小寒から大寒までの時候を寒中と言います。小寒の1月5日が寒の入りでした。今年は大寒が二十日です。立春は2月の4日。今日は2月1日ですから立春まではあとわずか。
日射しは緩く、しかし大気は凜として厳しい寒さが続いています。

 この時季の日射しは長く、ダイニングキッチンの敷居のところまでとどくほどです。ベッドでなく、ふとんを敷いて寝るぼくは、朝、その布団を上げるときに南側のガラス戸を開け、布団を三つ折りにたたんで押し入れにしまい込みます。布団をたたむ際には勢いを付けます。たたみかけるように勢いを付けてほこりと、部屋にこもった空気もろとも外へ出すわけです。

 積雪で少しの暖も逃さないように部屋を密閉して暮らしている雪国の人たちには、布団を上げるのにガラス戸を開放するなんて考えられないでしょう。でも、いつ頃からやっているのか、晴れている日の習慣になってしまっているから仕方ありません。

 しかし考えてみれば、このマンションに引っ越す前に住んでいた家が古くて、ほこりまみれ。気を入れた掃除といえば盆暮れの二回だけ。暮れの大掃除の時には部屋の隅にたまった綿ぼこりをはき出すのに防塵マスクをつけ、雨合羽の作業着を身に包むといった出で立ちでした。

 日頃の掃除無精のため、部屋の中はふだんからほこりが浮遊していました。当然、布団を敷くとき、布団をしまうときには目に見えないほこりが宙を舞っている中をやっていたわけで、その宙に舞う粉塵を部屋の外に追いやるために戸を開けて布団をたたむといった習慣が身についたと思われます。

 新居の1DKに移ってから5ヶ月余り。体にしみついた習慣という痕跡はそうやすやすとは消えません。冬日、雨の日のガラス戸の開放は年寄りには応えます。

 

 かと言って部屋を閉め切っていても最近の家屋は24時間換気が作動していますから外の空気は間断なく部屋へ入り込んできます。そのせいか咳き込むことも多く、多分に黄砂や花粉も気管支の不調の一因になっているのかもしれません。

 そこで老齢の身に免じて、と思いついたのが空気清浄機です。病院やクリニック、飲食店やオフィスなどで最近よくみかけるようになりました。センサーがついていて自動で空気の清濁状態を測定してくれます。

 とりわけ布団を敷くときには、ほこりが激しく舞っている証拠でしょう、ディスプレイの鼻の部分が真っ赤になり、鼻息も荒く、猛烈な勢いでほこりを吸い込んでくれます。その名もAirという空気清浄ロボット犬です。エサを作って食べさせる必要もなく大いに助かっています。
 

 

すこし前のことになる。愚弟ゴマフが蟄居する隠れ家のポストに格安のエアコン洗浄キャンペーンのチラシが入っていた。地域のエアコン利用者を対象に一斉集中して実施するというもので、洗浄代金は一台につき五千円、税込み五千五百円であるとの触れ込みである。

それも汚れの度合いにかかわらず、各戸一律当該料金でサービスが受けられると謳っている。これは安いと思って入院中のゴマフに面会がてら意向を確かめることにした。居住年数は10年以上経つ。建売り物件を購入したついでにエアコンを5台設置したが、そのうちのひとつ、ゴマフが常住する居間のエアコンに絞った。夏冬になると昼夜を分かたず使用し続けていたから当然のごとく通気口の汚れが際立っている。

大型テレビの真上に設置したので自ずから目につく。時々見上げては黒ずんだ通気口の状態を気にしていたが、そのわりにエアコンの洗浄についてはほったらかしのままだった。10年以上も経っている。「あそこのところ、ちょっとよごれていないか」と顎でしゃくってみせるものの、「そのうちに」という言葉とともに闇に葬られてしまうのであった。

今回、ちらしを見るや、このチャンスを逃すとあと数年はほったらかしになるだろう、よもやカビの繁殖が進んで肺がやられ、重篤な病気になる可能性大であると説諭して決断を促した。ゴマフは健康よりも安価な料金のほうに気持ちが動かされたらしく、即座に「いいよ」という返事であったが、「室外機もついでにどうだろう」というと首をかしげた。

