ネタばれあり

 

エイリアンの感想をこのブログにアップするのは二度目だが、前回はジョン・ハート絡みのレビューだったので、今回は映画について語ろうと思う。

もはやSFホラーの古典と言っていい出来だが、久しぶりにアマプラで1、2と続けて観たら、やっぱり傑作だなーとしみじみ思った。

1979年の作品なのに未だ色あせない魅力というか、エイリアンの造形をはじめとする映像美術が素晴らしい。とにかくこの一作目はアートとしても楽しめる。

 

ただ、この映画、観た当初から思っていたのは、ノストロモ号はいったいどこの恒星系まで鉱石を採りに行ってるんだろうという素朴な疑問。

地球からもっとも近い恒星でも4.2光年離れているというのに、ワープ航法も確立されていないような未来で、ハイパースリープで数ヶ月でたどり着くような恒星ってどこなんだという。

また、これは『2001年宇宙の旅』くらいのリアリティがないと難しいことだが、やっぱり船内に重力があるのは不思議という気がする。

これにこだわりだすとあらゆるSF映画はどうなんだって話にもなるけど、なんとなくこの映画はディテールに凝った結構リアリティのある雰囲気があるので、ちょい気になってくるのである。

 

この映画の秀逸なところは、エイリアンが最初にエッグチャンバーからフェイスハガーが飛び出し、寄生主に張り付き、そこから体内にチェストバスターを寄生させるというアイディア。しかもエイリアンは酸性の血を持つことから、引き剥がそうとしたフェイスハガーの体液があわや船内を貫通しかけるというしょっぱなからのサスペンスが素晴らしい。

 

チェストバスターが脱皮とともに成長していくあたりも良い。

それにしても危険な生物がいるのに、猫を追いかけてサミュエル・ブレットを単独行動させるのはいつ観ても解せない。危険だからこそ3人でチーム組んで行動してたのに実に間抜けな判断だ。サミュエルも途中エイリアンの抜け殻を見つけたのに、仲間を呼ぶことなく猫を探し続けるあたりはさらに間抜け過ぎる。

こういうアホな行動がないとサスペンスが盛り上がらないのは重々承知しているのだが、どうしても毎度焦燥感を覚える。

 

この映画のもうひとつ秀逸なところは、仲間のひとりがアンドロイドだとわかるあたり。ビルボ・バギンズことイアン・ホルムが実にいい味出している。またアンドロイドの体液が白いあたりの不快感も素晴らしい。このアッシュはエイリアンを捕獲することが目的なので、当初からそのような動きをしていることが改めて見直すと細かい演技からよくわかる。

 

テレビ放映時、吹き替えでマザーコンピューターのことを「おっかさん」と呼んでいて、個人的にはなんだかそれも良かった。

どことなくハイテクに見合わない庶民的響きっていうのかねー。

 

あと、最後まで誰が生き残るのかわからない作りになっているのもいい。リプリーも当初は主役っぽさがないのがよい。

ノストロモ号大爆発の振動が果たして真空状態の宇宙で伝わるのかは???なところもあるが、その後の生き残ったリプリーがエイリアンと最後の決戦をするあたりも何度観てもハラハラする。

だからこそ、エイリアンを放出したあとのすっきり感、そして猫のジョーンズと共にハイパースリープするラストは完璧に素晴らしい。

それにしてもこの猫、広い船内に無防備に放し飼いにし過ぎ。まあ、そういう要因がないとサスペンスが盛り上がらないのは重々承知してるんだけど…。