私がブログを出したら、すぐに池田信夫氏が、再反論を掲載された。無視されなかったことを、再度、感謝したい。だが、私のツイッターに、池田氏から、

コメント欄にも書いたけど、私はあなたの本は読んでませんよ。読む価値がないから。 RT @anmintei: 「読む必要がない」というのだかから、読まないで反論するのだろう。 http://bit.ly/ymIkGh

というツイートが来たので、驚愕してしまった。

やはり、読んでいないのである。回答を見るかぎり、私のブログの記事の方も、きちんと読んでおられないことは確実であろう。いくらなんでも早すぎである。私が彼の反論に回答するために、かなりの時間を掛けて文章を分析したのであるから、そのくらいの手間は掛けて欲しいものである。

私が何を書いても、お読み頂けないのであれば、議論にはならない。それは単なる「言い争い」である。私は、議論を通じて学びたいのであって、言い争いをしたいのではない。

中川恵一氏の発言であるが、確か東大のシンポでは、そのようには断言されておらなかったと思うので、そう書いたのだが、記録があるかどうか、調べてみたい。池田氏の指摘する映像は知らなかったので、勉強させていただきたいと思う。貴重な資料を教えていただいて、感謝している。

それから、本を読んでいただければ明らかなのだが、私は池田氏を「推進派」とレッテル貼りしているのではない。私が推進派だからといって池田氏を攻撃する、などということをしているのではないことは、たとえば「脱原発派」を自認する香山リカ氏の言説を取り上げていることで自明であろう。あるいは逆に、かつてブログでソフトバンク・モバイルの先の副将軍・松本徹三御老公のアゴラの記事を、「東大話法フリー」と認定したことがあるが、彼は原発を維持するべきでだとお考えのはずで、放射線の危険性を過剰に言うのは「苦々しく思っている」とツイートしておられた。(念のために言うと、私は京大出身で、松本氏も京大出身なので、身びいきして「東大話法」フリーを認定しているのではない。京大出身者でも東大話法の話者はいくらでもいる。)

私は、その人がどういう「立場」だから、ということに従って、分類して対応を決めるというようなことをやめよう、と言っているのである。私が判断の基準にすべきだと考えるのは、言葉の使い方である。というのも、奇妙な言葉の使い方をする人と議論しても、新しい考えなどが出てこないので、意味がないからである。正しく言葉を使い、名を歪めない人であれば、データや論理や理念を以て議論することで、新しい道を見出すことも可能となる。

$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩 明石書店のHPはこちら



一つ忘れていた。

「お前の言い方が悪い」という日本人に特有の話は非生産的なので、論じてもしょうがない

と池田氏が言うのだが、これもまた、本書を読んでいない証拠である。なぜなら、私の議論は、基本的に『論語』に基づいているからである。

孔子の一番弟子の子路があるとき、危機にひんしている衛の国の政治を任されたとしたら、先生は何をなさいますか、と聞いた。孔子は、

必也正名乎
必ずや、名を正さんか

と応えたので、子路は、「これだから先生は迂遠だ」と言った。

名を正すとは何かについては諸説あるのだが、私は、物事に相応しい名称を使う、という意味だと解釈している。原発が爆発しているときに、「爆発的事象が発生した」というのは、名が歪んでいるのである。これを正すのが、「名を正す」ということの意味である。

私は、名が歪んでいることが、原子力の暴走の原因であり、今回の事故の決定的要因だ、と考えている。その歪んだ名によって構成されるのが、「東大話法」である。

言うまでもなく、孔子は日本人ではない。それゆえ、お前の話は「古代中国人特有だ」と言うならまだわかるが、「日本人特有」と言われても、意味が分からない。

やはり、読まずに、論評しているのである。
大島堅一さんのツイートで、

=====
原子力委員会の年頭所信 http://bit.ly/y0KxxB ←原子力政策を決定してきた原子力委員会の責任がどこにあったのか、全くわからない文章です。まるで人ごとです。そのため何故お詫びしているかが不明です。さらに、あろうことか、再処理を着実に前進させると宣言しています。
=====

