どうせ燃やされて灰になる
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 って本を昔読んだ。
(うる覚えの)記憶にあるのが、土から生まれた粘土が好き勝手に動いてまた土に還って行く描写である。それが我々の人生でありそれ以下でも以上でも無い。
宇宙が誕生がおおよそ140億年前、地球誕生が46億年前で我々が長くて生きるせいぜい100年なんて長い時間から見れば自分がいる方が異常で、いない方がむしろ正常であろう。
日本人は前世が何だの後世が何だの雑談で話すけど、海外を放浪するようになってから実感したが、その価値観はマイナーである。(もうみんなどうやってハッピーな世界に転生していくのか攻略法がさまざまで…)
Twitterでクソリプを送りつけてきたとあるアカウントをひたすら追ったことがあるが、散々クソリプを送っているだけとは思いきや、ひとつまともに呟いてた。
「どんなに金持ちだろうが、有名だろうが死は平等にやってくると考えると心が楽になる」
(人間と言うものは自分がか弱いので、需要が無いどうでも良いものに価値観を見出しそこに自分を据えて自己防衛として心の安定を保つのだが、本当に何も無いとそう考える方法もあるのだと痛く感心したものである。)
新卒で就職活動してから結婚するまで、人生がゲーム感覚だった。ギリギリ第二次就職氷河期世代だったので、受験に失敗した憤りをゲーム感覚で有名企業の内定を取りまくることで、心の隙間を埋めた。社会人になってからは、藤沢数希をはじめナンパ本に手を出し、如何にコストを下げ時間を掛けずに質の良い出会いをするかQCDを突き詰めながらゲーム感覚で港区で遊んだ。
よく死んだから他人の記憶に残り続けるみたいな話がある。でも結局みんないなくなるんだよね?多少、恥をかいたところで、100年後くらいには自分なんかを知っている人間は誰ひとりいなくなるから気にしなくなっていた。
インドでブッダガヤに滞在したことがある。仏教で煩悩をはらうみたいな話があるが生への執着を無くして、無の境地に近づけることで死への恐怖をやわらげているのかもしれない。
中国京劇が好きでの数万円払って覇王別姫を観に行ったことがある。覇王項羽は、漢王劉邦の大軍に垓下の一戦において四面楚歌に合い虞美人を失い、翌日負けを悟り叫び自害する。この世に執着が無くなった男の最期は演劇とは言え脳裏に焼きついてしばらく消えなかった…

