ネタばれあり

 

1980年、ダリオ・アルジェントが最初で最後のアメリカ資本で撮った映画。

何度も観てるけど、そーいえば、ここにレビューを書いたことがないので、再見ついでに一筆したためる。

配給元がなんと20世紀FOX! ダリオ・アルジェントの作風とまったくそぐわぬその配給元!

オープニングのおなじみファンファーレがはじまるとどうしても『スター・ウォーズ』でもはじまるのか?って気分になる。

でも、しっとりとキース・エマーソンの曲で始まる荘厳なオープニングなんだねー。

私、これを初めて見たのがテレ東で、その吹き替えが好きだったので、その吹き替え入りのDVDを購入してたんだけど、そこにバタリアンズのコメンタリーが入っていることに気がつかなかったので、今回はそのコメンタリーを聞きながら鑑賞してみた。

しかし、なんか、相変わらずバタリアンズのコメントってうっすいというか、たいして役に立たないというか、的外れっちゅーか、いろいろフラストレーションたまったなー。

唯一デヴィッド・フィンチャー『セブン』アルジェントの影響を受けているじゃないかって見解だけは面白かったかな。

 

まあ、今更これが『サスペリア』『インフェルノ』『サスペリア・テルザ 最後の魔女』と続く魔女三部作とか言わんでももういいでしょ! 素人じゃあるまいし! って私も含めて多分読んでくれている読者も普通に素人でしょうけどね。

『インフェルノ』『サスペリア』に比べるとちょっとあれな映画なんだけど、でも『サスペリア』同様に色彩とか美術とかが魅力的で、あれこれつっこみどころ満載な点も含めて、アルジェント作品としてはベスト5に入るかなーといった感じ。

 

アメリカ資本だからねー、舞台はニューヨーク。

ロケ地がローマで、まったくニューヨークっぽさのかけらもないけど、設定はあくまでニューヨーク。

バタリアンズ情報で最初に登場するローズが実は『ミッドナイト・エクスプレス』の主人公の恋人役だったと知って「へー」って気分。主人公の自慰を目の前で見せられちゃうあの彼女ね。

『インフェルノ』の女性陣は大変きれいどころ多い。いや、アルジェント映画は割と綺麗どころ多いけど、この映画は特に美女揃いに感じる。

 

これが『ヘンゼルとグレーテル』ベースで、魔女の住処が甘ったるい臭いがするのは、お菓子の家的なイメージだというのはふむふむって感じ。

でも、それと男女の兄弟って設定以外に『ヘンゼルとグレーテル』感なんて微塵もないけど。

それは『サスペリア』のベースとされた『白雪姫』もそうだけどね。あれも主人公が赤いワイン飲んで眠らされているって設定以外にほとんど『白雪姫』感ないし。ちなみに『白雪姫』がベースというのは、どうやらストーリーではなく、ディズニーアニメの『白雪姫』の色調にしたということらしい。

 

のっけから、このローズが屋敷の地下に降りて、その底にたまる水たまりに鍵を落として拾う場面に唖然とする。

自分だったら絶対そんなこと入りたくないよ。おまけにその水底には死体まである。

そんなものに遭遇したらその足で警察に行くだろうけど、ローズにそんな様子はまるでない。

地下は柱が崩れて、証拠となる水たまりは閉ざされたっぽい演出もあるけど、それにしてもローズは暢気すぎる。

 

話はローマにうつり、ここでやっと役立たずと評判の弟マークが登場する。

マークが出会うネコを抱えた美しい女性が一体なんだったんだとバタリアンズはコメントしてたが、いやいや、ローマに住む涙の母だろう!ってツッコミたくなったね。それくらい誰でもわかろうもんだが。

そもそも最初にドイツには嘆きの母サスピリオルム『サスペリア』、ニューヨークには暗闇の母テネブラルム『インフェルノ』、ローマには涙の母ラクリマルム『サスペリア・テルザ 最後の魔女』が住むって説明しておろうが!