というものが出ていた。見てみたら、ホントーに気持ちが悪い。これのどこがどう、東大話法かを解析するのは面倒臭いので、練習問題にしようと思う。


【問題 1】

以下の文章は、原子力委員会が2012年の年頭に発表したものである。大島堅一氏のツイートを参考にしつつ、『原発危機と「東大話法」』 に基づいて、どこがどのように「東大話法」であるのかを、明らかにせよ。回答は、コメント欄に記入すること。

http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/seimei/120110.pdf



尚、原子力委員会の任務と権限とは、そのホームページによると、以下である。適宜参照しなさい。

 原子力委員会は、
1)原子力研究、開発及び利用の基本方針を策定すること、
2)原子力関係経費の配分計画を策定すること、
3)原子等規制法に規定する許可基準の適用について所管大臣に意見を述べること、
4)関係行政機関の原子力の研究、開発及び利用に関する事務 を調整すること等について企画し、審議し、決定すること
を所掌しています。この所掌事務を実施するために、「原子力委員会及び原子力安全委員会設置法」に基づき、調査権、勧告権等があります。また委員会は、これらの参考になる関係者の意見聴取、事務局によって作成された決定文案の審議、それの決定を原則として公開の会議で行っています。
私が、池田信夫氏の「反論」を分析している時に、水俣病に詳しい協立クリニックの高岡滋院長のツイートが流れていた。拝見すると、驚くほど的確である。

彼が私への「反論」の冒頭で仕掛けた、印象悪化作戦は、原発に反対する人々に対して恒常的に行なっている工作の一環だったわけである。また、この方の言葉の使い方と、池田氏とを比べてみれば、後者のどこがどう欺瞞的なのか、よくわかると思う。

===============高岡医師のツイートの引用==============

st7q 高岡滋
1月9日

①池田信夫さんの放射線関連コメントは、御用学者でさえ言えない、本来の医学、公衆衛生学の基礎を踏まえない滅茶苦茶なものですから、反論する価値もない(すみません)と思っているのですが、問題は、彼を信じる人、好む人、利用する人が多数存在するということです。

②社会心理現象として、広告業界が利用する手法の一つですが、ウソでも言い続ける、同じ情報も流し続ければ、社会に通用する効果をもつということがあります。ネット上には、そのような立場で、個人の自主的な発信ではなく、ツイッターやブログを仕事(職業)にしている人々がいるようです。

③そのような職業としてやっておられる疑いがあるような方々に対しては、個別反論が必要なこともありますが、構造をチェックすることが役立ちます。たとえば、行動パターンをみていくことです。活動する時間帯やどのようなツイートに反応するか、などです。

④そのような人々は、普通の仕事をしているのであれば、とてもできないような時間帯で(例えば一日中)、脱原発、反原発にターゲットを絞って攻撃したりしているようです。ですから、その人の主張の内容を見るだけでなく、その人の認知・行動のパターンをみることが役立ちます。

⑤たとえば、(1)原発派にとって重要な人物が攻撃されたらしつこく(人格)反撃をする、(2)原発派にとって痛い研究にターゲットを当て反論・反撃する、(3)冷静な批判と「罵倒」を使い分ける、(4)原発に異を唱えつつ、反原発派の分裂に貢献しうる弱点のある人を利用する、などなど。

⑥私は、気になって、そのような人がツイッターなどを発信した時間帯をエクセルの表にしてみたりしたことがあります。これはその一例ですが、こんな人の一日の生活を想像してみて下さい。 pic.twitter.com/NofI1eOB

⑦私は、池田信夫さんについては追求していませんが、要するに、その人がまじめな情報提供や議論をしたいのか、それとも、ネット上の何からの心理的、社会的影響を狙って(悪い意味での職業的役割を持って)発信しているのかを区別すると良いと思います。

⑧ここまで書いて、はっと気づきましたが、池田信夫さんに対して、@squirrel6406さんの反論されたことについては、そのとおりだと思います。いろいろ連想していたら、書かれた事を否定しているかの様な文章になってしまい、申し訳ありませんでした。これに懲りず宜しくお願いします。




①せっかくですので、@squirrel6406さんが池田信夫氏の主張に対してコメントしておられることに対して、幾つか補足意見を述べたいと思います。ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51766…

②党派や思想信条と科学的ということに一般的関係があるわけではなく、科学者、医学者一人ひとりをみないと分からないことは水俣病で経験していますが、この原発事故で更に明確になってきたと思います。原発事故では、むしろ権力と距離を保たないと科学性が保たれないことが素人でも分かります。

③人は完璧ではありませんから、科学性で重要なのは、一時点の発言・判断だけでなく、異論や(誹謗中傷でない)真面目な批判への誠実な態度です。そして、他の医学分野ではそんなことはなかったのですが、水俣病で科学性を保つ為に、社会や人の心の動きを知る必要がありました。それが全国化しました。

