オイチャンは怒った o(`ω´*)o プンスカプン!!

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昨日ある人と電話で話をしていて、言った言わないの話になって、久しぶりにイライラして(笑)、あ~自分にもこんな感情が残っていたんだと、いまさらながらに当たり前の人間としての自分を感じました。

人間はどこまでいっても人間。

克服されたものなどなく、ただいつもあるがままにあるんですね。


たとえば怒りなどの感情は、どんな人の心の中にも可能性として秘められています。

無くなるということはないのです。

ただ、その感情との付き合い方が洗練されていくだけです。


僕などはまだ未熟なので、昨日のようにカッとしたりすることもありますが、それでいいのだと知っているだけ楽ではあります。

もし頑張って何年もかけて修行して、穏やかな人格を身にまとって生きてきたのに、何かの拍子にまたお馴染みの怒りが湧いてきたとしたら、

「自分の修業は何だったんだ」

「元の木阿弥だ」

って、失望しちゃいます。


それは、人間はマイナス感情を克服して無くせると思っているからです。

しかも世の中には、「もう無くなったよ」みたいな顔する人格者もいるので、そうかなと思ってしまうのです。


でも人間には、克服すべきものもなければ、克服できるものもありません。

ただそのようにして在るのです

プラスもマイナスも、両方内在しているのが人間種という生き物です。

サムちゃん(グレイトちゃん)は、そのようにして人間を作りました。


「完璧な人格」という神話が、自分を認められない要因になっていると思います。

自分を認めるというのは、どこまでいってもしょうもない自分を、それでいいし、それ以外の可能性はないという事実を認めるということです


というわけで、昨日カッとした自分を承認してあげました(^o^)

自分、可愛い。

自分、好き。



人生は面白いですね。

何ひとつ偶然はなく、何一つ無駄もなく、起きることが起きていきます。


自分から見て受け入れがたいことも、全体の中で必要なことだから起きています。

もし僕たちが全体を見通せる眼差しを持てたとしたら、「この世はすべて、完璧にしてこともなし」ということが見えてきます。

人間というのは、視界を限定させることによって、さまざまなドラマを作り出す劇作家なのかもしれません。


今日もお互いに、それぞれの劇の中で戯れましょう。



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【感想】   
阿部さんからの転載です。

最近マイナスだな、、と思うような自分がいました。
そんな自分を否定してる私がいます。
克服しなければ、、、と無意識に思っているのです。

でも、克服すべきものでもなければ、克服できるものでもない、、、と阿部さんは言ってます。
実際そうなんだと思います。

自分を認めるというのは、どこまでいってもしょうもない自分を、それでいいし、それ以外の可能性はないという事実を認めるということです

そうなんですね。

私という人間は、しょうもない人間だ、、、と認めることが出来たら、
解放されるな~、、、と思う。

ちょっとチャレンジしてみよう。