人生の足跡16 ~就職&おじの看病と死~
人生の足跡はあたしの過去を綴っています。
人生の足跡16~就職&おじの看病と死~
大学を卒業したあたし。
やっとの思いで大学を卒業した。
色々な傷が痛んでいたが、なんとか卒業できてうれしかった。
就職先は、福島市内のD病院だった。
国家試験の発表は4月に行われたが、
ろくに勉強できなかったあたしは落ちた・・・。
そこではもともとひとりの先生しかいないこともあって、
アシスタントという形で雇われた。
あたしは、大学のときのトラウマが抜けなかったが、
新しい環境ということもあり、
精一杯がんばろうと思った。
アシスタントという形でも雇ってくれた病院に感謝した。
実際の現場は楽しかった。
朝の8時半~夜の11時くらいまで
遅いときはがんばった。
患者さんとの交流。
すごくあたし自身も励まされた。
くたくたになりながらも、
上司の先生の技術を
何とか学ぼうと必死だった。
うつの病気は治らずに、
薬は飲んでいた。
それでも、がんばれたのは、
患者さんのおかげと、その上司のおかげだと思う。
このままベストを尽くして国家試験までがんばろう。
そう思った。
夢にまで見た仕事につけたこと、
アシスタントでもうれしかった。
それでも、病気が邪魔をして、
時に何か失敗をすると
涙が止まらなかったり、
上司にはめんどうをかけた。
上司にはうつだとういうことは告げていた。
注意散漫になることもよくあった。
それでも面倒をみてくれた上司。
感謝している。
春~夏(四月~九月くらい)にかけて、
必死にがんばった。
大学は毎日いけなかったあたしが、
毎日夜遅くまで休まずにいけたのは
うれしかった。
秋ぐらいに新しい先生が二人はいった。
はじめは、女の先生だった。
どこか抜けているところもあって、
その女の先生は嫌われていた。
常識を知らないというところも確かにあったが・・・。
それでも、あたしは、大学のころの先生に比べたら
よっぽどましに見えた。
次に男の先生が入った。
福島県内で有名な先生だった。
有名な先生が入ることに少し抵抗があった。
大学のころ、大学では有名な先生を集めていた。
そして見た現実は・・・
どうして人の痛みがこんなにわからない人たちなのだろう・・・
ということだった。
医療現場で働いているはずなのに、
痛みがわからず、追い詰める先生に
あたしはひどく傷つけられていた過去があった。
もしかしたら、この先生も?
おびえる気持ちが強かった。
実際に入ってみると、
最初はよい先生に感じた。
よかった・・・。
その先生の子供さんは白血病だった。
それが理由でD病院に転勤してきたらしい。
その先生のお子さんは、
冬に天国へ旅立っていった。
なんとも言い切れない悲しさがこみ上げてきた。
その先生のお子さんがなくなった後、
あたしのおじが入院した。
あたしの働いてる病院に。
昔から病気がちなおじだった。
C型肝炎だった。
歯医者さんで使いまわす針で
うつったらしい。
ヘルニアという形で入院してきたが、気がかりだった。
ひどく苦しんでいたからだ。
思わず涙がこぼれてきた。
自分でも、どうしてあの時、涙が出たのか不思議に思う。
何かを感じ取ったからだろう・・・。
おじは苦労していた。
奥さんはなかなかおじの看病をする人ではなかった。
おじが今まで入院しても、
看病をしたことがなかった。
それを知っていたから、あたしは、できるだけのことをしたいと思った。
おじは小さな頃からかわいがってくれたから。
入院することになったおじ。
その頃は冬になっていた。
あたしは、おじが入院した初日に、
仕事を終えてから、仕事着のままでおじの病室へと向かった。
すると、ベッドの上座りながらもがいてる姿を見た。
『どうしたの???』
『いや・・・いたくて。』
我慢しがちな性格って事はわかっていた。
『我慢しちゃだめだよ。今、看護婦さん呼んでくるからね。』
『悪いね・・・』
おじはそういった。
看護婦さんを呼ぶと、バイタル等をはかって、
『バイタルは大丈夫ですよ。』
との事。
ヘルニアなのになんかおかしい・・・。
あたしは思った。看護婦さんもやけにあっけないよな・・・。
『あたしのおじなんです。どうか宜しくお願いします。』
ナースステーションに挨拶にいった。
翌日、おじの妻があたしの母に電話をよこした。
『ずっと言おうと思ってたけど、癌なんです。もう、全身に転移していて打つ手がない
のです。』
母からあたしに事実を伝えられた。
『えっ。』
あたしは頭の中が真っ白になった。
C型肝炎は、末期には肝臓癌になり、全身に転移して亡くなっていくことは
わかっていた。
でも、まだおじは若いじゃない・・・。
56歳だった。
あたしは、信じられない部分もあった。
1年前からおじの奥さんは知っていた。
おじは癌のことは知らなかった。
あたしは、そのことを知ってから、急いでカルテを見た。
病名がたくさん綴ってあるなか、
確かに癌と記載されていた。
その中には不安神経症とか、
おじが死について色々恐怖感を感じていることを知った。
でも、死とは程遠いような姿でいるおじがまだ、そこにはいた。
やっぱり信じられなかった。
あたしの出来る限りのことはしよう。
リハビリのアシスタントという身で、内科的なことに関与はなかったが、
仕事の合間でも、やれることはしようと思った。
時間があれば、おじの病室へいった。
あっという間に個室にうつされたおじがいた。
『具合はどう?』
あたしがきくと
『ありがとう。』
そう答えていたのはほんの3日くらいだっただろうか・・・。
痛みが走ってる姿をみて、
マッサージをしながら、