④原発派の専門家や池田氏のような人は、科学の装いをして科学を腐らせていきますから、科学性を保つためには、専門家相互のみで意見交換するのではなく、専門家も社会や人々の心の動きを理解し、専門家と一般人との間で交流しなければならなくなっているのです。

⑤私は水俣病で実例をみてきましたが、官僚は、思想傾向に関係なく学者を篭絡することを考えます。彼らは党派を参考にはしても、それで判断などせず、知性や人格を見ます。落とせる人間かどうか、落とせるとしたらどこまでか。頭の良い悪人は自分では差別などせず、庶民に差別させるのです。

⑥一般的に、保守派が体制派になり、改革派はそれに対抗するという傾向があるのかもしれませんが、細かく見ていくと、保守派で真面目な人もいれば、改革派で危ない人もいます。科学に関する思考と態度も重要ですが、もう一つ、一般人と同様、専門家にとっても、地位、名誉、立場、職場等は重要です。

⑦水俣病の議論で私が重視した医師の態度は、賛否だけでなく、まじめにデータを見て、真面目に議論するかどうかです。しかし、どういう立場であっても、自分の地位や名誉、「満足に?」食っていけるかどうか等は気になることだと思います。少数派として差別もされたくはないでしょう。

⑧鼻血については、放射線関連を疑う人も、数Svの急性被曝と発症機序が同じとは言っていません。限られた時間と人間で何もかもが分かるわけではありません。疑いを持つのは科学の基本です。医学においては、仮説が重要で、放射能原因説を唱えることに何の問題もないのです。

⑨重要なのは情報収集と解析。反論するだけならともかく、「あれも放射能これも放射能」と非難する態度は、自らも情報収集をしないことを宣言しているわけですし、結果的に情報収集や議論そのものを否定させていく作用がある点で極めて有害なものです。

⑩しかも、限定された既知の情報、知識を生かして、患者住民の訴えが未知のものであれば、予防原則の立場で最善を尽くすのが医学です。池田氏はこのことを知らないか、否定しているのです。

⑪因果関係を論じるときに、メカニズムが分からなければならないというのは誤りです。水俣病はそうやって隠されました。しかも、そういう人がメカニズムを解明する意志があるわけでなく、政府に何の行動も求めず、ただ揶揄し、罵倒し、否定していくのです。逆に言うと、調べずに結論を出しています。

⑫因果関係解明に疫学は強力な武器ですが、それなしではダメということではありません。技術は手段です。技術は確かに重要ですが、ケースによります。これは、御用学者がよく使う手法です。彼らは庶民に手が出ない技術が「必要だ!」といいつつ、それを庶民に決して提供しなかったりします。

⑬そういう原発派も、疫学データを論じますが、疫学データで原発派に不利なものがあったときのために、「疫学は役立たない」という論理を隠し持っていることがありますから、注意してみてみましょう。役立たないと思うのなら、最初から論じるな、ということです。

⑭肥田先生は多数の患者をみてきましたが、こういうときは、町医者1人の観察も重要。別にそれで確定せよなどとは誰も言っていませんが、池田氏の論調は、町医者1人の観察を否定します。そうすると、実際に医師が敬遠し、情報が入らなくなるという効果があります。

⑮2004年のトンデル論文やバズビーについては、学術的に反対意見を述べるだけなら良いのですが、原発派は、彼らが「とんでもない」学者であるとより多くの人々に認定されるような発言や誘導を狙っています。ホット・パーティクルなどを考えれば、現時点で決着のついた問題ではありません。

⑯トンデル、バズビーのデータや学説も、世にあるデータや学説の一つとして冷静に捉え、自分が肯定するなら肯定、否定するなら否定すればよいだけなのに、ことさら彼らの名誉や人格に対する攻撃がなされる理由はここにあるのです。脱原発派に亀裂を入れるのが狙いです。これは差別の手法です。

⑰原発派、権力が好むのは、この「差別」です。この「差別」を国民の中に忍び込ませることによって、彼らは、自らが延命できることを知っています。

⑱そんな池田信夫氏が代表取締役をしているアゴラ研究所が作ったGERPというサイト(gepr.org/ja/)に、早速、中川恵一氏がのこのこと出てきているのが興味深いです。今後、ここに出てくる医学者の発言をチェックしましょう。いろいろとボロが出てくることと思います。
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以上の議論のあとに、池田氏は、

