今日は 亡き父の祥月命日でした
「 早朝 有名餃子チェーン店の社長が 狙撃されて死亡 」
2013年 12月19日
朝のニュース番組で 報じていました
そして 同じ日の午後
私の父も 入院先の病院で 息をひきとりました
それからは
四十九日 一回忌 三回忌 七回忌と
亡父の法要に 集まる 親戚の人達と
「 あの事件 まだ解決しないね 犯人は海外に逃亡か? 」
などと 狙撃事件ことを 必ず話題にしていました
今年になって その事件は やっと進展しましたが
その事件の 報道があるたびに 父の最期の時を思い出します
父が亡くなる 5日前の12月14日 病室のベッドで
「 あの子は 14日の夕方4時頃やった 」
私が初めて見る 涙ぐんでいる父が そう言いました
あの子とは 数十年前の12月14日に
生後7か月で亡くなった 私の妹のことで
妹の亡くなった時間を 初めて 私に伝えてくれました
両親は 病気で妹が亡くなったことに 責任を感じていて
毎月の命日や 特に12月14日の祥月命日には
とても丁寧に 供養していました
もし 私が姉ではなく 後に生まれた妹だったら
亡くなっていたのは 私だったのかもしれない
そう思うと 私にとっても 12月14日は 特別な日です
そして 先日の12月14日
毎朝の習慣にしている 仏壇に新しいお水を供えて
「 今日は 祥月命日やね 」
そう 写真の妹に語りかけて しばらくしたら
入院中の母の病院から 緊急の電話がかかってきました
それは その日 2回目の電話で
1回目の電話は 数時間前の 真夜中でした
いつでも 病院に来られるよう 準備しておいて下さい
とのことで 外が明るくなるのを 待っていました
母は 昨年に入所した老人ホームを 病気のため退所し
半年前から 入院中で
ずっと ほぼ点滴だけで 生きながらえている状態でした
入院した当初は
あと1週間くらいだと ドクターから告げられましたが
母は それを跳ねのけるように 頑張ってくれました
私も これまで 母の世話をしてきて
そんな 簡単に 逝かせてなるものかと 思いました
最初は
今のご時世のため 直接面会はできず
毎日のように
電話で 母の状態を 聞くしかしかありませんでしたが
秋になると だんだん 母の状態が悪くなり
ドクターより 直接面会の許可がおり
週1回 わずかな時間でしたが
顔を見ることができ 簡単な会話もできました
そうして 今月に入って ドクターより
かなり状態が悪く あと数日だと思うので
毎日 面会に来てもいいですよ と言われ
私が 母の手を握りながら
耳元に 語りかける 日々を送っていましたが
もう これと言って 反応のない母を見ると
私にも 別れの時が 近いのがわかり
少しづつ 心の準備を することができました
そうして 12月14日の朝
病院からの 緊急電話で あわてて駆けつけると
穏やかに 穏やかに 母は息をひきとりました
そして
妹の祥月命日と 母の祥月命日が 同じ日となり
12月14日は 今まで以上に 特別な日になりました
昨日18日
葬儀会場に できるだけの 母の好きなお花を飾り
「 またね 」
近親者のみで 笑って見送りました
そして 私には
今でも 母は老人ホームにいる そんな感覚です
両親にとって
私は決して親孝行な娘ではなく 後悔ばかりですが
私が これからの人生を 笑って送るよう努めるのが
親孝行なのではと思います
次回から 通常のブログにしますので 宜しくお願いします
