(今回は凄く長い文章で、絵文字も
使わないので、不登校に関することに
興味がある人、悩んでいる本人や
親御さんだけでも読んで頂けたら
幸いです。)

かつて、私は不登校児でした。

中学に入学して、いわゆる不良
グループの中の1人と付き合うこと
になって、私自身は不良でも何でも
ない、普通の中学生で、付き合うと
いっても、学校では手紙を渡し合う
程度で、登下校を一緒にする程度の、
今 考えれば可愛らしいお付き合い
でした。

しかし、先生や親は、そんな風に
考えてくれません。

私は何故か、1人で職員室に呼び
出され、あんなグループの子とは
別れなさい、今からでも遅くない、
変なことはされていないか、
と失礼なことばかり聞かれました。

家庭訪問や三者面談などで、
先生が親と合うたび「こんな不良と
付き合っていますよ」「学校に一緒に
登校して来ますよ」と 全て報告され、
親との関係は最悪になりました。

それまでも小さな頃から、父が
しつけに厳しく、しかられる時は
叩かれていたのが、叩かれるだけじゃ
なく机やカバンの中までチェックされ
日記や、交換した手紙も広げて
父に全て提出させられました。

髪が伸びると、色気づいていると
言わんばかりに、父に洗面所で
適当にハサミで切られました。

学校では、目立つグループの子と
付き合っているというだけで、
教科書や靴が無くなったり、
イタズラ電話などの嫌がらせも
時々あったけれど、何か無くなると
みんなで探してくれたり、仲の良い
友達も沢山いたので、私は学校が
好きでした。

進路相談の頃になって、将来の夢を
考え始めたころ、私は保母さんに
なりたい、と母に話しました。

母の返事は「うちの家系に保母は
いらない」でした。

進路を決める三者面談で、先生と
母が、この子は男の子の居ない学校に
入れた方がいい、と決めてミッション
系の女子高に進学させられました。

私立で面接があったのですが、
事前に女子高側と話しがついて
いるようで、面接ではこの質問が
あるから、こう答えるように、と
親から指示があり、面接官は父の
知り合いで、私は事前に言われた
通り答えて合格しました。

同じ中学の友達がほとんど居ない、
中学からエスカレーターで上がって
来た生徒が多い教室で、高校からの
入学生は少し肩身が狭い雰囲気が
ありました。

私と同じように、高校から入学した
後ろの席のA子に声をかけられて、
仲良くなったのも束の間、A子が学校に
来なくなったので、心配で電車に乗って
自宅へ会いに行き、学校に来てね、
と伝えました。

A子は学校とは雰囲気が違っていて
タバコを吸いながら私の言葉に
適当に相づちを打っていましたが
その後、学校に来てくれました。

私達は高校から入学した子たちと
自然とグループになっていました。

中学では部活をしなかったので、
高校ではテニス部に入り自分なりに
頑張っていました。

夏休みが終わり、新学期が始まるころ
中学時代から付き合っている彼に、
お前は親が厳しくて夜も一緒に遊べ
ないから、と言われて別れました。

学校で別れたことをA子に話すと、
紹介したい男の子がいると言われ
ました。

私は別れたばかりで、会う気はない、
と言うと、A子は 私の顔を潰す気か
と言いました。
私は断れなくなり、その男の子(B君)
とA子と、A子の彼と4人で会いました。