======================
「よくわからないから最悪の場合を考えよう」というのは、そこだけを取ればいいように見えるが、そのリスクをなくすために原発をやめたら、火力発電所を増設しなければならない。採掘や大気汚染による死者を考えると、原発より火力のほうが危険だというのが、OECDやWHOを含めて多くの専門家の意見である。

エネルギー問題は、きわめてリスクの大きな世界である。化石燃料のリスクについては、日本は石油危機でこりた。原子力にもリスクはあるが、問題はどっちのリスクが大きく、総合的にみてどっちが経済的なのかという相対評価である。絶対評価で見て原子力が危険であることは自明であり、それは「止めてしまうべきだ」という根拠にはならない。
======================

などと、性懲りも無く、適当なことを繰り返している。「多くの専門家の意見」といい加減なことを言うなら、私だって、「多くの専門家が原子力は危険だと指摘している」ということができよう。私が判断の基準にしているのは、専門家の数ではなく、その言説の質である。その観点から多くの言説を分析した結果、

原子力を推進する人の言葉遣いは、どこまでもおかしい

という結論を私は出さざるを得なかった。それゆえ私は、原子力への依存を否定する。言葉遣いのおかしい人がどんなに沢山いても、絶対に信用することはできない。


=============池田氏の「反論」===========
私は具体的なデータを出して論じているのだから、それを批判するなら「話法」がどうとかではなく、低線量被曝に明らかなリスクがあり、原子力が他のエネルギーと比べて明らかに危険で不経済だという客観的データを出してほしい。アゴラへの投稿は、いつでも歓迎する。
================================

こんなことでデータ合戦するのは、馬鹿くさいことであるから、私はやりたくない。池田氏に言われなくとも、私はデータを重視する人間である。嘘だと思うなら、私の博士論文であり、日経賞を受賞した

『「満洲国」の金融』

を見て欲しいものだ。この本は本文編と図表編とにわかれていて、図表だけで150頁くらいある。それらの大半は、私が歴史資料から集め、ひとつひとつ吟味して作った表だ。

その元になった論文の一つのPDFが以下に出ている。これを見れば私がどのくらいしつこくデータを集めて解析する人間かおわかり頂けるはずだ。

http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48363/1/69_69.pdf

これは私の修士論文だ。このくらいデータにうるさい上に、私は複雑系科学という物理学の分野で十年くらい仕事をしたので、データの扱い方を色々勉強した。その結果知ったことは、

経済学や医学のデータの扱いは、無茶苦茶だ!!

ということである。物理学者の感覚からすれば、全然、信頼するに足りない。何よりも、意味のあることを取り出すには、データの数が足りなさすぎる。それ以上に、データと称するものの質が悪すぎるのである。

それゆえ私は、社会現象や生物現象で、

データをむやみに信じるのは非科学的

であり、それよりも、こういう複雑な現象については、

発言する人の言葉遣いを良く調べて解析し、その誠実さを確認した方が、遥かに科学的

だと結論したのである。『原発危機と「東大話法」』は、そのための科学的研究である。

本書で私は、池田信夫氏のブログの記事は、

東大話法研究の第一級の資料

である、と書いた。この反論も、重要な資料となろうと期待して分析させていただいた。

しかし、確かに、もんじゅ君の言うとおり、この反論は不調のようで精細を欠いており、いつもの切れ味が感じられない。それゆえ東大話法規則が、一つしか増えなかった。もし、私の本や記事が、多少とも効いて、池田氏の筆が鈍っているのであれば、望外の喜びである。

私は、池田氏が、ブログという手段によって、徒手空拳でこれだけの影響力を構築されたことに、敬服している。如何に「炎上商法」とはいえ、読者を集めるのは大変なことである。これはまさに池田氏のイノベーションであった。しかし、本にも書いたが、現段階ではあまりにも欺瞞的であり、世の中に害毒を流すことになっている。それは、池田氏の本望ではないと私は信ずる。

あるいは、東大話法でなければ、ここまでの影響力を構築できなかったのかもしれない。しかし、既に成功したのであるから、そのようなものを駆使して、ろくに読んでもいない本や論文を、適当にコメントしたりなどする必要はもうないはずである。もはやこのような欺瞞話法と決別されては如何か。

池田氏が、東大話法と決別してくださったら、私はいつでもアゴラに参加させて頂きたい、と思っている。本当である。

(了)
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それから、私が「過去に前例のない大事故が、浜岡原発よりもずっと可能性が低いと見られていた福島原発で起きたので、浜岡原発事故の可能性はもはや否定出来ない。[・・・]それゆえ、止めてしまうべきだという主張は、合理的である」と書いたことを採りあげて、

