2、病弱な娘
医師から生活上の注意点をたくさん指摘されつつも、人並みの生活が送れるようになってきたころ、またも、禁止事項が追加された。
自転車禁止。
当時の私には理解できるわけもなく、当然怒り散らした。でも、大人達は理解していたようで、私の自転車の話さえ無視するようになった。
ある日、自宅にピンク色の補助輪つきの自転車が届いた。
送り主は、母の父。私のお爺ちゃんだ。
もちろん、その後2人が揉めたのは言うまでもない。
「確かに、転倒の恐れもあるし、この子の病気から考えれば、自転車は危険かもしれない。でも、この子はあの時、死なずに助かった。生きているんだ。
自分のやりたいことを全て禁止され、生きているこの子に生きる意味や命の大切さを感じることはできない。どうしても無理なことは仕方がない。でも、できる限り普通の子と同じようにしてやりたい。」
お爺ちゃんが、切々と訴えていたのを私は覚えている。そして、そのお爺ちゃんにどれだけ感謝し、何度お礼を言ったのかも。
やっと、自転車を手に入れた私だったが、その頃、周りの子達は既に補助輪無しの自転車に乗り始めていて、私は、いじめの対象となった。
体が弱く、学校を欠席することも多かったから、いじめやすかったのかもしれない。
私は、ひたすら勉強をした。お兄ちゃんのおかげで文字も読み書きもできたし、勉強が大好きだった。
補助輪無しの自転車も望んだが、それは、命の危険を伴うと言う理由で却下された。
でも、ある日父が中学校までの距離を測ると3.5Kmもあった。
つまり、嫌でも自転車通学の日が来るのだ。それから、私の自転車レッスンが始まった。
やっと、自転車に乗れるようになったのは、小学校4,5年生ごろだった。
その自転車は、あまり中学生になった私の役に立つことはなかった。
私が小学校に入学したのを機に運転免許を取った母が自転車の変わりに送り迎えをしていたからだ。
当時の私は、自由がないことに腹を立て、母に八つ当たりした。
お母さん、ごめんね。そして、毎日ありがとう。大変だったよね。これからその分お母さんのために頑張るからね。