ないてはいけないのに、涙が出てくる。
おじに悟られないように必死に涙を隠した。
『元気になったら、一緒にドライブいこうな。』
そんな言葉を聴いては
涙をとめるのが必死だった。
欠かさず、カルテをチェックした。
脳にもきていたらしく意味不明な言葉を夜中しゃべっていたり、
幼稚になっている姿が、カルテから確認できた。
お医者さんにも、挨拶にいったが、手のうちようがないのが気まずいのか
お医者さんはあたしの顔を見ることもなく、
『どうしようもないからね。。。』
といって、話はおわった。
『よろしくおねがいします。』
頭を下げた。
どうしようもないこと。。。わかってる・・・。
それでも、どうにかならないものかと思ってしまう自分がいた。
おじの病状は一気に悪くなっていった。
呼吸ができないのだ。
酸素マスクをつけても、肺に酸素がはいっていかなかった。
話していたおじは話せない状態になっていった。
酸素マスクも苦しくてとってしまう。
『酸素入らないんですけど。。。』
ナースにおもわず、焦っていってしまう。
忙しいのも知っていた。
どうしようもならないから、言っても仕方ないのもしっていた。
だけど、そのままに出来ない自分がいた。
時間があれば、おじの所へかけつけるあたし。
国家試験が再び3月に行われるのもあって、残って勉強していた。
だけど、何よりおじの命が大切だった。
新しく入ってきた上司に
『どうしてそこまでするんだ?試験があるだろ。』
といわれたが、
あたしは何より、おじの命が大切だった。
残りわずかな命でも、
国家試験はまた受けられるけど、
おじの今ある命は今しかない。
そう思った。
国家試験どころじゃなく、あたしは、おじの所へ駆けつけた。
脳に影響があるおじが一時期回復をみせた。
驚いた。
意識が低下していたのが、
話せるようになったのだ。
肺に酸素がいかずに、苦しんでいるのには変わりなかったが。
その姿を見たときに、やっぱり死んでしまうとは思えなかった。
おじは言った。
『まだ死にたくない』と・・・。
その言葉をきいたとき、
胸がいっぱいで涙をこらえるのが必死だった。
『何いってるのぉ~一緒によくなってドライブいくっていったじゃん。大丈夫だよ。』
必死にそんな言葉をかけるのがやっとだった。
『そうだよな。○○ちゃんの(私の名前)花嫁姿くらいみなくちゃな。』
それを聞いたときにまた涙があふれ出てきた。
ないちゃいけない・・・。
悟られないようにしたを向いて笑って
『そうだよぉ』
持ちこたえているようでまるで奇跡がおこるんじゃないかと思った。
奇跡があるのなら。。。おじを生かせてあげてください。
願うことしかできなかった。
でも、医者はもって一週間と家族につげた。
やっぱり信じられなかった。
『変な夢を見た。』
おじはあるとき言った。
『思い出したくもないおそろしい夢だった。』
おじは何を見たのだろう・・・。
夜もうなされっぱなしで息も出来ない苦しさで
暴れる姿があった。
持ちこたえたと思ったが、やはり、死へと確実に進んでいた。
家族が医者に呼び出された。
『痛みをなくす方法もあります。そのかわり、植物状態と一緒で死は早まるでしょう』
どこかまだ、死に対して信じられなかった家族や身内は
殺すということ?
そう思った。
でも、決断を出すのは、また後ほどということになった。
その日、ちょうど、あたしも仕事納めの日だった。
看病&仕事でくたくたになっていた。
今まで看病すらしなかったおじの妻も、
今回ばかりはさすがに看病していた。
おじの妻も看病に疲れきっている様子が見られた。
仕事が休みに入れば、ゆっくりおじを見れるだろうと
どこかほっとした時だった。
その日の夜、あたしは、たぁ(その当時付き合ってた彼氏)とあっていた。
電話がなった。
父からだ。
嫌な予感がした。
『まさか・・・』
その予感は的中した。
『○○おじさんが亡くなったよ。』
まさか、今日なくなるとは・・・。
あたしは、
『今すぐ行くから。』
たぁにお願いしていそいで車でかけつけた。
病院の廊下を必死に走った。
走る音が鳴り響いていたのをおぼえている。
病室をあけて
『○○おじちゃん!!!』
そういうとそこには、無口になって目をつぶっているおじがいた。
『今、処置中です。あちらでお待ちください。』
看護婦さんがそう告げた。
母の鳴き声が廊下から聞こえた。
処置が終わり、部屋に入った。
『○○おじちゃん、ねぇ、おきて』
あたしは必死に呼びかけた。
『○○おじちゃん・・・』
まだぬくもりが残っていた。
『つらかったね、苦しかったね。よくがんばったね。』
そんな言葉をなきながらいって、
おじは楽になれたかな?と心の中で思った。
苦しむ姿。それとは違う眠っているようなおじの顔があった。
話していたおじ。
もうどんなに呼びかけても何も話さなかった。
おじは、自分で葬式の手続きをしていた。
自分がいつ死んでもいいように、前もって、そうなったときのために手続きをしていた。
それは、奥さんも知らないことだった。
おじらしい・・・。
迷惑かけないようにってするやさしいおじだった。
自分で死ぬことをわかっていたのだろうか・・・。
いつ死んでもいいようにって覚悟していたのだろうか・・・。
いまだにそれはわからない。
でも、死と向き合っていた。
『まだ、死にたくない』
そういったおじの言葉が耳から離れない。
12月31日、雪がしとしとと降る夜だった。
まるでおじの悲しみのように雪が降るのを感じた。
やるだけの看病はできた。それだけが、自分の中で後悔のないこと。
今、おじは天国で苦しみから解放されていることを日々願っている。
杏奈