風俗嬢の気まぐれブログ ~風俗嬢に至まで&日々の証~ -12ページ目

頭がおかしくなりそうでした…

今はだいぶ落ち着いてる。


さすがに昨日(今日だね…)夜は頭がおかしくなりそうだった(*>_<*)

考え込むストレスはやっぱり、

この子にもよくない。


病気に呑まれているようで

見えない不安にかられたり。

笑顔で過ごさないとこの子にも可哀相…。

笑顔になれる何かを探しながら、この子供に今出来る事をしてあげないとね…。

あたしを苦しめる全ては、罰。


逃げないで、罰をうけよう…壊れない程度に…。


そしてもう一度早めに病院へいこう…。

お医者さんと話しをしていく事が…

適切な行動のはずだから…


anna0304

弱音

人生の足跡を書いたり、

今のあたしを書いたり、
ぐちゃぐちゃしてるblogになってきてしまって
申し訳ありません。

人生の足跡は過去のあたしの歩んだ人生です。


今、こうして子供がお腹に居て、

色々と急に起こった現実に…あたしはきちんとできているのでしょうか…。


過去を振り返ると、やっぱりあの時は自分は、おかしかったなって思うように…

今のあたしもそうなのだろうか?と不安になったりします。


そもそも、不倫をして、子供が出来て、あたしとこの子が残り…。


決して…普通と呼べる状態じゃあないし、

こんなあたしが、
今、決断できる状況でもないきがしてきて…

だんだん、自分がおかしすぎるように思えてきます。


何をやってんだか…本当に。

普通がなんだかもさっぱりわからなくなるし…。

弱い自分に呆れるし。


病気にのまれてる気がして怖いし。

考えすぎてるのかな…汗


このままじゃ頭おかしくなるので…横になろう。

子供にもよくない…。


情けない(>3<)


本当にごめんね赤ちゃん(T-T)


弱音でした…
(*>_<*)

anna0304

人生の足跡14~大学四年生 二度の長期実習~

一年間の強制休学は
案外あっという間だった

大学から離れたあたしは少し本来の元気を取り戻していたと思う。

大学に戻る事は
正直、不安が大きかった。

一つ下の学年の人達と
うまくやっていけるだろうか…

一年間で大学で変わった事。

それは、M先生が大学を辞めた事だった


それは正直、嬉しかった。

だって…
どう考えてもひどい差別の嵐や出来事にあたしは理解出来なかったから。


M先生は結局、大学の先生方の派閥に負けて
大学をさる形になったのだった。


M先生のひどいいじめのような被害者は四・五人居て、皆、休学をくらっていた…。


でも、M先生は他の学校で今も教師をしている。


あたしは、あたしと同じような境遇に追い詰められている生徒がいないか、今でも考える。
どんなに悩んでいるだろうか…と。


大学は、嫌な思い出しかなく、あたしは電車に乗っただけで吐き気がしたのをおぼえている。


それでも支えてくれたのは心理学の先生がいたからだろう…。


足跡で載せてきた以外にも

たくさん振り返ると悪夢はあるが、のせきれていないのが事実だ。


あたしは病院をその頃に、また変えた。


パキシルという薬がパニック障害と、うつにきくときいた。

実際に、心理学の先生も飲んでいた。

体験談から、今までの薬より、副作用がないこと、効果があることをきいたが、


それまでのお医者さんは、パキシルをだすことはできないと言っていた。


それを機に、病院を試しに変えてみた。


今までの先生より、ずっと話しやすい先生だった。

どうして早くこの場所にたどり着かなかったのだろうか…と、その頃思った。


すんなり、パキシルの効果を説明してくれて、
あたしの症状に有効と判断して下さり出してくれた。


パニック発作はほとんど落ち着いた。

うつの症状はあったが。

効果を感じた。


大学へいき、新しいメンバーとなった。

その頃、確かに辛い思いもあったが、
昔のあたしより強くなっていたと思う。

それに、そのメンバー達の方がネチネチしたような感じもなく、自然な印象をうけた。


悪口が裏で飛び交ってた昔。

グループがかわると違うものだ。

環境は大きい。と感じた。


でもあたしは、どうしても、あたしがとりたかった資格を持つ先生方を尊敬出来なかった。

M先生はいなくても、
派閥はあったし、

顔色ばかり伺っていた。


M先生の影響もあったのだろう…。


失望しかなかった。


こんな人達みたいにはなりたくない!


それが逆に自分を奮い立たせていたかのように思う。

それから迎えた二度の実習。


行く前に、本当にいけるのか?と何度先生に呼ばれただろう…。


そのたびに先生のご機嫌とりだった。


心理学の先生自体も、
大学の有様にうんざりしていた。


そして、次々とやめていく先生方がたくさんいた。


実習は岩手の精神科と、福島のディケアだった。


あたしがこの時、唯一、尊敬出来る先生とおもえたのは、

岩手のバイザー[リハビリの先生]だった。


最初に恒例のように飲み会がある…。


あたしはその時に、何故休学になったのか聞かれた。

あたしは言葉につまり、
触られたくない過去にふれられて、涙が出てトイレに駆け込んだ。


その後やむを得ず、事情を説明することになった。

今、振り返ればやっぱりあの時はあの時で、

ストレスも高く、

なんで泣いてしまったのか今だと恥ずかしい。

でもきちんと言葉に耳を傾けてくれて、

ダメな奴というレッテルであたしを見ないで、
接して下さった事を今でもおぼえている。


はじめて自分の職種で
尊敬できる先生だった。


患者さんを決して弱者な扱いはしない。


リハビリの先生は偉いんだぞ!みたいな偉ぶった態度もなかった。


寝れないで体力的に辛い実習だったが

乗り切る事が出来た。

トラウマがあって
ひどく怯えていた実習で、失敗体験ばかりしてきたあたしが、はじめて尊敬できる先生に、
きちんとした評価をもらえた気がした。


二回目の実習。
これまた、眠れずレポートのあらし。

一日三時間寝たらいい方だった。


身体はボロボロだったけど何とかのりきれた。

この二つの実習で、
さすがに、病気があったあたしは限界に近かったけど


大学よりずっと
よい環境だった。


再び大学にもどる事となった。

でもやはり大学はトラウマの場所だった。

実習は合格を二つとも頂けたが、


大学の環境に戻るほど
憂鬱なものはなかった。


あたしは息切れしていた。


あと少し…この環境から逃れられるのも…あと少し…。

こう振り返ると、大学三年~四年生の中間までは、安定していた時期だったのかもしれない。

辛かった、苦しかった。

でも、振り返ると、大学1・2年の頃よりずっと
ましだったように思う。


この先に待ち構えていたのは、卒業研究と国家試験だった。

あたしの状態は、正直、息切れ状態だった。
そして、ささいな優しさが変な恋に巻き込まれ、繋がっていく…。


あたしはたぁとはずっとこの期間も続いていて、
あたしが安定していたのも、彼のささえがあったからだと今も思う。


続く