亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
2011年3月11日14時46分
当時はまだ栃木にいて平凡な高校2年生だった
6限目の授業中にそれが起こり
机の下で隣の席の親友と震える手を握り合って
揺れがおさまるのをただただ祈っていた
あの時の彼女の表情は今でも覚えている
でもきっと自分も同じように涙を流しながら
恐怖と不安に呑み込まれそうな顔をしていたと思う
何年かぶりに開いた当時の日記にこう書いてあった
(そのまま載せます)
"最初は余震にも毎回怯えていた自分が、
日が経つにつれ小さい余震ではびくともしなくなって
まだまだ油断出来ないのは分かっていても
慣れって本当に怖いなと改めて思った。
友達とメールでいろんな話をしたり、
テレビのニュースを見たり掲示板サイトを見たり、
mixiなどでたくさんの情報を見たり聞いたりして
いろいろ考えさせられた。
たくさんの国が「Pray for JAPAN」と
日本を支援してくれていること、
国内でも同じようにいろんなひとが
被災地に物資を送ったり募金をしたりしていること、
上手く言葉に表せないけどすごいと思った。
今みんなが「自分に出来ること」をしようとしてて、
日本ではたくさんの「助け合い」が起きてて、
一つになってるって思った。
自分に出来ることは本当に限られてるけど、
自分に出来る精一杯のことを頑張ろう。
少しでも早く復旧に向かえますように。
少しでも早く、被災地の方々の不安や恐怖が消えますように。
少しでも早く日本が負った傷が癒えますように。
この地震で初めて「自分死ぬかも」って思ったけど、
結果こうやって生きることが出来てて、
これも当たり前のことなんかじゃないんだって。
誰だっていつ死ぬか分からない。
分かってたことだけど今回改めて思った。
もっと自分の周りのひと大切にしなきゃ。
それから自分がいつ死んでもいいように、
後悔だけはしたくないな。
死ぬときに「幸せな人生だった」って思えれば、
それだけで良かったと思えるんじゃないか。
いろんなことの判断、間違ってもいいから後悔だけはしない。
悔いの残らない人生を生きる!
なんかもうとりあえずみんなに会いたいよ
みんなと笑いたい、早く学校行きたい"
こうして改めて読むとなんだか薄っぺらく感じて
昔とはいえ自分の文章が恥ずかしいけれど、、
それから10年、私はその時々で自分にできる精一杯を
全うしながら生きてこられたと思う
どんなに心が折れそうな時も
腐ることなく前を向いてこられたのは、
周りの環境や人に愛をもって
接することを忘れずにいられたのは、
もちろんたくさんの人に
支えてもらったからなのもあるけれど
きっとあの震災がきっかけとなって
17歳ながらに考え、決意したからだと思う
心に余裕がなくなって忘れてしまいそうに
なる時もあるけれど、最終的に辿り着く答えは
あの時と変わっていない気がする
10年前はまさか自分がこの仕事をしているなんて
思ってもいなかった
気付けば地元からも親元からも離れて
東京で自分の足で立てるようになっていた
生きていると不思議なことがたくさん起こる
想像もつかなかった世界で仕事をしていたり
あの頃テレビや雑誌で見て憧れていた人たちと
今一緒に仕事をしていたりする
お芝居もモデルのお仕事も
出会った時よりずっと好きになっていって
不思議だし、楽しいし、幸せだなぁ、、
と、純粋に思います
10年でこれだけいろいろと変わるんだったら
また更に想像のつかないことが
どんどんと起こっていくんだろうな
でも、どんな時でもブレない自分でいたいと思う
今27歳の私は、少なからず17歳の時よりは
人のために出来ることが増えているはずで
37歳になったらもっともっと増えているはずで
そんなに大したことは出来ないかもしれないけど
こうやってずっと自分の人生や仕事と向き合っていく中で
誰かの背中を少しでも押してあげられる存在に
なれていたらいいな
年末にもインスタに書いたけど
誰かの孤独を少しでも救えるように
それが叶う仕事をしていると思うから
まだまだ頑張りたいです
それが今の目標です
社会を動かすには小さすぎる歯車だけれど
外れてどこかに行かないように
地にしっかり足をつけて明日からも生きていく
いつも苦難はこちらの準備なんて待ってくれなくて
次々と容赦なく襲ってくるけど
これからも手を取り合って乗り越えていきたいですね
これを読んでくれている皆さんにも
素敵な出来事や幸せがたくさん訪れますように
心から祈っています
当たり前の日常がこんなにも尊いことを忘れない
10年が経ち、変わらない決意を今一度胸に
悔いの残らない人生を生きよう✌︎