ちなみに自分的にはこの三人の母設定すごく好き。

とにかく一番若いと言われる涙の母の美しいこと。演じるはアニア・ピエローニはこん時がいっちゃん美しいというか、のちにルチオ・フルチ『墓地裏の家』なんかにも出演していたけど、別人のようだった。

なんだったらもっと彼女メインの映画を撮って欲しかったが、『サスペリア・テルザ 最後の魔女』では別の女性が涙の母を演じていたので、がっかりしたもんさ。

 

で、涙の母はしきりにマークが姉ローズからの手紙を読むのを阻止しようとする。

しかし、マークが手紙を読むのを阻止することは出来たが、マークの彼女であるサラがそれを読むことを阻止出来なかったようだ。

詰めの甘い魔女。

 

サラがタクシーに乗って、その手紙に書かれた『三人の母』の本があるという図書館に向かう時の曲がやたら格好いい。実はこの曲ヴェルディ『ナブッコ』のアレンジ版だったのね!

タクシー運転手は『サスペリア』の冒頭のタクシー運転手と同じ俳優さん。

サラがタクシーから降りる時、謎の釘が出ていて手を怪我する。

なんでタクシーのドアににそんな突起物が? ローマのタクシーではよくあることなのか?

雨の中、指の血をひたすら吸いながら立ち尽くすサラ。バタリアンズじゃないけど、なんで雨の中ずっとそこに立っているのか謎のシーン。

まあ、アルジェント映画にはそんなへんてこな間が時々ある。

 

『三人の母』を読み始めた直後図書館が閉館になるのだが、その時の演出は吹き替えならでは。やたら不気味な声で「サラ」と呼びかけてきて、本をぱくって退出しようとするサラに「サラ、おやめ〜」なんて声が入るのはいかにも日本の怪談っぽい。

この演出は吹き替え版ならではで、自分はとても気に入っている。

 

図書館の地下にある部屋はなんなんだ?とか、そこにいた人物はなんだったんだ?って話でもあるが、もともと建築家バレリは三人の魔女の家を建てたと言ってるし、図書館のまわりで甘ったるい臭いがしていたことからも、あそこはもともと涙の母の住処なのだろうと思う。

彼女は図書館の地下に住み、ずっと『三人の母』の本を見張っていたのだろうか?

美しく若い女性の姿をまとっているが、案外本当の姿はあの地下室にいた人物みたいな姿なのか?

あるいは、あの人物は錬金術師だという説もある。

ってことは、あの人物は魔女の手下で、あの地下の部屋は錬金術の部屋なのか?

何かぐつぐつ煮ているが、あれがちょっとシチューみたいで美味しそうと思ってしまう。

個人的には、あの部屋の様子を見るに、あれは古書を修繕するために部屋ではないかという気がする。

あそこでぐつぐつ煮られているものは本を修繕するための糊なんじゃないかなーっと。

 

サラが本を置いて図書館を逃げ出すと、追ってきた人物は図書館の外まで追ってこようとしない。

なんで図書館からもっと追ってこなかったのかは謎。でも、結局はサラをマンションで殺す。

サラがマンションで出会う男は『サスペリア2』でおなじみのカルロことガブリエル・ラヴィア。役名も同じ。

ここで月のアップと共にかかるオペラヴェルディ『ナブッコ』が効果的。この映画、全般的に曲の使い方がいい。

サラがマークに電話する際に謎のイメージカットが入り、そこで映画には登場しない首つりの女が現れる。あの女は誰なんだ?っとちょっとした物議になったが、首つりで殺された女性のシーンがカットされて、イメージカットとしてそこだけ残ってしまったのか、他の映画で撮ってストックしてた場面をイメージカットとして持ってきたのか、ちゃんと狙いがあってわざわざイメージカットだけを撮ったのかは一切かわらない。

なんか別の映画で撮ったシーンを適当に引っ張ってきたようなカットだったけどね。映画のトーンがここだけ違うっていうか。

実は今回見直すまでそんなカットがあることも気がつかなかった。

なぜならば、私は長年ずっとテレ東で録画したものを観ていて、その記憶しかないからだ。

今回わかったのだが、『インフェルノ』にもいろいろな公開バージョンがあって、テレ東公開バージョンの際にはこの首つりや黒手袋の一連の謎カットは、図書館で追われるサラの回想シーンに差し替わっていたらしい。道理でこの場面あまり頭に残ってなかった訳だ。

