泉山氏の Cry の翻訳についての記事で、いくつか質問があった。大切なことばかりだと思うので、ここで詳しく御説明したい。
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英語がまったく解らない人にとって目にした和訳者の解釈が絶対になってしまいます、どれを信じたら良いんでしょうか?永遠にマイケルの本心での和訳を私達は知ることは出来ないのですか?先生が訳していただけると嬉しいのですが・・・いかがでしょうか?
お時間がありましたら よろしくお願いいたします
自分の生まれが英語圏だったらと こういうことに出くわすと いつも思います
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マイケルの作品を理解するのに、英語力が不可欠かというと、そういう必要はない。何より大切なことは、彼の作品を全力で感じることだ。マイケルの目的はおそらく、理解されることにあるのではなく、それを聴く人の人生をより豊かな、生きるに値するものにすることにある、と私は思う。それは、このブログで延々と論じて来たことから、立証されるであろう。
彼はむしろ「誤解」されることを望んでさえいた。そうやって、彼の届けようとしたメッセージを拒否するような人にさえ、自分のメッセージを伝えようとしたのだ。意識の防御をかい潜ってまで、聴く者の魂に届けようとする、壮絶なパフォーマンスを、マイケルは人生を掛けて展開した。
この目的からすれば、英語で書かれた歌詞を聞いてすぐ「わかった」つもりになる人は、彼の仕掛けた「罠」に掛かって誤解しやすいはずだ。言葉に騙されるのである。
英語圏の人で、私のようにマイケルを読み解いている人は、いないのではないかと思う。なぜなら、私の解釈は、聴いただけでは<意味がわからない>ことによって、はじめて可能になっているからである。英語を聴いてわかったつもりになってしまう英語圏の人は、ここまで考えられない可能性がある。
私の英語力では、曲を聴いているだけでは、意味がサッパリわからないので、音楽全体を感じることに全力を集中する。そこから感じとったことが私の解釈の主柱である。歌詞はそれから読むのだが、ちょっと読んだってサッパリわからない。他の曲とか、マイケルの発言とかを考慮に入れないと、解釈の手がかりがつかめない。
そういうことを考えてから、また音を聞き、歌詞を見て、ということを繰りかえし、考え抜いて漸く、マイケルが伝えようとしたメッセージが見えてくる。そうしてはじめて、英文の一語一語の意味が浮び上がってくる。そうやって浮び上がった意味を、日本語でどうやって表現するかを考えて、訳文を作っている。
こんなメンドクサイことを、英語ネイティブの人が、やる気になるだろうか?
また、私の訳文は、私が受けとめたマイケルの曲の解釈を、日本語で表現したものに過ぎない。それゆえ、私のマイケルであって、読者のマイケルではない。それぞれの人の経験や感情や体調などを含む人生と、マイケルの作品との真摯な出会いにこそ意味があるのであって、私のブログや訳詞はそのための手掛かりを提供するに過ぎない。
大切なことは、作品を真摯に受けとめることである。英語がわかるかどうか、歌詞がわかるかということは、二の次である。
(つづく)
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英語がまったく解らない人にとって目にした和訳者の解釈が絶対になってしまいます、どれを信じたら良いんでしょうか?永遠にマイケルの本心での和訳を私達は知ることは出来ないのですか?先生が訳していただけると嬉しいのですが・・・いかがでしょうか?
お時間がありましたら よろしくお願いいたします
自分の生まれが英語圏だったらと こういうことに出くわすと いつも思います
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マイケルの作品を理解するのに、英語力が不可欠かというと、そういう必要はない。何より大切なことは、彼の作品を全力で感じることだ。マイケルの目的はおそらく、理解されることにあるのではなく、それを聴く人の人生をより豊かな、生きるに値するものにすることにある、と私は思う。それは、このブログで延々と論じて来たことから、立証されるであろう。
彼はむしろ「誤解」されることを望んでさえいた。そうやって、彼の届けようとしたメッセージを拒否するような人にさえ、自分のメッセージを伝えようとしたのだ。意識の防御をかい潜ってまで、聴く者の魂に届けようとする、壮絶なパフォーマンスを、マイケルは人生を掛けて展開した。
この目的からすれば、英語で書かれた歌詞を聞いてすぐ「わかった」つもりになる人は、彼の仕掛けた「罠」に掛かって誤解しやすいはずだ。言葉に騙されるのである。
英語圏の人で、私のようにマイケルを読み解いている人は、いないのではないかと思う。なぜなら、私の解釈は、聴いただけでは<意味がわからない>ことによって、はじめて可能になっているからである。英語を聴いてわかったつもりになってしまう英語圏の人は、ここまで考えられない可能性がある。
私の英語力では、曲を聴いているだけでは、意味がサッパリわからないので、音楽全体を感じることに全力を集中する。そこから感じとったことが私の解釈の主柱である。歌詞はそれから読むのだが、ちょっと読んだってサッパリわからない。他の曲とか、マイケルの発言とかを考慮に入れないと、解釈の手がかりがつかめない。
そういうことを考えてから、また音を聞き、歌詞を見て、ということを繰りかえし、考え抜いて漸く、マイケルが伝えようとしたメッセージが見えてくる。そうしてはじめて、英文の一語一語の意味が浮び上がってくる。そうやって浮び上がった意味を、日本語でどうやって表現するかを考えて、訳文を作っている。
こんなメンドクサイことを、英語ネイティブの人が、やる気になるだろうか?
また、私の訳文は、私が受けとめたマイケルの曲の解釈を、日本語で表現したものに過ぎない。それゆえ、私のマイケルであって、読者のマイケルではない。それぞれの人の経験や感情や体調などを含む人生と、マイケルの作品との真摯な出会いにこそ意味があるのであって、私のブログや訳詞はそのための手掛かりを提供するに過ぎない。
大切なことは、作品を真摯に受けとめることである。英語がわかるかどうか、歌詞がわかるかということは、二の次である。
(つづく)
