アニマルパニック映画の古典ですね。

私が初めてこの映画を観たのは4歳の時でした。この映画を観たあと、私は人間に鳥がささった絵ばかり描いていたそうです。

それくらいトラウマ映画だったのですが、この時覚えているのは、ドアが鳥のくちばしで穴が開いていく描写。なんだかこの場面がすごく怖くて印象深かったのですが、他は全然覚えていませんでした。

 

次にこの映画を観たのは小学校二年生の時でした。

当時、我が家のルールとしてテレビは一週間15時間と決まっていました(のちに10時間というルールになります)。毎日夕方子供番組を観て、さらに夜のゴールデンタイムに子供番組なんかを観てたら15時間などあっという間です。

しかし、私は月曜ロードショーのこの映画の予告を観たとき、幼少の頃のトラウマも手伝って、絶対に観ようと思ったのです。

なので、他の子供番組を我慢し、21時以降に起きてテレビを観る親の許可を得て、それはもうわくわくしながら観賞しました。

不思議なことにこの日両親は外出で不在。兄弟も誰もおらず、たったひとりでの観賞でした。

 

観ている間は幼少の頃のかすかな記憶と符号させながら、懐かしさと(と言っても5年くらの年月ですが、子供にとっての5年は10年〜20年くらいに匹敵します)怖さで、それはもう大満足な気持ちでした。

こんなに一本の映画を観るのを苦労して、楽しみにして、ときめいたという経験は成長するにつれて失われていくもので、貴重な体験だと思います。

この映画は大人になっても時々観ることはありますが、この映画を観ると気持ちが小学二年生に戻るのです。

そして、特撮などは今の技術には及ばないまでも、今観ても十分おもしろい要素満載の映画なのです。

 

 

ネタバレ

 

この映画でやっぱり一番名シーンは、ジャングルジムのシーンですね。

 

なかなか終わらない子供の歌にイライラw

そして、志村後ろ!とばかりに女性の後ろにどんどん集まってくるカラス。

でもって、ふと女性が一羽の飛んでるカラスに目を向けると、そのカラスの止まった先にたくさんの鳥が集まっていたという戦慄シーン。

この演出は完璧!

特に一羽のカラスが飛んできて、女性が背後のカラスに気づく流れはほんと素晴らしいです。

 

このあと、子供たちが学校から逃げ出す訳ですが、あのタイミングで逃げ出すのは却って危険な気がします。

大きな窓ガラスがある教室と言っていたので、カラスが窓を破ってくる危険もあるっちゃーあるのですが。

 

続いてガソリンスタンドのシーン。

流れたガソリンが発火するまでの流れはさすがです。

ガソリンスタンドに発火した際にそれを目撃する主人公たちのモンタージュ描写はちょっとコントっぽく見えちゃって笑えてしまう。

で、爆発に伴って空から鳥が降りてくる演出は素晴らしい!

町がパニックになって、主人公が電話ボックスに逃げ込むとそこに血だらけの男性がやってくるシーンは子供の頃すごく怖かったですが、今観るとたいしたことはないですね。

 

衝撃的なシーンと言えばミッチーの母親が鳥に襲われた人の死体を発見するシーンも子供心には怖かったです。

 

で、いよいよ鳥襲撃クライマックスで、家にたてこもるのですが、外の様子が殆どわからず、鳥の羽音や鳴き声だけで恐怖を演出するのはさすがですね。

幼少の頃印象深かったドアが鳥のくちばしで穴の開くシーンは、その後このシチュエーションと同じように家にたてこもって鳥が入ってくるのを阻止する夢を何度かみましたね。それくらい怖いシーンでした。

 

襲撃が落ち着いて、なぜかひとり物音に目覚めた主人公が鳥のいる部屋に入っていくシーンはちょっと間抜け。なんであえてひとりでそんな危険そうな所いくかね?って言うのがこの種のホラーの定石です。

でも、主人公が自ら犠牲になりながら、家族を守ろうとしたことで、やっとミッチーの母親と気持ちが通じるようになりました。

彼女が怪我をしなければこの家族はこの家にずっと閉じこもっていただろうことを考えれば彼女の無茶も意味があったのかもしれません。

 

あと、鳥は関係ないけど、主人公がラブバードをミッチーの家に届けに行くシークエンスがなにげに見せます。

あまり内容とは関係ないシーンなんだけど、なぜかここみっちりきっちり描いています。

 

結局なぜ鳥が襲ってきたのかは謎だし、最後も大量の鳥を後になんとか逃げ出しただけで、事件の解決とはなっていないのですが、この終わり方も自分はとても気に入っています。

ロメロ『ゾンビ』のラストとも通じるものがありますよね。ゾンビもなぜゾンビが発生したのか不明だし、最後も解決しないままに終わる訳ですが、それでも、子供が生まれるというかすかな希望があるし、この映画でも、主人公とミッチーの母親と愛情が芽生え始めたあたりにほのかな救いがあるのです。

勿論、その先に待っているのは絶望かもしれないという絶妙さが良いですよね。

 

鳥は排他的な田舎にきた主人公の心象風景だったのではという解釈もあるけど、まあ、そのように観ることも可能かなーという感じ。

そう考えるとミッチーの昔の恋人が鳥によって殺されるのは必然かとちょっと怖い気持ちになります。


とにかくアニマルパニックのフォーマットはすべてここにありってくらいの古典中の古典ですね。