================
都合の悪いデータは「不十分」だといい、自分の主張を裏づける話は「可能性が否定できない」というだけで断定する彼の論法は、東大話法かどうか知らないが、ダブルスタンダードである。
================

というが、もちろん、ダブルスタンダードではない。私は、

(1)低レベル放射線被曝による深刻な障害の発生を否定するデータはないので、安全側に立って判断すべきだ。

と言い、

(2)浜岡原発周辺で大規模な地震が起きて事故になる可能性を否定するデータはないので、安全側に立って判断すべきだ。

と言っているのである。どうしてこれがダブルスタンダードに見えるのだろうか?

それで池田氏は、

===============
原発のようなサンプルの少ない問題については、すべてのデータは不十分なので、その制約の中で判断するしかない。そういう条件つきで、たとえば中川恵一氏は「福島では癌は増えない」とあえて断定している。
===============

というが、もしも、こんな不完全なデータしかないという条件で、そういう断定をする者がいるなら、もはや科学者とは言えない、と私はあえて断定する。

ところが池田氏は

===============
安冨氏の放射線についての議論は「低線量被曝の影響はわからないから恐い」という非論理的なものである。
===============

というが、私に言わせれば、こんな貧困なデータで「ない」と断言することのほうが、非論理的である。

その上で、

===============
福島第一原発事故についていえば、放射線の被曝による健康被害は今後とも考えられない、というのが放射線医学のプロである中川氏の意見だ。それに反論するなら「データが不十分だ」などというごまかしではなく、具体的にどういうリスクがあるのか証拠を示してほしいものだ。
===============

といきなり、人の褌で相撲を取る構えである。しかし、私には「データをとることが本質的に困難だから、安全側に立つべきだ」という指摘が、どうして「ごまかし」であるのか、理解できない。

具体的にどういうリスクがあるかというと、何度も私のブログでも本の中でも言ったはずだが、少なくとも、数%程度の癌死の増加、というような疫学調査に掛からない水準の被害が、極めて広範囲で出るだろう、と予想している。たとえ1%でも、三千万人が被曝すれば、元々一千万人が癌で死ぬのであれば、10万人が新たに癌で死ぬわけである。これは決して疫学調査には出てこないが、何十万人を病気で苦しめて、十万人を殺すような事故は、受け入れるべき事態だろうか。

そういえば思い出したのだが、私の記憶では、中川准教授は、疫学調査で見えるような被害は出ない、と言っていたのではなかろうか。

「疫学調査で見えるような被害は出ない」



「被害は出ない」

との間には、千尋の谷がある。私はそんな谷を渡るのは危険だ、と言っているのである。

池田氏はまた、私の同様の議論を引用する。

===========安冨のブログの記事=======
第一に、原発の危険性は死者数だけによるのではない。生態系が決して処理できない放射能を蓄積させる悪影響は、一体、どういうなるのか、だれも知らない。第二に、[チェルノブイリ事故の]死者数も、果たして100倍なのか、1000倍なのか、わからない。それに、低レベル被曝による死者数は、一般に因果関係の立証が困難なので、認定されていない。つまり泣き寝入りであるが、それはカウントされない。そういうわからない部分での隠蔽された危険が大きく、それが一体どうなっているのか、よくわからない、という点が、原発のリスクの嫌なところである。
===========================

そして、

==========池田氏の「反論」の記事=======
これも「わからないから危険かもしれない」というだけで内容がない。チェルノブイリの死者は100倍でも1000倍でもなく、60人前後だというのがロシア政府の見解である。
============================

という。ロシア政府の見解はなぜ、信用して良いのか、教えて欲しい。それから、これも彼が本書を読んでいない証拠であるが、なぜ放射性物質を環境中に出してはいけないのかは、第五章で詳しく論じている。読んでいれば、「わからないから危険かもしれない」などと主張しているのではないことがわかったはずだ。私が言っているのは、「わからないことが非常に多いから、放射性物質は嫌だ」ということだけである。ここで論じているのは、「嫌な理由」に過ぎない。

(つづく)
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「東大に勤務する彼が、しがない私立大学に勤務している私に「東大」というレッテルを貼るのも奇妙だ」と池田氏は言うが、これも氏が本書を読んでいない証拠となろう。

この本は、私が東京大学をフィールドとして研究した成果であり、東大にいないと「東大話法」の研究はできない。東大でこんな研究をして、出版するには、院生や助教は言うに及ばず、准教授でも命が危ないので、教授でないと、とてもではないが怖くて出せない。教授でも怖いが。

