野沢尚の「魔笛」を読み終わった。
この小説は、オウム真理教をモチーフにした「メシア神道」が、次々と爆破事件等を起こす。
カリスマ女性教祖をはじめとした、幹部らの逮捕の後、メシア神道は影をひそめる。
メシア神道は、実質的に力を失った。
教祖の逮捕から5年後。教祖に出た死刑判決と共に、渋谷のスクランブル交差点で大きな爆破事件が起きる。
実は、その犯人は、公安がメシア神道に送り込んだスパイだった。
そんな物語だ。
勿論、フィクションである。
フィクションながらも、この物語は、
私たちの精神の隙間や脆さを、痛いほどに訴えかけてくる。
オウム真理教は、全盛期高学歴の大学生も、多く傾倒したと言われている。
宗教、殊に一部のカルトに見られる共通点として、
人々を様々な方法で、「思考停止状態」に持ち込む。
そこに、新たな価値観を埋め込む。
これを、洗脳と言うが、
興味を持って、様々な専門書にもあたったが、人間の精神をコントロールするのは、そう難しいことではないらしい。
何かのカルトにのめりこんで、自分を見失う人は、別に元々違う人間だったわけではない。
誰しも、その可能性を持っているのだ、と改めて感じさせられる一冊だった。
「人間は考える葦である」
これは、かの有名なパスカルが、パンセで語った言葉である。
どんなに辛くとも、考えることをやめてはならない。
脳のどこかは、動かしていなければならない。
思考停止状態につけこむのは、
歪んだカルトかもしれないし、
悪徳商法かもしれないし、
もしかしたら、
私かもしれない。
私は、
仏教のお寺でお葬式をして、
クリスマスをケーキで祝い、
近所の神社に初詣に行くという、
日本の典型的な無宗教の家庭で育った。
正直、宗教を信仰するという習慣はない。
世の中には、宗教を心の拠り所にして生きている人達の存在も知っている。
勿論、否定はしない。
この小説の主人公・照屋礼子には、
時折、教祖からの魔笛が聞こえるという。
私たちが気づかないだけで、
この世の中は、宗教のみならず、危険な魔笛だらけなのだろう。
今、片足を突っ込んでいる仕事で、
様々な人に出会うたびに思う。
見なくてもいい世界だろう、と。
そして、深入りはしたくないと思う一方で、好奇心を呼び起こす魔笛が聞こえる。
魔笛に呼ばれないように、
私は強くありたい。