心屋仁之助さんの記事です。
私のチェックリストにココロヤさんのブログは入っているのですが、
あまり訪ねていくことはなかったのです。
が、キラリさんの記事を読んだのがきっかけなのかな?
ま、良く分からないのですが、
久々に尋ねてみました。
そして、心に引っかかった記事、
それが以下です。
「どうせ愛されてるし」
私もこれを念仏にしよう!
http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-11703916316.html
私は相変わらず、
毎日をそこそこ楽しく、時々失敗し、
思えば私が捨てた「夢」も、
元々は単なる「楽しいこと」だったはずですが…
褒められたい、稼ぎたい、尊敬されたいの気持ちが
さて、生活の方は随分とスッキリ明るくなりましたが、
私にはもう一つ、人間関係という壁が残されておりました。
心屋さんは、「どうせ愛されてるし」を
実のところ、何かを沢山唱えるとか、
でも、せっかく節電法で
口に出すのは気が乗らなかったので、
うつの影響か生まれつきのものか、
傷付くのを極端に避けていたのだと思います。
傷付くというのは他人の手によってではなく、
自分の勝手なイメージで自分を傷つけること。
それが、面倒で、怖くて、不安で、嫌い……だったから。
「どうせ愛されてるし」と思い続けるようになって、
思考の癖が少しずつ変わってくるのが、
今までは、例えば誰かが会話中に苦笑いを浮かべると
「私なにか変なこと言った?それを笑われた?バカにされた?」
誰か遊びに誘ってくれるような人がいれば
「怖い、面倒、気を遣わなければいけないし、また嫌な思いをする」
でも「どうせ愛されてるし」としつこいほど考えていると、
ふと自分勝手な想像が浮かびそうになったときも、
そして、
子供もイヤイヤ言わなくなりました。
結局、勝手にバカにされた気になって、
他の人にも、たぶんずっとそうでした。
でも、自分の中では、
また、節電法が人付き合いにも関係してくるなぁ、
別に好かれなくてもいいと思っているのに、気を遣ったり…
一人がいいと思っているのに、愛想よくしてみたり…
みんなを大事にしようとするから、
そして私は、ずっと傷付く側の人間だったんだ、ということですね。
実は私、車を運転するのが怖いんです(笑)
煽られたり、クラクション鳴らされたりすると、
「どうせ愛されてるし」って続けていたら、
そのうち喜んで運転できるようになるのかな、なんて思いました。
どうせ愛されてるんだなぁーって自信が育てば、
自分が正しいのかどうかなんて、気にしませんものね。
ここ最近の自分の変化を体感するにつけ、
理解は経験の後から付いてくるんだということ。
理解してから動く、なんて無理なんだなーということです。
実行して実感して初めて、頭で理解できると。
…今さらですね^^;
私がこうしてメールで送っている内容は全て、
ぜーんぶ心屋さんが、ブログに書いてきたことですものね。
でも、経験するまで、理解できなかったんです……お恥ずかしい。
私のチェックリストにココロヤさんのブログは入っているのですが、
あまり訪ねていくことはなかったのです。
が、キラリさんの記事を読んだのがきっかけなのかな?
ま、良く分からないのですが、
久々に尋ねてみました。
そして、心に引っかかった記事、
それが以下です。
「どうせ愛されてるし」
私もこれを念仏にしよう!