そういうわけで、東大教授の私が「東大話法」を研究する必然性がある。しかも、私はちゃんと、東大関係者や東大卒業生に、これを得意としている者が多い、と書いている。それゆえたとえ「しがない私立大学に勤務している」としても、東大をご卒業になっている池田氏は当然、その範囲内である。(ちなみに、自分の職場を「しがない」とか仰るのは、上武大学に対して失礼ではないだろうか、と心配する。)

尤も、本書で繰り返し書いたように、東大関係者・卒業生が全員、東大話法を使うわけでもないし、逆に、東大と何の関係もない人でも、東大話法を使う人は多い。日本社会にこの種の欺瞞言語は蔓延しているのだが、そのある種の中枢たる東大でそれが顕著でかつ危険だ、というに過ぎない。

さてそのあとが、彼の「反論」の本体であるが、

========
ただ、彼の事実についての指摘には、ここでお答えしておこう。
========

といって、本の方ではなくて、私のブログの元記事を二つ引用して批判している。まぁ本を批判するなら本から引用して欲しかったが、ブログを修正して本にしているのであるし、引用が面倒くさいだろうから、これは問題にしないでおこう。

まず池田氏は私のブログを引用する。

==============安冨のブログの記事===========
=======池田氏の記事============
福島第一原発の状況はまだ予断を許しませんが、かなり大量の放射性物質が周囲に出たことは間違いありません。しかし、いま発表されている程度の放射線量であれば、発電所の周辺を除いて人体には影響がないでしょう。これについては過去の核実験で多くのデータが蓄積されており、計算可能なリスクです。
=======池田氏の記事============

これは既に暴論である。低レベル放射線量被曝もたらす長期的影響についてのデータの蓄積は極めて乏しい。なぜなら、この調査を科学的に厳密にやるためには、

(1)沢山の人を調べないといけない。
(2)非常に長期にわたって調べないといけない。
(3)身体の全ての部位について調べないといけない。
(4)子々孫々にわたる遺伝的影響について調べないといけない。
(5)被曝量を正確に見積もらないといけない。
(6)被曝部位を正確に見積もらないといけない。

からである。これらを全てやって、何の影響もない、ということがわかれば「健康に影響がない」と言えるのである。しかし実際問題として、こんな調査は不可能に近い。それゆえ、全ての調査はいい加減である。最も正確とされるのは、広島長崎の原爆の被爆者の調査であるが、これとても、放射能の影響が軽く見積もられていた時代に始まっているので、不十分である。
==============安冨のブログの記事===========

これを引用した上で池田氏は、

========================
これは「わからないことが多い」と言っているだけで、何も新事実を指摘していない。広島・長崎の生存者12万人を60年近くにわたって追跡した被爆者調査が「不十分」だというなら、十分な疫学データは世界のどこにもないし、完全なデータがなければ何も言えないというなら、放射線についての議論は成り立たない。
========================

と言う。

しかしこれはおかしい。私が言っているのは、

「人体には影響がないでしょう。これについては過去の核実験で多くのデータが蓄積されており、計算可能なリスクです。」

という池田氏の主張が暴論だ、ということである。完全なデータがなければ何も言えないと言っているのではなく、

「影響がない」というためには「完全なデータがないと言えない」

と言っているのである。池田氏が良く振り回す「科学的」という言葉を振り回させていただければ、

不完全なデータで言えることは、「影響があることを示すデータはない」ということだけ

だというのが科学的態度である。それを「影響がない」と言うのは暴論だ、というのが私の指摘である。

それに、「何も新事実を指摘していない」などというが、ワハハハである。なんで私のような素人に、低レベル放射線医学の新事実を指摘できようか?!池田氏は、自分にそういうことができると思っているのかもしれないが、だとしたら誇大妄想である。

続けて池田氏はこう言う。

==============池田氏の「反論」=========
だから安冨氏が自分の主張に誠実なら、原発は危険かどうかもわからないのだから、何も言えないはずである。
============================

これは無茶苦茶である。低レベル放射線被曝障害の研究の現状と歴史とを少しでも知るものなら、放射線障害の影響は、安全側に立って考えないといけない、それが誠実というものだ、ということを当然のこととして理解するはずである。

なぜなら、その現状は、

(1)極めて不完全なデータしかなく、
(2)専門家には巨額の金が原子力や核兵器や放射線医療を肯定する政府や組織から金が流れこんでおり、
(3)危険を訴える人は排斥される仕組みになっていて、
(4)それでも専門家の意見が割れている、

