なのかと思いましたが、どれも同じ面相なので、たぶん動物なのでしょう。もっとも、動物に眉があったかどうかは怪しいものですが。

聞けば、二十前後のころに作ったものだそうです。洋菓子というより、どこか工作の作品のような趣です。

彼女は店に入ってくるとロッカーでコートを脱ぎ、エプロンを腰に巻いてキッチンへ向かいます。家から持参した使い慣れた道具を並べ、食材を前に準備に取りかかりました。

何から始めるのだろうと見ていると、まず冷蔵庫から無塩バターを取り出し、スケールで薄力粉の分量を量りました。ときどきスマホでレシピを確かめながら作業を進めています。

画面には、薄きつね色に焼き上がったスコーンの写真が映っていました。直径は4、5センチほど、厚みは2、3センチほどでしょうか。ぼくが昔、エクセター郊外の小さなINNでクラスメイトと初めて食べたイングリッシュスコーンとよく似ています。

いま、ぼくは彼女と同時進行でブログを書いています。キッチンからはカタ、コトという音や、引き出しを閉める音がときおり聞こえてきます。

「強力粉はありませんか」という声がしました。

「何に使うの」

「打ち粉です」

パンを作ることがありませんでしたから、強力粉の在庫はありません。彼女はスマホで代用品を調べ、しばらくして声を発してきます。

「片栗粉でもいいそうですよ」

キッチンに行って棚を探ると、未開封の片栗粉が見つかりました。

彼女はボウルに薄力粉200グラム、ベーキングパウダー8グラム、グラニュー糖30グラム、塩をひとつまみ入れてヘラで混ぜ合わせます。そこへバターを刻み入れ、さらに牛乳120ccと卵黄を合わせた混合液を加えました。

カードで生地をまとめ、まな板の上で軽くこね、2、3センチほどの厚さに伸ばすと生地を円形に抜き、表面に卵黄を塗ります。

電子レンジのオーブンモードを15分に設定して焼きます。

しばらくすると、甘い匂いがキッチンから漂ってきました。

取り出されたスコーンは、表面が淡いきつね色に焼け、ほどよくふくらんでいます。ひとつ割ると、湯気がふわりと立ちました。むかしイギリスで食べたスコーンも、写真のような形をしていました。

初めてにしては上出来です。ファンタスティックなスコーンの完成。冷蔵庫で冷やしておいた白身を泡立たせたホイップを付けて美味しくほおばったのでした。
 

 

大気が緩んできた。冬の装いのまま出かけると、ほんのり汗ばむほどである。気温は二十度を超え、四月、いや五月の陽気だと報じられていたが、体感もまさにそのとおりの暖かさだった。

家にこもって休日を過ごそうにも、ラジオを聴き、YouTubeのミュージックプログラムを眺めているうちに時間だけが過ぎていく。無聊を慰めるには事欠かないはずなのに、どこか空虚である。時間は無慈悲だ。

昨年、意を決して何をか始めんと思い立ち、そのために長寿健診を受けた。商いを始めるにも資本が要る。ぼくにとっての資本は健康しかない。資本財があれば働かずに済むのだろうが、健康である以上、年相応の働き方というものがある。

一念発起の決意はよかったが、検査に引っかかり、出鼻をくじかれた。以来、毎日の服薬と注射が欠かせなくなった。あれから一年。養生は続いている。糖尿病という烙印を押されたものの、いまはヘモグロビンA1cの値も6.5と安定している。

膵臓の機能は保たれていると聞き、健康のありがたさをあらためて思う。外出も支障なく、食欲もむしろ増した。そのせいか顔がふっくらしてきた。両の目も、視力は揃わないながら、それなりに役目を果たしている。

とはいえ「正常」と言い切れるかどうか。遠くを見るときは右目、本を読むときは右目を閉じて左目を使う。裸眼で文字を追っていると、やがてぼやけて三分と持たない。

身体はおおむね健康でも、部品は確実に劣化している。不自由といえば不自由だ。その不自由を覚えるとき、老いを知る。だがこれは自然の摂理。愚痴をこぼしたところで、どうにもならない。

