人生の試練って結構重なったりするもんですよね。。。
今だからサラッと試練なんて言えちゃうけど、ホントになんで?の言葉しか出なかった。
でも、今こうやってちゃんと乗り越え受容出来てるってことは、やっぱり私を成長させて下さるために
天から与えられた試練だったんだなぁって感謝にも似た気持ちになれるまでになりました。
そうです、息子がようやく特別学校に週何日か行き始めた2021年2月、私はある勉強のために学校に通っていました。
その時に乳癌が発覚
。発覚当時の様子は詳しくは以前のブログをご覧ください。。。
沢山泣きました。ようやくようやく、少しずつ少しづつモンタが学校に通えるようになったと思った矢先に今度は私が病院通いをするはめになってしまったのです。私が癌になってしまってこれから長い治療が始まって。。。
ステージ2bとはいえ、2か所に拡がってしまった癌細胞増殖の勢いは早く、最初の抗がん剤は効果がありませんでした。私がまさか癌なんて。。。モンタはこれからどうなってしまうんだろう。
でも幸いにも私はとても沢山の温かい支援や応援に恵まれて、少しづつ、泣いてはいられない
と癌と闘いモンタには辛い顔を出来るだけ見せないようにしようと決意をしました。新しい青年コンサルタントも状況を理解して下さってモンタと出来るだけいい時間を過ごしてくれて、そして誰よりもモンタ自身が状況を良く把握していて、又頑張るモンタに戻ってしまったのです。そして夏休み前には週に4回学校に通えるようになりました。私が抗がん剤で苦しんでベッドから出られない時は、時々寝室まで自分のキャンディや飲み物を運びに来てくれました。抗がん剤で抜けてしまった髪の毛に初めてウィッグを付けたときは「母ちゃん可愛いよ」と言って頭を撫でてくれたり。。。
。手術の後は傷跡を見せて、ここがとても痛いので、ギャーっと抱き着かないようにと何度も説明したり。
もちろん、モンタは自閉症だから、折り合いのつけられない説明の出来ない感情が溢れてしまったときは、大きな声を出したり、頭を自分で殴るなどの自傷行為をしたりも多々ありました。。。
私は性格的に嫌なことはすぐに忘れてしまうタイプなので、あまり記憶に残っていないのが不思議なのだけれど、病院の治療の間に学校の送り迎えをしたり、2か月の放射線治療の時は毎日車で20キロくらいの病院に通っていたので、何もかもギリギリで必死だったように思います。主人やお義母さんや周りの友達も日本の家族も、私に心から寄り添ってくれてなんとか乗り切れたのだと思います。
そして、私の放射線療法も終わりに近づき、私の治療が3週間に一度のハーセプチンだけになってきたころ。。。
頑張っていたモンタの心の糸は、クラス担任に対する不信と重なって、ぷつりと切れてしまったのでした。
ここで声を大にして言いたいのは、良く自閉症の子は共感能力が低く、空気が読めないと言われがちですが、
確かに、今ここの空気が読めず自分発信の会話が続くことは良くあります。でも、それは人の痛みに気づかないとか
人の痛みに共感出来ないということとは少し違う気がします。彼らは私たちが思っている以上に状況を良くわかっていて、自分の置かれている立場も把握していて、そして何よりも優しい気持ちを持ち合わせていることを忘れないようにしたいです。
そして、息子はまた二度目の登校拒否に入ってしまいます。。。