というものだからである。しかも歴史的に、

(5)昔は全然問題ないと思っていた。
(6)ところが学者がバタバタ癌や白血病で死んだ。
(7)これはヤバいと基準を定めた。
(8)それでも被爆者や、アトミック・ソルジャーがバタバタ死んだ。
(9)これでもヤバいと基準を下げた。
(10)年々、基準は下がっていった。

という経緯を辿っている。

こういう状況を前にして、素人が誠実であろうと思えば、

「安全側に立って判断する」

という以外になかろう。

(つづく)
アマゾンがえらく時間がかかったり、すぐ品切れになるのでヤキモキしていたのだが、

bk1

だったら『生きる技法』も『原発危機と「東大話法」』も、24時間だ!!

アマゾンにリンクを貼るのをやめよう。
酒に酔うと、本音が出るわけである。恥ずかしい話であるが、そういう私も、本音はそうかもしれない。人間とは愚かなものである。

=============
「俺は東大生だぞ」酔ってホーム横断、駅員に暴行

 大阪府警阿倍野署は9日までに、公務執行妨害で東京大2年生の男を現行犯逮捕した。逮捕容疑は8日午後10時10分ごろ、大阪市阿倍野区の市営地下鉄御堂筋線天王寺駅の御堂筋線ホームで、男性駅員(49)の顔を右手で叩いた疑い。成人式に出席するため実家に帰省中だった。

 事件前は同駅付近で小学校の同窓会に出席。その後、実家の最寄りの梅田駅に向かおうとしたが、間違えて反対方面のホームに出てしまったという。階段を使えば逆のホームに行くことができたが、ホームから線路に下り、横断して反対側に移動。渡りきったところで駅員が注意した。

 同署によると「危ないですよ」と注意した駅員に、容疑者は「現に渡りきってる。何の文句があるんだ」と激高。口論の末、駅員に手をあげたという。駅員にケガはなかった。容疑者は当時かなり酒に酔った状態で、通報を受け駆けつけた同署署員に「俺は東大生だぞ」「おまえらとは格が違う」などと言って抵抗したという。

 阿倍野署によると容疑者は当初「覚えていない」と容疑を否認していたが、署で夜を明かし酒が抜けると「すいません」と平謝り。9日昼すぎに釈放された。

スポニチ[ 2012年1月10日 06:00 ]

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/10/kiji/K20120110002397470.html
$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩 明石書店のHPはこちら


そういうわけでのっけからパンチを食らってしまったので、退却して、読むのを一旦、中止して、晩ご飯を食べることにした。

・・・・・・・・・・・・

食事をして体勢を立てなおしたので、池田氏のご反論の検討に入りたい。

========
私のブログやツイッターに対する匿名の罵倒は山ほどあるが、実名の批判は驚くほど少ない。今まで記事で反論したのは、中島聡氏に対してだけだ。本書の著者、安富歩氏からも何度かTBが来たが、論旨がよくわからないので放置していた。ところが本書では、なんと40ページにわたって私の記事が批判されている。これはお答えしないわけにはいかないので、長文になるが反論しておこう(個人的な記事なので、関心のない人は無視してください)。
========

微妙なことだが事実と反することがある。私は彼のブログにトラックバック(TB)をかけていない。理由は簡単で、私はどうやったらTBをかけられるのか、わからないからだ。それでコメント欄に、ブログのアドレスを記して、「コメントを書きましたので、ご笑覧ください」というようなことを書いた。そしたらしばらくしたらコメントが承認されたので、「ああ、池田さんは都合の悪いものでも出されるのだな。」と思って感心したのである。ところが、しばらくして見てみると、私のコメントは見当たらなくなっていた。ゆえに、

「安富歩氏からも何度かTBが来たが、論旨がよくわからないので放置していた。」

というのは厳密に言うと正しくない。

「安富歩氏からも何度かコメント欄にブログのアドレスが書き込まれたので見てみたが、◯◯◯なので消した。」

というのが正確なところである。◯◯◯は想像するしかないが、「論旨がよくわからないので」は入らない。そういう理由であれば、一旦承認したものを、わざわざ消す必要はなく、放置すれば良いからである。


