人生の足跡 13
~休学中 & 愛される事~
大学三年生。
あたしは休学となった。
一年間を無駄にしないようにと、
母親はヘルパーの資格をとらせてくれた。
仙台ではヘルパー二級と一級が一緒にとれた。
あたしは講義に参加し、
新たな自分の居場所を探した。
周りは大学と違って、
居心地はよかった。
あたしは、大学の友達よりも、ずっと高校の友達が支えであった。
その中の一人で、とても優しく理解してくれたのが、たぁ(仮名)だった。
すごく優しくて、何かあればすぐに駆け付けてくれた彼。
あたしと彼は次第に、自然と付き合う形になっていた。
ある時、
たぁ『俺達、付き合ってるよな?』
私『うん…いつから?』
たぁ『六月くらい?』
私『アハハ。後で、記念日決めようね。』
そんな会話から付き合ってるようにお互いが明らかにした。
愛される事。あたしは心地よかった。
愛していなかった訳じゃ無い。
だけど…明らかにたぁは私よりもずっと愛してくれたと今でも思う。
休学中の私と、大学三年生のたぁ。
大学は経済学部の彼で、
三年生の時は比較的、彼は暇だった。
あたしと彼は二人で全国制覇を目指して、旅行をした。
その合間にヘルパー二級の資格をとった私は、
発達障害者のヘルパーのバイトをしつつ、お金を貯めて、彼も、バイトをしながら、一緒に色んな所へ旅行へいった。
経費は二万円以下。
それで函館~静岡まで、一ヶ月ごとに旅をした二人は振り返るとすごかったな(笑)と思う。
あたしはその頃にはもう、高校の時の出来事を引きずる事はしなかった。
仙台と彼の実家(福島)を行き来しながら、
一緒にいないときって本当に少なかった気がする…。
喧嘩もいっぱいした。
でもいつも折れてくれたのはたぁだった事を覚えている。
我が儘だったなあたし…と今ではよく思う。
その頃は、大学から離れて、過ぎる時間は早かったけど、病気は安定していたように思う。
心理学の先生はきにして、よくメールを下さった事も覚えている。
この頃、おぼえた事。
それは人生に休養も必要なんだなと思った。
形てきには、強制休学だったけど、
休んでよかったと思った。
発達障害者のバイトも勉強になった。
リハビリの基本的な事をまなべた気がした。
そして、発達障害者がいかに、なかなか世の中で理解してもらえないか…あの頃よくわかったし、
発達障害者の親、特に、
母親はやはり、強いなと感じた。
自閉症の方の自傷行為には、頭から血を流してまで壁に頭をぶつけている方もいた。
やはりそういう方は、
環境や人に敏感だった。
慣れないあたしはトイレ介助の際に、
その方に不安な思いをさせてしまって、自傷行為をさせてしまった事もあった。
体力は必要だったけど、
がんばれたのは、新たな自分で出発出来たからだろう。
あの頃はこのまま暗闇から光が差し込むように、
見える世界が柔らかく見えた事を覚えている。
仙台に住んで、仙台のあちこちに車でたぁの車でよく行った事もあったし、
ヘルパーの仕事で色んな所が詳しくなり行き来してるうちに、仙台もかなり詳しくなった。
仙台に住んで三年目でやっと慣れたのを感じた。
そして…たぁは、あたしを救ってくれた彼だった。
今となってよくわかる。
ごめんね、あの頃我が儘で、わからなくて。
あの頃優しく愛情をたくさんくれた事に、
今は届かないが
感謝の気持ちでいっぱいだ。
そんなたぁとの付き合いは約二年~三年位だっただろうか。
続く
大学三年生。
あたしは休学となった。
一年間を無駄にしないようにと、
母親はヘルパーの資格をとらせてくれた。
仙台ではヘルパー二級と一級が一緒にとれた。
あたしは講義に参加し、
新たな自分の居場所を探した。
周りは大学と違って、
居心地はよかった。
あたしは、大学の友達よりも、ずっと高校の友達が支えであった。
その中の一人で、とても優しく理解してくれたのが、たぁ(仮名)だった。
すごく優しくて、何かあればすぐに駆け付けてくれた彼。
あたしと彼は次第に、自然と付き合う形になっていた。
ある時、
たぁ『俺達、付き合ってるよな?』
私『うん…いつから?』
たぁ『六月くらい?』
私『アハハ。後で、記念日決めようね。』
そんな会話から付き合ってるようにお互いが明らかにした。
愛される事。あたしは心地よかった。
愛していなかった訳じゃ無い。
だけど…明らかにたぁは私よりもずっと愛してくれたと今でも思う。
休学中の私と、大学三年生のたぁ。
大学は経済学部の彼で、
三年生の時は比較的、彼は暇だった。
あたしと彼は二人で全国制覇を目指して、旅行をした。
その合間にヘルパー二級の資格をとった私は、
発達障害者のヘルパーのバイトをしつつ、お金を貯めて、彼も、バイトをしながら、一緒に色んな所へ旅行へいった。
経費は二万円以下。
それで函館~静岡まで、一ヶ月ごとに旅をした二人は振り返るとすごかったな(笑)と思う。
あたしはその頃にはもう、高校の時の出来事を引きずる事はしなかった。
仙台と彼の実家(福島)を行き来しながら、
一緒にいないときって本当に少なかった気がする…。
喧嘩もいっぱいした。
でもいつも折れてくれたのはたぁだった事を覚えている。
我が儘だったなあたし…と今ではよく思う。
その頃は、大学から離れて、過ぎる時間は早かったけど、病気は安定していたように思う。
心理学の先生はきにして、よくメールを下さった事も覚えている。
この頃、おぼえた事。
それは人生に休養も必要なんだなと思った。
形てきには、強制休学だったけど、
休んでよかったと思った。
発達障害者のバイトも勉強になった。
リハビリの基本的な事をまなべた気がした。
そして、発達障害者がいかに、なかなか世の中で理解してもらえないか…あの頃よくわかったし、
発達障害者の親、特に、
母親はやはり、強いなと感じた。
自閉症の方の自傷行為には、頭から血を流してまで壁に頭をぶつけている方もいた。
やはりそういう方は、
環境や人に敏感だった。
慣れないあたしはトイレ介助の際に、
その方に不安な思いをさせてしまって、自傷行為をさせてしまった事もあった。
体力は必要だったけど、
がんばれたのは、新たな自分で出発出来たからだろう。
あの頃はこのまま暗闇から光が差し込むように、
見える世界が柔らかく見えた事を覚えている。
仙台に住んで、仙台のあちこちに車でたぁの車でよく行った事もあったし、
ヘルパーの仕事で色んな所が詳しくなり行き来してるうちに、仙台もかなり詳しくなった。
仙台に住んで三年目でやっと慣れたのを感じた。
そして…たぁは、あたしを救ってくれた彼だった。
今となってよくわかる。
ごめんね、あの頃我が儘で、わからなくて。
あの頃優しく愛情をたくさんくれた事に、
今は届かないが
感謝の気持ちでいっぱいだ。
そんなたぁとの付き合いは約二年~三年位だっただろうか。
続く