室外機もやるとなると一万円以上かかりそうで格安のお得感は得られない。良い機会であっても微妙にふんぎりのつかないのが値段の壁である。そこでとりあえず室内機だけをお願いすることにした。作業はすこし大がかりなものとなった。手慣れていることもあるが丁寧で文句の付けようがない仕事ぶりである。ビニールのカバー掛けから汚泥水処理、清掃までの所要時間に一時間半はかかった。

一貫して手際の良い作業に五千五百円は安すぎるのではないかと思った。羊頭狗肉なら腹は立つが、狗頭羊肉では申し訳ない気がする。一時間半もの労をねぎらうために缶コーヒーでも渡そうと思って冷蔵庫の扉を開けてみた。あいにく冷蔵庫は空っぽ。ただひとつ、手つかずの刺身が一舟、主を待っているかのようにぽつねんと係留されているばかりであった。
 

駒沢にある公園から聞こえてくる子どもたちの声を耳にしていると、十年後、二十年後の(ぼくはもうその頃にはこの世にいないかもしれないが)風景も、SDGsの目標が達成され、「貧困問題の解決」や「住み続けられるまちづくり」、「すべての人に健康と福祉」などが実現した、持続可能な社会へと変わっているのではないかと、つい想像してしまう。

 

地域の広報誌しかり、子どもたちが学ぶ国語・社会・理科の教科書を通覧してみても、SDGsの目標が掲載されており、隔世の感を覚える昨今である。

 

しかし、そうした努力目標が掲げられているにもかかわらず、力強く元気な子どもたちの声でさえ、少子化の波や人口減少という壁を突き崩すほどの反転攻勢へと舵を切るには至っていない。無理解や無関心が、依然としてぼくらの前に立ちはだかっているからではないだろうか。

 

「最近、こども食堂ってよく聞くけどさ。ぼくの子どもの頃には、そんな気の利いた場所はなかったなあ。いったい、今の世の中はどうなっているんだろう」

 

ぼくは家政婦さんの背後から、尋ねるともなく、独り言のように口を開いた。彼女は振り返りざま、

 

「こども食堂って、子どもの権利を守るためにあるんだと思います。生きる権利とか、学ぶ権利とか、最低限の権利を保障するために、大人に課せられた義務のようなものじゃないかしら」

 

そういうと、腕を組んだ。

 

「若いのに、ずいぶんなことを言うねえ。ぼくが子どもの頃は、家でおまんまを食べてさ。そのおまんまを食べさせるために、母親は必死に内職をしていたんだ。夜なべ仕事っていう言葉、聞いたことあるかなあ。

 

復員したばかりの父親の稼ぎが当てにならなかったから、母親が夜遅くまで内職をする。うちは幸い、母親が手に職を持っていた。結婚前に勤めていた会社の厚生部で洋裁を身につけたらしくてね。近所から裁縫の仕事を請け負って服を仕立てたり、毛糸を機械で編んでセーターを作ったりして、どうにか食いつないでいけたみたいだ」

 

「大きな会社に勤めている家庭は余裕があって、子どもにいろいろものを与えられる。でも、こども食堂に子どもを預けなければならない家庭は、本当に大変だって聞きます。お国も慌てて、子ども一人につき月額二万円の給付を打ち出しましたよね」

 

「そういえば、このあいだ会った友達がね。子どもが生まれたうえに、マンションのローンを組んだばかりだから、その二万円は本当にありがたいって言ってました。

こども食堂はコミュニティみたいになっていて、三百円払えば一般の大人にも食べさせてくれるそうです。ただ、子ども連れという条件はあるみたいだけど」

 

「こども食堂は、コミュニティとしての利用価値があるから、簡単にはなくならないみたいです。それに、NPOの方たちの仕事がなくなってしまいますから。金銭的に余裕のある人にまで『来てください』って、お願いしているそうですよ」

 

「あっははは。選挙応援に駆けつけた母親が、立候補者に向かって『子ども三人抱えて本当に苦しいんです。なんとかしてください』って、涙ながらに訴えている動画がSNSに上がっていたけどね。