===================
安冨氏はアゴラの初期のメンバーであり、彼の著書を好意的に紹介したこともあるが、私の記事が「東大話法」だという批判は意味がわからない。東大に勤務する彼が、しがない私立大学に勤務している私に「東大」というレッテルを貼るのも奇妙だが、「お前の言い方が悪い」という日本人に特有の話は非生産的なので、論じてもしょうがない(これが放置した理由)。
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「彼の著書を好意的に紹介したこともあるが」というのは、『生きるための経済学』を書評されたこちらの記事である。今でも私は、このようにご紹介下さったことに、感謝している。改めてお礼を述べたい。

ただ、今、読み直すと、なぜ私がアゴラから抜けることにしたかがよく分かる。私の本の内容を、正しく捉えていただいていないのである。たとえば、

「(自由という漢語)を日本語でしいていえば、無縁という言葉が近いが、これは共同体から縁を切られるという意味だ。」

という文章があるが、これはおかしい。まず「自由」という漢語を「無縁」という日本語に置き換える、といっているが、「無縁」だって漢訳仏典の言葉だから漢語である。それに、「自由」という日本語が、中世から使われている。それ以上に、「無縁」の解釈が問題である。自由に無縁を対応させたのは網野善彦であるが、網野は無縁の原理を「こっちから縁を切る原理」としているのである。こっちから切るから、自由になるのである。池田氏のように、「共同体から縁を切られるという意味」だと思ってしまうと、どうして自由と関係あるのか、サッパリわからない。私の本を真剣に読んでくだされば、決してこんなことはお書きにならなかったであろう。

なぜこんなことになるのかというと、本をパラパラっと見て、目に止まった言葉を適当に繋ぎあわせ、話を自分で想像して書いているからだと考えられる。そうなると、元の本が言っていることなど関係なく、彼の頭の中で捏造された本が論評されることになる。「藁人形攻撃」という奴である。私の今回の本も、大島堅一氏の本も、同じ目にあったのではないかと考えられる。

そういえばこういうことを良く見聞することを思い出したので、

【東大話法規則】本や論文を読まずに論評する

を追加しておきたいと思う。池田氏は一応、現物を手にしているようなので良心的な方であるが、東大(に限らず学界)では、論文や本を読まないで、人から聞いた噂だけで、著者に対する評判が定まってしまうことが往々にしてある。最近、私の研究所で紀要に投稿された論文が、審査している最中だというのに、外部でその論文の悪評が流れる、という事件があった。誰か審査に関わった者が、気に入らないので噂をばらまいたのである。これは完全にルール違反であるが、こういうひどい噂だけが流通することが多い。こんな卑近な例ばかりではなく、大抵の有名な学者の学説はこういう目に遭っている。たとえばアダム・スミスといえば「見えざる手」であるが、この言葉は『国富論』に一回しか出てこないし、その意味は池田氏の言うような「神のメタファー」などではなく、『道徳感情論』で議論されている「心のなかの他人の目シミュレーター」のことなのである。

さて、

「安冨氏はアゴラの初期のメンバーであり、彼の著書を好意的に紹介したこともあるが、私の記事が「東大話法」だという批判は意味がわからない。」

という氏の文章であるが、これは注目に値する文である。

どうして

「安冨はアゴラの初期のメンバー、かつ、池田氏が安冨の本を好意的に紹介した」

という命題と、

「池田氏の記事を安冨が「東大話法」と批判したのは意味がわからない」

という命題とが、

「が」

という逆接の接続詞で繋がるのだろうか。2つの命題は全然違った出来事に関することではないだろうか。もし両者に関係があるとすると、

「昔のアゴラのメンバー かつ 好意的」と「批判」とが逆接

になっている、ということになる。つまり、

「安冨はアゴラのかつてのメンバーであり、かつ、池田氏は安冨を褒めた」
<が>
「安冨は池田を批判した」

という意味になる。なるほど、安冨は裏切り者で恩知らずなひどい奴である。しかしそれは、多分に「日本的」で「情緒的」なもので、学術的議論とは関係がない。

「日本人に特有の話」

と池田氏は私の本の大半の内容を(読まずに)切り捨てているが、これは例によって私のことではなく、池田氏ご本人のことではないだろうか。

【東大話法規則6】自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。

が適用されている。

こういうことを言うと、「いやいや、その『が』は、逆接ではなく、例の清水幾太郎が言っていた、たんなる無意味なあいまいな接続の『が』なのだ」とおっしゃるかもしれない。しかし、それではますます、「日本的あいまい」である。それ以上に、読者は、上の一文によって、安冨に対する悪印象を抱くだろう。特に「日本的情緒」に左右される人であれば。

(つづく)