昨年の禍(わざわい)がないぶん、今年は少しだけ幸せだと思う。もっとも、人に会うのが億劫になったのも事実だ。バックパックを背負い、靴を履いて世田谷線に乗る。終点の下高井戸で京王線に乗り換え、分倍河原で降り、バスを待った。

バス停には列ができていた。やがて到着した先は「府中の森博物館」。館内は展示会場になっており、外には公園が広がる。移築された古い建物。学校、商家、古民家、郵便局などが保存されている。建物の裏手には梅林があり、この日は野点の催しが行われていた。

「梅まつり」は弥生三月八日まで。目当ての梅に会うため、遠路はるばる足を運んだのである。白(しろ)加賀、小梅、思いのまま―さまざまな梅が植えられている。そのなかに「藤牡丹」という名の枝垂(しだ)れ梅がある。

最盛期は二月前半だったか。やや遅かった。風雨に傷つけられ、どこか貧相に見える。年のせいか動作緩慢。一日があっという間に過ぎてしまう。一週間も同じだ。金太郎飴のような日々を送っていれば、ひと月もまた同様である。歳月は人を待たない。

園内を一巡りし、茶屋の入口を覗く。中に足を踏み入れると、ひんやりとしている。古民家の母屋を改装したらしく、土間風の席に案内された。盛りうどんを、かき揚げ付きで注文する。

うどんは真っ白で角が立ち、艶があり、つるりとしている。讃岐の風体である。噛むほどにコシの強さを感じるが、格別の感想は浮かばない。食べログの口コミに「ふつうにうまい」と記した言葉に共感した。

 

 紅白を
 思いのままに
 咲き分ける
 ためらいもなく
 春は来にけり

 

「そこのスタバに行ってきます。あとはよろしく」

 家政婦の百合さんに声を掛けて玄関を出た。スタバまでは徒歩で五分とかからない。かつて古いアパート群が建っていた一角が更地になり、何ができるのだろうとゴマフと予想し合っていた場所に、ある日忽然と、広い駐車場を備えた喫茶店が出現した。

 郊外の安価な土地に目を付け、資金にものを言わせて瞬く間に事業を立ち上げてしまう、その手腕には感嘆するほかない。街中の喫茶店が人通りの多寡を立地条件とするのに対し、郊外では、まず車を収容できる面積の確保が不可欠なのである。

 二、三キロの圏内には「コメダ」や「星乃コーヒー」、さらには「武蔵野の森」、そして「スターバックス」の地域一号店まである。コーヒーやパフェを供するファミレスも、人後に落ちぬ奮闘ぶりを見せている。

 かつてコーヒーの先物に手を出していたころ、「コーヒーの原価は一杯十九円ですよ」と聞かされ、「ぼったくりですね」と冗談で返したことを思い出した。もっとも近年はアラビカ種の相場も気候変動による収穫量の減少などで、当時とは比べものにならないほど上がっているのではないか。

 玄関からキッチンへと続く廊下、居間のフローリングの拭き掃除。その作業中、ぼくが家にいるのは目障りだろうと思い、掃除の日には近くのスタバへ退避することにしている。初めて隠れ家の掃除を依頼した際、「二階へ上がる階段までやってくれたら、あとは適当に休んでください」と伝え、都内の家と同じ要領で進むものと高をくくっていた。だが一階だけで優に二時間はかかったらしい。

 そのころはゴマフも元気で、ぼくの外出中に若い家政婦さんの身上をあれこれ尋ね、階段掃除の妨げに一役買っていたようだ。結局、「階段までできませんでした。すみません」と丁寧なメールが届いた。夏には居間のゴミ箱から小バエが発生し、ほとほと困ったという報告もメールで受け取った。

 その文面は生々しかった。

「一階はショウジョウバエが卵を産み、床や壁に幼虫や卵の殻がかなりこびりつき、成虫がたくさん飛び交っている状態です。できるだけ拭き取らせていただきましたが、今回のサービスでは根絶は難しく、ご健康のためにも定期的なお掃除をおすすめいたします」

 昨年の暮れはゴマフが入院していたため、十二月分の掃除には専念できたらしく、二階の十畳、通称「音楽室」と呼んでいる部屋にも手が入っていた。今回もその要領でお願いします、と言い残してスタバへ向かったのである。