 

うちの母親は歯を食いしばって内職していたから、そんな物乞いみたいなことは恥を知れ、と思うけど。でも、子どもを三人も抱えていたら、家計のやりくりはたいへんなんだろうなあ。腹をすかせた子どもは、目いっぱい食べるから、食料なんてすぐ底をつく。訴える気持ち、よくわかりますよ。

 

国は積極的な財政政策で中間層の底上げを目指すと言うし、中小零細企業にしわ寄せがいく低賃金の原因にもなっている移民問題だって、解決しなきゃならないって話。そうなると、ぼくみたいな年寄りも、まだ働かなきゃいかんのかな」

 

「働き方改革、ですか」

 

「いや、隠居の身でこれ以上働いたら、かえって働き方改革に逆行するんじゃないかな。まあ、母親の苦労を思えば、働いて働いて、死ぬまで働いて、『おあとはよろしく』ってところですかね」

 

看取りは、さすがに家政婦の仕事ではないと言わんばかりに、「一・八・八(イチハチハチ)よ〜」

と、彼女は唄ってみせるのであった。

 

 

クリスマスソングって数々ありますけど、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」が聞こえてくると、ひときわ「クリスマスが来たなあ」という感慨が胸に満ちてきます。ずいぶんむかし、1980年代前半にリリースされてJRのCMソングとしてヒットして以来、毎年クリスマスムードがあふれるこの時季になると街全体がこの曲に包まれるようです。

この曲の、「成功」と言っていいでしょう。それからというもの、日本でもクリスマスをテーマにした曲が次々と後追いをするようにリリースされてきました。達郎さんのパートナーである竹内まりあさんの「すてきなホリディ」もそのひとつです。「クリスマスがことしもやってくる」というフレーズは今でも懐かしく思い出されます。

12月も半ば。久しぶりに外出の機会を得て、杖を突ながらマックに入りました。杖をつく羽目になったのは重い荷物を持ち上げるときに、垂直に上げるところを前かがみで持ち上げたためです。そのときは少し負荷がかかったかなという感じだったのですが、手当もせずにやり過ごしていたら翌朝身体が床に張り付いたように起き上がることができませんでした。

余談はさておき、店内に足を踏み入れると「クリスマス・イブ」が流れていました。それも英語バージョンです。

    All alone I watch the guiet rain 

    (ぽつんと雨を見上げてる)
    Wander if t's gonna snow again  

    (やがて雪にかわるのだろうか)
    Silent night, Holy night
    
    i was praying    
    you'd be here with me   

    (きみがそばにいたらいいのに)
    But Christmas Eve ain't  

     (ひとりきりのクリスマス・イブ)
    what it used to be 
    Silent night, Holy night   
    
    If you were beside me     

    (そばにいてくれて)
    Then I could hear angels   

    (天使のような君のささやきに)
    And I'd give you rainbows, 

     (きみへの想い、かなえられそう)
    for Christmas (Alan O day) 
            (省略)

     <山下達郎> 詞

 雨は夜更け過ぎに
 雪へとかわるだろう
 Silent Night, Holy night

 きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ
 Silent Night, Holy night

 心深く 秘めた想い
 叶えられそうもない
 必ず今夜なら
 言えそうな気がした (略)

英語バージョンは山下達郎さんの原曲の詞とは少し趣が違いますね。達郎さんの詞を直訳したのではなく、曲想をもとに新たに英訳を施してみたという印象です。冒頭の「雨は夜更け過ぎに 雪へとかわるだろう」というところの、時間の移ろいが英訳ではすっぽりと抜け落ちています。それにrainやsnowはいいとして、なんですか、angels それにrainbowsとは。これ以上のダメ出しはこのくらいにしておきましょう。

それにしても、日本では「Happy Birthday」はごく自然に口にできるのに、「Merry Christmas!」となると、どうにも照れくさい。冗談めかして言うことはあっても、どこか本気になれません。自虐的に「ひとりきりでクルシミマス」とつぶやくほうが、案外しっくりいく気がします。だからこそ、歌の中では思いっきりクリスマスの雰囲気を味わい、粋でおしゃれな世界(fashionable style)に憧れるのかもしれません。