編集的にはテレ東バージョンの方が意味が通っていて納得出来る。

停電になるとカルロがめっちゃ怖い顔になるので、これはカルロが実は…と観客に思わせるミスリードなのかなーっと感じる。

アルジェント映画は時に誰もが怪しく、誰が殺しにくるか油断ならないところがあるからね。

で、そんなカルロはあっさり魔女に殺されて、血を吐きながらサラにしがみつく厄介な男と化す。

いや、カルロは見ず知らずの女性が「私怖いの」っと訴えただけで、「2、3時間なら一緒にいてあげますよ」と言ってくれる親切な人なんだけど、とんだとばっちり受けちゃってかわいそう。

しかし、いくら怖いからって、初対面の男性を一人暮らしの女性の部屋に入れてしまうサラって大胆だなー。

 

で、そもそも魔女はなんで『三人の母』の本をちょっとでも読んだ人間を殺しまくるのかよくわからんのよ。

そんなに自分たちの存在を知られたくない割には、カザニアンのお店には3冊も本があるし、誰でも読める図書館にも置いてある。

知ってほしくないのか、知ってほしいのか、いったいどっちなんだって感じ。

あえて目につくところにおいておいて、それを読んで興味を持ったものを殺して楽しんでいるのか?って気もするが、それにしてはカザニアンのところにあった本を途中で回収してるんで、結局何がしたいのかよくわからん。

 

それに、本のことをマークに知らせたり、死体を見つけたり、一番秘密に近づいているローズは放置なのに、サラはそのローズより随分早くさっさと殺したなーと。

そんなに魔女はマークに姉の手紙の件が知られたくなかったのかねー。いったいなぜ?

 

で、魔女の思惑をよそに、マークは姉を探しにニューヨークへやってくる訳だが、マークのまわりで次々と人が死んでいくのに、マーク本人はそのことを一切知らないという、まったくストーリーに絡まない変な主人公なんだな。

途中甘い匂いを嗅いで気分悪くなって倒れるくらいで、その間にさっさとあちこち人が殺されていく。そういえば、『サスペリア』も主人公も謎のワインで眠らされていて、その間にどんどん人が殺されているという意味では同じパターンとも言えるんだけど。

それに唐突なひらめきで事件の核心に迫るという点も同じといえば同じ。

 

今回、マークが出会うマンションの住人キャロルが実はダリア・ニコロディと知って衝撃を受けている。

だって『サスペリア2』とは全然別人に見えるのだもの。メイクで随分イメージって変わるものね。

 

キャロルとサラがパイプを通じて会話をしてた事実をマークに語る場面でパイプの映像が出てきて笑い声がするんだけど、その笑い声も吹き替え版の方が良かったなー。

 

キャロルが絨毯の血糊や、カーテンの血の手形に気がつく場面で、血の色がローズが死んでから時間がたっているはずなのに鮮明な赤なのは、あくまでリアリティよりビジュアルを重視した結果よね。

 

今回キャロルが猫に襲われて死ぬ場面で、このDVDを貸した知人が、スタッフの手が写っていると指摘してきたのだが、改めてみたらほんまやーって感じ。

そして、バタリアンズが猫に襲われるシーンはダリア・ニコロディではなく、男性の身代わりであるという指摘に納得。

言われてみれば体つきがごつい。

 

そして、みんな大好きカザニアンが殺されるホットドッグ屋のシーンは、月食と壮大な音楽でやたらに盛り上がる(バタリアンズがこれをまた日食とか言っちゃうのね)。

あのホットドッグ屋の親父はなんだったんだと方々で物議を醸しているが、私は単純にあれは魔女の手下で、普段から魔女の使い魔であるネコに餌をやってたりして(殺した人間の肉を猫に与えてるみたいな印象を受けるシーンもあったりするし)、そのネコを殺したカザニアンに復讐しているんだと思っていた。

アルジェントのコメントによれば魔女のパワーによって周りがどんどん狂ってきていることを表しているとか。

まあ、いろいろ唐突で度肝を抜くシーンであることは間違いない。

 

相変わらず『サスペリア』にも登場した魔女の手下アリダ・ヴァリが、裏切り仲間を殺されて動揺するあまりに火のついた蝋燭で屋敷に火をつけてしまう。このふたりの死も唐突というか、急展開すぎる。

そして、この火災は魔女の予想外の結果なのか? だとしたらまぬけ。

仕組んだとしたならば、なんの為に?