http://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-11703916316.html
先日、大きな反響を頂いたこちらの記事、
紹介させていただいたSガさんから
またメッセージが届きました。
また面白いのでそのまま
ご紹介させていただきます(*^_^*)
いつもありがとー(^v^)
--
私は相変わらず、
「節電法」(←と勝手に名付けてしまっています)
を続けており、
毎日をそこそこ楽しく、時々失敗し、
新しい発見に驚きながら、暮らしています。
ある夢を捨てた結果、
ある夢を捨てた結果、
新たな楽しいことが見つかりました。
思えば私が捨てた「夢」も、
元々は単なる「楽しいこと」だったはずですが…
褒められたい、稼ぎたい、尊敬されたいの気持ちが
それを「夢」とか「目標」にして、
自分で楽しくないものに変えてしまったのですね。
自分で楽しくないものに変えてしまったのですね。
さて、生活の方は随分とスッキリ明るくなりましたが、
私にはもう一つ、人間関係という壁が残されておりました。
それについて、心屋さんがよく仰っておられる
「どうせ愛されてるし」を試してみることにしたのです。
それの感想を、これまた衝動的に書かせて頂きました……。
「どうせ愛されてるし」を試してみることにしたのです。
それの感想を、これまた衝動的に書かせて頂きました……。
心屋さんは、「どうせ愛されてるし」を
何百回と唱えましょう、と
推奨なさっておられますね。
推奨なさっておられますね。
正直に申しあげて、
私はずっとそれを、敢えて避けてきました。
実のところ、何かを沢山唱えるとか、
とにかく繰り返し呟き続けるとかいうのが
どうも宗教臭く感じられて、
苦手だったからです(すみません…)
でも、せっかく節電法で
新しい一歩が踏み出せたのだし、
という何か勢いのようなものに
後押しされまして(笑)
口に出すのは気が乗らなかったので、
頭の中で繰り返してみることにしました。
うつの影響か生まれつきのものか、
とにかく人と接するのが苦手で、
面倒、怖い、不安、嫌い、というイメージを
他人に対して抱えていました。
傷付くのを極端に避けていたのだと思います。
傷付くというのは他人の手によってではなく、
自分の勝手なイメージで自分を傷つけること。
それが、面倒で、怖くて、不安で、嫌い……だったから。
です、多分。
「どうせ愛されてるし」と思い続けるようになって、
思考の癖が少しずつ変わってくるのが、
実感としてありました。
今までは、例えば誰かが会話中に苦笑いを浮かべると
「私なにか変なこと言った?それを笑われた?バカにされた?」
と思ったり。
夫が連絡なしに帰りが遅かったりすると
「私は連絡する価値がないと思われている?バカにされている?」
「私は連絡する価値がないと思われている?バカにされている?」
と思ったり。
誰か遊びに誘ってくれるような人がいれば
「怖い、面倒、気を遣わなければいけないし、また嫌な思いをする」
と拒否したり。
でも「どうせ愛されてるし」としつこいほど考えていると、
ふと自分勝手な想像が浮かびそうになったときも、
「まぁ、どうせ愛されてるし…」という言葉が、
余計な妄想の広がりを、遮断してくれるようになりました。
余計な妄想の広がりを、遮断してくれるようになりました。
そして、
何がどうしたことか、夫が優しくなりました。
子供もイヤイヤ言わなくなりました。
私があんまり責めなくなったんだから、
当然といえば当然ですが…
結局、勝手にバカにされた気になって、
私が先に、彼らを攻撃していたんですね。
他の人にも、たぶんずっとそうでした。
怖がりの私が、
相手に先制攻撃をし続けていました。
そして、関わりを避け、
すごい勢いで逃げ続けていました。
でも、自分の中では、
自分が被害者だと本気で信じていました。
違いました……私こそが、
人を傷つけようと頑張っていました。反省。
また、節電法が人付き合いにも関係してくるなぁ、
ということにも気付かされました。
別に好かれなくてもいいと思っているのに、気を遣ったり…
一人がいいと思っているのに、愛想よくしてみたり…
これって、無駄な電力だなぁと、思いました。
大事にしたい人を大事にすればいいんだって。
大事にしたい人を大事にすればいいんだって。
みんなを大事にしようとするから、
疲れてしまうんですよね。
人を傷付けるのは人じゃない、
みんな自分で勝手に傷付いてるんだなぁと。
私が自分勝手に振舞ったって、丁寧に振舞ったって、
傷付く人は傷付くし、傷付かない人は傷付かないんですよね。
傷付く人は傷付くし、傷付かない人は傷付かないんですよね。
そして私は、ずっと傷付く側の人間だったんだ、ということですね。
実は私、車を運転するのが怖いんです(笑)
煽られたり、クラクション鳴らされたりすると、
とっても怖いし傷付くんです。
何もなくても、
「この運転で誰にも迷惑かけてないかな?」って気になって、
ちっとも気が休まらないし、ドキドキイライラするんです。
「この運転で誰にも迷惑かけてないかな?」って気になって、
ちっとも気が休まらないし、ドキドキイライラするんです。
「どうせ愛されてるし」って続けていたら、
そのうち喜んで運転できるようになるのかな、なんて思いました。
どうせ愛されてるんだなぁーって自信が育てば、
自分が正しいのかどうかなんて、気にしませんものね。
ここ最近の自分の変化を体感するにつけ、
一つ重大なことに気が付きました。
理解は経験の後から付いてくるんだということ。
理解してから動く、なんて無理なんだなーということです。
実行して実感して初めて、頭で理解できると。
…今さらですね^^;
私がこうしてメールで送っている内容は全て、
ぜーんぶ心屋さんが、ブログに書いてきたことですものね。
でも、経験するまで、理解できなかったんです……お恥ずかしい。