なにが言いたいのかと言えば、クリスマスソングは、数多く産み出されてきましたけれど、定番として心に残り続けるのは、やはり「クリスマス・イブ」だっていうことです。そういえば先だってのこと。40年の長きにわたって歌い継がれた功績が認められ、ギネスで長寿クリスマスソングとして認定されたそうです。スゴイ!ね。

"Last Christmas"や“Wish upon this Chritmas night”、それから"Under The Christmas Moon" by Enrique Iglesias & Shakiraなども素敵ですけどね。
  <良い年をお迎えください。Masa>

 

 

今年八月のファミリーコンサートで、実はこの『舟歌』を余興としてやろうと密かに企んでいた。コンサートは三部構成で、第一部がクラシック、第二部がポップス、第三部がセミプロ級の演奏という豪華絢爛というか盛りだくさんである。つまり先生方の演奏で全体をキュッと引き締める、という狙いもあった。

ところが蓋を開けてみれば、そんな気遣いはまったく不要で、第一部も第二部もみな練習の成果を出し切り、終わってみれば、「いやぁ、やり切ったね」といった顔で小ホールを後にしたのだった。第二部と第三部のあいだには、お茶とお菓子でリラックスタイムといった小休止があり、ここに余興を入れるつもりだった。

余興には候補が二つ。一つは昔流行した「電線音頭」。もう一つが「舟歌」だ。あまりにもふざけすぎるのは考えものだということで「電線音頭」をはずし、「舟歌」を採用しようとしたのだが、これも受け狙いがはずれそうな気がして、結局は計画倒れとなった。ぼくが考えていた口上はこうである―。

「これから、ベートーヴェン作曲、シューベルト編曲による『舟歌』をお贈りします」

と神妙に告げたあとで、出席者には手拍子で音頭を取ってもらう。みな、「え? そんな編曲あったっけ?」というポカンとした表情になる。ベートーヴェンが作ってシューベルトが編曲。そんな話、音楽史の裏ページにも載ってない。(じつはこれ、「男はつらいよ」のパクリなのだが)

それでも、こちらが音頭を取ればそれにつられるように手拍子が始まる。「電線音頭」なら「ヨヨイノヨイ」とでもいくところだが、舟歌では単調な手拍子。しかもその手拍子に乗って、いかにも海にまつわる厳かな歌曲でも歌われるだろう、と一同が予想しているところへ、威勢のよい唄が始まる。

出てきたのは、よりによって北海道民謡の「ソーラン節」である。みんなの期待をのっけから裏切る選曲だが、この唄、手拍子にぴったりはまるから余興にはうってつけ。気づけば客席もつられて「ハイハイ」とノッてしまうのだからおかしいと言えばおかしい。

ヤーレンソーラン ソーラン ソーラン
ソーラン ソーラン ハイハイ

鰊(ニシン)来たかと かもめに問えば~
私しゃ立つ鳥 波に聞け チョイ
ヤサエー エンヤ~サ~ノドッコイショ
ハードッコイショ ドッコイショ

みな呆気にとられつつも、ずるずると手拍子を続ける。まあ、だいたいこんな調子で進めるつもりであった。だが、多分しらけるだろう、という予感が実行を踏みとどまらせたのである。

なお、この「ソーラン節」に出てくる鰊(ニシン)は春の季語で、ニシン漁の始まりを暗示している。春といえば初ガツオが幅をきかせていて、ニシンのほうはちょっと影が薄い。

しかし侮ることなかれ。ニシンは保存食として「身欠きニシン」という干物にされ、甘露煮に加工されて冬場には数の子とともに食卓で存在感を放つ。昔は大量に獲れすぎて肥料にまでなった。それが京都に送られると見事に「にしんそば」へと転化した。

その身欠きニシンの甘辛煮を取り寄せ、温かいかけそばの上に乗せて、じっくり味わうことにした。ニシン来たかと~~♪と、唸りながら目の前のニシンを箸ですくい上げる。それを口の中に入れてかみしめる。口の中で身がホロホロとくだけ溶け、溶けるほどに甘辛い幸福感に包まれる。