日の出前
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まだ雨が降ってました☔️
最初の目的地に向かっていると
吹かれてくるような雪になって⛄️
やんだかと思ったら
また降って⛄️
なんだか右肩が痛重い💦
着きました!
女人禁制の
石上神社(いわがみじんじゃ)⛩️
淡路市舟木514-11
ここはなぜか最初に来たい!と
思ったところ✨
✨✨✨
次に向かったのは
常隆寺✨
淡路市久野々154
雪がうっすら⛄️
淡路に流された淳仁天皇が
父の舎人親王のために
創建したものと伝えられています。
その後(延暦年間に)
恒武天皇が
皇太子早良親王のために
増建し
勅願所となったとか。
頂上の奥の院からは
東の海や西の海
両岸の景色が見られます🔭
瀬戸内海国立公園に指定されてます✴️
お山のテッペンだから
風が強くてちゅメタい🥶
細く曲がりくねった道を下ります🚙💦
💡
右肩がスッキリしてる👀
❤️♨️
雲間から
陽も差してきました☁️🌞☁️
そして🚙
淳仁天皇陵 高島伝承地(高島の森)
淡路市北山
☝️手前のお山が淳仁天皇陵
向こうに見えるお山に
大神神社(おおみわじんじゃ)⛩️があります。
淡路市下河合544
☝️祭神は
天照皇大神
三十番神
淳仁天皇
そして
伊弉諾神宮⛩️
淡路市多賀740
伊弉諾神宮の正面の道を少し登って
淡路市立香りの公園
☝️の中に
☝️淳仁天皇の衣冠塚(えかんづか)
淳仁天皇の衣冠(衣服と冠)を
御霊代(死者のたましいのしるしとして祭るもの)
として葬った塚。
👇️妙京寺さん
淡路市中村126
淳仁天皇と
生母の当麻山背(たいまのやましろ)の
位牌が祀られています。
○ 淳仁天皇陵 高島伝承地
○ 大神神社
○ 伊弉諾神宮
○ 淳仁天皇の衣冠塚
○ 妙京寺
☝️の5所は
隣接地区にあって
淳仁天皇が三原の地(現在の南あわじ市)へ
幽閉される前に
滞在された地らしいのです。
昔は
神仏一体で
神社とお寺が一対。
その一対が
伊弉諾神宮と妙京寺らしい。
高島の森は
妙京寺さんの以前のお寺があった場所
今年で移転して500年を迎えられます。
淳仁天皇が遠忌されて
1257年ほど。
淳仁天皇陵 高島伝承地と
淳仁天皇の衣冠塚を
妙京寺さんがお世話されて
大神神社を
伊弉諾神宮さんが
年二回お祀り事をしていらっしゃるとか。
淳仁天皇がこの地にいらした頃は
お幸せだったと
代々伝えられてるそうです。
大切にされていたようですね。
💫ここまでのお話は
私が淡路島に来てから(昨年の8月末)
初めてお会いする方々が
私に薦めてくださったり
詳しくお話くださったり
教えてもらった所に行こうとして
道を間違ったら見つけたり
…
いろいろなことが
重なって
お話が繋がっていきました。
次に参ります🚙
☝️野辺の宮(天皇神社)⛩️
南あわじ市市十一ケ所398
淳仁天皇が幽閉されていたという説の所。
☝️宝積寺
南あわじ市市十一ケ所456
淳仁天皇の菩提寺と伝えられています。
☝️大炊神社⛩️
南あわじ市志知中島231
淳仁天皇の初葬地と伝えられています。
☝️賀集八坂神社⛩️
南あわじ市賀集八幡734
幕末までは
淳仁天皇 淡路陵の中にあり
天王社と称してました。
明治以降
賀集八幡神社境内に移されて
摂社となったそうです。
☝️萬福寺
南あわじ市賀集加治屋87-1
淳仁天皇の御陵と
御母当麻夫人の
墓守を勤める僧侶の宿坊として
創草されましたが
次第に廃退していき
後に再興され
御陵の安穏と
民衆の安泰を
祈念する寺院として
継承されてきました。
☝️大夫人山背 淡路陵
南あわじ市北阿万筒井
淳仁天皇のお母様のお墓です。
☝️淳仁天皇 淡路陵
南あわじ市賀集
公式に淳仁天皇の陵墓とされています。
長々とお付き合い下さいまして
ありがとうございます🙇
神社仏閣を回っているうちに
私が先延ばしにしてたことのように
思い始めました。
私が淡路島に来たことの意味が
この中にあるような気がして✨
昨年の3月に淡路島の神社巡りをして
その時に
諭鶴羽神社を下りる際
でっかい虹が出て
それを見た主人が
「淡路島に住みたい!」と。
5月に三重の家でのセッションが
どうもシックリこなくて🤔
相談した方が主人の話を聞いて
「淡路島だね!」って。
6月に部屋探し
7月に契約
8月に引っ越し
凄いスピードでした😲
そして
次々に
いろんな方々が私に
お話してくださって
お話が繋がっていったのです。
これは私の
レポート📝✒️です😊
綴っている間にも
感謝が湧いてきます。
筋書きのないストーリー📖
なぜか
ワクワクしてます💓🎶⤴️
感謝いっぱい🈵✨
神様、ありがとうございます💖
神様、愛してます😘
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