昨年のクリスマス前ごろに脳出血で倒れ生死をさまよっていた妹が元気になり今は病院で一日3回の左半身の(左手と左足)のリハビリに励んでいるので、土曜日に名古屋にお見舞いに行ってきました。
新潟と名古屋という距離と両親が亡くなっていると理由から会うのは18年ぶりです。(昨年のお見舞いは妹が意識がなかったのでちゃんと会話が出来ていませんでした。)
色々な思い出話をして大笑いしました。興味深いのは同じ経験をしているのにもかかわらず二人ともその思い出の色も箱も形も印象も全然違うものなのです。
NLPで地図は本当の地形を表すものではない。という前提がありますが、出来事がどうかということではなく、それぞれがそのことをどう捉えているかということですね。
例として話題が母のことになりました。母は浮浪者を更生させた経験を持っています。道を歩いていてその人とすれ違い、この人はどんな考えを持っているのだろうと興味を持ち、自分が持っていた本をあげて、感想があれば電話しておいでと10円をあげたそうです。それから今日はこの公園、この次は違う公園と何回か公園であって色々話し合った末、この方を援助していったようです。いつも新聞をかぶって寝ているためインクで真っ黒でちょっとやそっとではその黒は消えなかったといいます。同じ靴をずっと履いていたため靴が腐敗していたようで役場に行って数日使える特別な保険を作ってもらって病院につれていき、父のお古の服を上げて知り合いの工場で働けるようにさせていただくよう手配して、時間をかけてその人を更生させたのでした。私にとってはそのことは母の自慢できる部分です。ですが妹にとってはとてもいやな思い出のようでその方の名前が出ただけで本当に嫌な顔をしていました。
話題が1989年に母が亡くなった時の話になりました。妹が鮮明に覚えていて、とっても嫌な出来事として思い出の箱に入れている記憶となる場面を私が全く覚えていないのを彼女は驚いていました。きっと私にとって嫌だとも記憶に残るほどの印象深い出来事と判断するほど感情が動くものではなかったのでしょうね。
良いか?悪いか?を人は口にしますが、それは人がどう感じたかで随分違ってきますよね。物事をどう捉えるか?それには癖もあると思います。
もしかしたらサングラスをして色々なものを見ていたとしたら全てのものが暗く見えるのかも、サングラスをはずすだけで明るく見えるのかも。
リハビリをがんばっている妹にきっと良くなるよ。といったらすっごく嫌そうにそんなに簡単に言わないで、と言われました。もし良くならないとしたら、自分が怠け者と思われるようで嫌だと言っていました。でも、一時間のリハビリの様子を見ていたら本当にがんばってしていました。
人に良く思われたくて一生懸命がんばっていると彼女は言っていました。大変だけどそれが私だからいいんだとも言っていました。
彼女が楽に生きれるといいのにな。又お見舞いに行ってこよう。