 店の入り口に足を踏み入れると、立て看板のディスプレイが目に飛び込んできた。ボードにはカラフルな文字とイラストが躍っている。

「スターバックスのスコーンが、さらにおいしくなって」
というキャプションの前で足が止まる。読みながら、今までのものはそれほどでもなかったという意味か、とひねくれた解釈が頭をもたげる。だが「さらにおいしくなって」の部分に二重線が引かれ、強調されているのを見ると、つい心が動いた。

 極めつきは、「生まれ変わりました」という一文である。以前食べたことがあれば、比較してみようという動機も湧くだろう。だが初めてのぼくには、何がどう生まれ変わったのか知るよしもない。食べたことのない者に「生まれ変わり」を想像させるのは難しいはずである。それでも、その言葉は妙に胸に刺さった。刺さった以上、注文しないわけにはいかない。

 チョコチップ入りのスコーンだった。一目で「これはクリスピーだな」と思う。サクサク感が半端なさそうに見えたからだ。フォークを刺すと、刺し入れる先からはじけ散る。

「なんだ、ビスケットじゃないか。しっとり感は皆無だ。クロテッドクリームも付いていないし」





 ぼくの駄目出し癖が、スコーンに練り込まれたチョコチップのほろ苦さを、ことさら際立たせる。

 二時間後に帰宅すると、掃除はほぼ終わりかけていた。

「スタバのスコーン、食べましたよ」

 キッチンにいる百合さんに声を掛ける。

「どうでした?」

「あれはアメリカンだね。スコーンというよりビスケットですよ。今度カフェでイングリッシュを作ってみない?」

「よろこんで――作ってみたいです」

 マスクの脇から、笑みがこぼれていた。
 

 

 小寒から大寒までの時候を寒中と言います。小寒の1月5日が寒の入りでした。今年は大寒が二十日です。立春は2月の4日。今日は2月1日ですから立春まではあとわずか。
日射しは緩く、しかし大気は凜として厳しい寒さが続いています。

 この時季の日射しは長く、ダイニングキッチンの敷居のところまでとどくほどです。ベッドでなく、ふとんを敷いて寝るぼくは、朝、その布団を上げるときに南側のガラス戸を開け、布団を三つ折りにたたんで押し入れにしまい込みます。布団をたたむ際には勢いを付けます。たたみかけるように勢いを付けてほこりと、部屋にこもった空気もろとも外へ出すわけです。

 積雪で少しの暖も逃さないように部屋を密閉して暮らしている雪国の人たちには、布団を上げるのにガラス戸を開放するなんて考えられないでしょう。でも、いつ頃からやっているのか、晴れている日の習慣になってしまっているから仕方ありません。

 しかし考えてみれば、このマンションに引っ越す前に住んでいた家が古くて、ほこりまみれ。気を入れた掃除といえば盆暮れの二回だけ。暮れの大掃除の時には部屋の隅にたまった綿ぼこりをはき出すのに防塵マスクをつけ、雨合羽の作業着を身に包むといった出で立ちでした。

 日頃の掃除無精のため、部屋の中はふだんからほこりが浮遊していました。当然、布団を敷くとき、布団をしまうときには目に見えないほこりが宙を舞っている中をやっていたわけで、その宙に舞う粉塵を部屋の外に追いやるために戸を開けて布団をたたむといった習慣が身についたと思われます。

 新居の1DKに移ってから5ヶ月余り。体にしみついた習慣という痕跡はそうやすやすとは消えません。冬日、雨の日のガラス戸の開放は年寄りには応えます。

 

 かと言って部屋を閉め切っていても最近の家屋は24時間換気が作動していますから外の空気は間断なく部屋へ入り込んできます。そのせいか咳き込むことも多く、多分に黄砂や花粉も気管支の不調の一因になっているのかもしれません。

 そこで老齢の身に免じて、と思いついたのが空気清浄機です。病院やクリニック、飲食店やオフィスなどで最近よくみかけるようになりました。センサーがついていて自動で空気の清濁状態を測定してくれます。

 とりわけ布団を敷くときには、ほこりが激しく舞っている証拠でしょう、ディスプレイの鼻の部分が真っ赤になり、鼻息も荒く、猛烈な勢いでほこりを吸い込んでくれます。その名もAirという空気清浄ロボット犬です。エサを作って食べさせる必要もなく大いに助かっています。