久々のブログ
今日はプライベートな覚書
自分に問いかけのようにブログを書いてみる。
私は父と血が繋がっておらず
母の連れ子としてわたしが小学2年の時から
今の父に育ててもらった。
因みに実の父は見た事がない。
再婚するにあたり 子供の意見など聞かれもせず、風呂有りの母の実家から風呂ナシのアパートへ引っ越すことになった。
当時、何故母はこんな貧乏な男と結婚したのか全く理解できなかった。
そして
私が19の時クモ膜下出血で倒れた。
父は42歳、私はとうに越した歳だ。
後遺症は記憶全般。
今行ったトイレのこと、食べたも、家族の顔まで記憶できなく、身体の後遺症はなかったのがむしろタチが悪く
1人で置いておけない状態だった。
皆が気づかぬうちに家を出て行った日には帰ってくる事すら出来ない、犬や猫より酷い・・
タクシーに乗って無銭乗車で警察に保護?されるのは日常茶飯事だった。
その父と母の間に生まれた妹2人は小学生。
一家は路頭に迷った。
そして、私は働いた。
でも、たぶん父が倒れていなくても居場所がないと思っていたので、働いてはいたと思う。
断然、一家を支える為にという目的意識が変わったのは確か。
そんな経緯がある。
いつしか、私はお金さえ入れれば自分の使命を果たしていると思い、実家には正月すら帰らないでいた。
その後、私は子供を産み、たまに実家に顔を出すも、
まったく変わってしまった父の扱い方が分からず困惑した。
父の脳は病気の為壊れているのだとわかっていても、
同じ土俵に乗ってしまい、
全く無意味な嫌味を本人に吐いたこともある。
理性を司る脳が破壊されているので、
気分を悪くするかもしれないが、
気持ちがいいという快楽が率先して
外だろうと娘だろうと目の前でマスターベーションしてしまうのである。
これにはどうにも応えた。
嫌だと訴え様にも相手は脳みそが壊れた人間。
血が繋がってないから労わることが出来ないのか?
とても悩んだが、嫌なもんは嫌だったし。
逃げるしかなかった。
笑い話もある。
たまには一家で回転寿司でも行こうとなり
父を宥めながら席に座った途端
流れてくる寿司を片っ端から食べってった。。。
素晴らしいレーンからの直食いを披露してみせた。
倒れてから28年
今父は施設にいるが我慢する事がなくなった
ストレスフリーの人間の寿命は少し伸びるのだろうか、
禿げ上がっていた頭髪も生えてきて、
私が想像してたよりも長生きしている、
いや、私は心の中で
早く死ねばいいのに。
と常に思っていた。
母が父と再婚した時、殆どの世話と教育をしてくれた、大好きな祖母と別れなければならなかった、
大好きだった親友と離れなければならなかった、
母は私に相談もしてくれなく
心の準備もないまま大切なものとお別れする日が来た。
母はいつだって父を最優先してきた。
後から入ってきた奴なのに、という思いがいつもいつもあった。
私に子供が生まれた時も、孫より父の世話最優先だった、
それは人として弱者を最優先して考える当たり前のことなのに、私からはいつも2の次ですごく寂しかった。
母は母で必死だったのに。
倒れる前の
くも膜下の兆候はあった。
気持ちが悪いと帰ってきたり、
常に怒ってばかりの父が大嫌いだった。
今考えればそれは人間性ではなく脳の中で異変が起きた事によっての事だったのだろう。
それでも、不摂生をしていた本人の自己責任とさえ思っていた。
私の恨み的な事はたくさんあった。
今シングルマザーで子供を育てている、
父のいる施設は歩いて10分のところなのに
もう何年も会いに行っていない。
私の中でもうとっくに死んだ人と思っている。。。
昨日母からLINEで
父がここ数日ものが食べられなくなっていて、
今は点滴で凌いでいる、延命は希望してないからあまり長くないかも。と。
母は私に父へ感謝しろ、行ってくれ。というが、
今更行って、私のこともわからないのに、
見ても目を背けたくなる光景だろう。
父の人生に想い馳せてみても、
惨めな人生だなとしか思えないだろうと思っていた。
今朝、児童虐待の動画がどのテレビをつけてもやっていた。
なんとなくこの母親は捕まったことによってホッとしてくれたら救いだなと感じた。
脳がまだ未熟な子供に対して苛立ちを、
押さえつけ支配する単純なやり方に、
いけないと分かりつつ、いつしかクセづけされ、
本人も苦しかったのではないか、と。
もちろん子供にとっては閉鎖的な環境でたまったもんじゃない。
はっと思いだしたんだよね
このお母さん子供と同じ土俵に乗ってしまっている。
かつて、私が病気の父に対してとった気持ちとおなじ。
その人格と脳の仕組みがわかるようになって
私は子育てにとても役に立っている気がした。
別人格者だからこそ尊重し、脳が発達してないその人と同じ土俵に乗ってはいけないこと。
そして家族として、信じ導いてあげられる様サポートし見守る事しか親はできないと思っている。
そんなことに思いふけていたら
ふと、父に逢いに行けそうな気がしてきた。
少しずつ自分の気持ちが楽になってきたのがわかった。
少なからず私の成長に携わってくれた。
自転車の乗り方もテニスの撃ち方も
夜中にこっそりコーラを買いに連れて行ってくれたことも、
言葉数が少なかった父だから印象が薄かったけど
彼は連れ子のわたしに遠慮しながらも必死だったに違いない。
会いに行ってみて、やっぱり見なければ良かったと思うかもしれないけど、自分の気持ちと向き合ういい機会をくれたと思えるだろう。
自分の心がどう動くのか見に行こうと思う。
そう、こうやって書かしてもらって思い出すこともある。
ありがたい。