B君は柔道部で暴走族で親が組関係
の人でした。

半ば強引に付き合いが始まりました。
そんな時、学校でのA子の態度が急変
しました。

A子の彼が、私を褒めたのが原因
でした。
A子は私を無視しました。

私が他の友達と話していると、
その友達を必ず自分のところへ
呼んで、私が学校で話す相手が
居ないようにしました。

みんなもA子が怖くて逆らえない
ようになっていました。

誰とも話すことが出来ない教室に
いるのも嫌で、時々 保健室のベット
で授業をサボりました。

すると、体育の授業中にある生徒が
「妊娠してるって本当?」といきなり
聞いて来ました。

言い出したのは、A子だと解っていた
ので、妊娠なんかしてないよ と答えて
私は内心、バカバカしいイジメだな
と思っていました。

しかしその後、両親が学校へ呼び
出されました。

校長先生のところへ、私が妊娠して
いて相手も知っている、と言う電話が
あって騒ぎになっていました。

教頭や学年主任、担任と両親に囲まれ
て尋問のような質問を受けました。

付き合っている相手がまた不良(笑)
ということで、さらに両親は厳しく
なり、私は耐えきれず家出をしました。

中学の頃の不良グループの女の子の
家が、家出した子のシェルターの
ようになっていて、泊まらせて貰えた
ので、その家に泊まりました。

朝、目が覚めると目の前に父が
立っていて連れて帰られました。

その家が、家出する子のたまり場
のようになっていることを、警察も
把握していたので、すぐに見つかって
しまいました。

両親が学校にも、私が家出したと
伝えて、一晩中、探し回っていたので
学校からは謹慎処分になり、家から
一歩も出ないように言われました。

もう学校には行きたくないし、家も
安らげる場所では無かったので、
謹慎処分がとけて登校する日に
今度はそのまま学校へ行かず、
電車とバスと歩きで4時間ほどかけて
親戚の家へ行きました。

祖父や叔母やいとこが住むその家に
突然、学校に居るはずの私が制服で
来たのを見て、何も聞かず叔母が
炒飯を作ってくれました。

私は涙を堪えながら、それを食べ終えると、疲労感と安堵感でその場で眠って
しまいました。

目を覚ますと、母が来ていて、
もう学校に行かなくていいよ
と言ってくれました。

その夜、初めて両親と向き合って、
叩かないで聞いて欲しい、と
お願いして、本気で 学校を辞めたい
と言いました。

私はその瞬間、父に思い切り叩かれ
父は制服やカバンや私の持ち物を
窓から外へぶちまけました。

父も母も、不登校の子供の気持ちが
解らず、かなり戸惑っていました。

不登校に関する本を読んだり、
私を精神科のカウンセリングに 
連れて行きました。

バウムテストやロールシャッハテスト
などの心理テストを受けて、
病院の先生から「子供はあなたの
人形じゃない」と父が叱られました。

学校では、私から退学を言い出す
のはよろしくないようで、
何とか退学せずに自宅学習という
形を取るように言われ、時々 学校から
先生が来て、勉強を教わったり、
読むように指定された本の感想文を
書いたりして過ごしました。

それでも私の退学の意思は変わらない
ので、学年主任の女の先生が、もう
辞めるなら、今まで嫌だったことを
全部話してしまいなさい、あなたは
色んなSOSを出していたはずだ、と
親の前で言ってくれました。

イジメのこと、父に叩かれていること
ついでに、すぐ肩を組んで来たり
体に触れる先生がいて、触られると
その日はみんなに一日中汚いと言われ
る事など、全部話しました。

学年主任の先生は、体に触れる先生の
事に激怒し、父にも「二度と娘さんを
ぶたないと今、誓って下さい」
と言ってくれました。

父はあの日から私を叩いたことは
一度もありません。

こぶしを挙げたことや、怒鳴ることも
まだありましたが、殴られることは
ありませんでした。

私は学校を退学し、夜間の学校へ
次の年に入学し直すことにしたの
ですが、その前に公立高校の試験も
一応受けて欲しいと親に説得されて
受けてみたら、まぐれで合格しました。
入学式が終わって、最初の日に、
1人ずつ自己紹介する時間があり、
思い切って、1つ年上だと話したので
後から噂されることも無く、担任にも
お前は勇気があって大丈夫な子だ、と
言ってもらい、友達も沢山出来て、
クラスの中で1番普通で、全く不良
じゃない男の子と付き合って、
親にも紹介したので、親との関係も
少しずつ良好になってゆきました。

私はとても楽しい3年間を過ごして
卒業しました。

今でもその頃の親友が何人かいて、
よく会います。

女子高の頃の私には、
家にも学校にもどこにも居場所が無く
頼れる人も居なかったけれど、
その場から逃げたら、
居場所が見つかりました。

あの頃、生きていて本当に
良かったと思います。

今、居場所が無いと思うあなたにも、
世界は思っているよりずっと広くて、
色んな道や方法があることが、
届きますように。


最後まで読んで頂き、
本当にありがとうございます