相変わらず魔女の目的がよくわからん。

 

蚊帳の外だったマークは「秘密は君の靴底の下に」という言葉で突然部屋の下に秘密の通路があることが閃く。

で、彼はあろうことか、部屋の床板を外し、土台のコンクリートを壊すなんて暴挙に出る。

姉が殺されたことを知らないマークは姉の手がかり欲しさにこんなことをしてるんだろうけど、なかなか賃貸の部屋でこんなことはしないよね。

この通路にネコが降りる時にまたもやスタッフの手が写っていることを知人から指摘があり、確認したら、ほんまに手が写っとった。

結構撮影が雑ねー。

 

ここでこの映画の中で最もかっこいい曲『マテル・テネブラルム』がかかる。もはや、何事かと思うような荘厳なオペラ。

ただただ「サスピリオルム♪ ラクリマルム♪ テネブラルム♪」と三人の魔女の名前を連呼する曲。

私はこのシーンが好きなあまり、昔何度となく巻き戻して観たもんさ。

猫がネズミを食うモノホンシーンとか、今ならコンプラに引っかかりそうな…。

 

ここでマークは地下通路から魔女の部屋に続く別棟を発見するのだが、これまたバタリアンズが、マークがなぜ階段を降りる途中他の通路を見るシーンがあるのかわからない的なことを言っていたが、あれは、各階の部屋の底にはすべて魔女の部屋に通じる通路があるってことを見せているんだとなぜわからんのだという気分になる。

 

まあ、そもそも、なんで魔女の部屋に通じる秘密通路が各部屋の下にあるのかよくわからんのだけどね。

バレリはいつか自分の本を読んでその謎を解いて魔女の存在を暴いてくれる誰かを期待してたんだろうか。

 

そんなバレリだけど、マークがやっと秘密にたどり着くや否や彼を殺そうとする。

だから、バレリは一体何がしたいんだって。

もしかして、秘密をさぐって欲しかったけど、やっぱり魔女には逆らえないから、魔女の命令でマークを殺そうとしたのかねー。

あるいは自分のヒントを元にゴールにたどり着いた人間を殺すというバレリのお遊び?

このバレリが拡声器的なものを喉につけて話すという設定はなんだかインパクトあるというか、『サスペリア』の盲目のピアニストとか、アルジェントのこういうさりげない障害者の描き方がなんだか印象深かったりする。

 

そんなこんなで、訳がわからないままに、やっとマークは暗闇の母とご対面。

これがまたバレリに付き添っていた看護師でしたというオチね。

確かに意外性はあったけど、この看護師がラスボスと言われても全然怖くないのよ。

実際『サスペリア』の嘆きの母の方がビジュアル的にはよっぽど怖いというか、一番残忍であるはずの暗闇の母より嘆きの母の方が残忍だったよねーと言う感じ。

普通にみえた人が一番やばい人だったというオチは悪くないんだけど、やっぱり最後までそこまでやばい人には見えなかったもんなー。

 

さらにこの看護師、自分はあるときは嘆きの母、またあるときは涙の母、そしてまたあるときは暗闇の母、しかしてその実体は!なんてキューティーハニーみたいなことを言い出す。

え? つまり三人の母って結局一人の存在なの???

なんてこっちが戸惑っているうちにバーンと「死神だ!」なんてオチをぶっこんでくるので、ますますこっちは???なのよ。

またその死神のデザインがハロウィンの仮装みたいな安っぽさで。

死神はマークに「死ね!」なんて叫んで炎を発するけど、なぜかマークにはまったく届かず、これまで数々の人を殺してきた死神パワーがなんでマークに無力なのかもさっぱりわからず。

あとはもう『サスペリア』と同じパターンでマークが焼け落ちる屋敷から逃げ切って、死神も崩れ落ちる屋敷の下敷きになったくせに、何故か勝ち誇ったような笑い声をあげるという、まあ、普通に観客をぽかーんとさせるエンディングね。

で? 結局なんだったの? この映画?

っていう置いてきぼり感みたいな。

 

いやいや、アルジェントにまともなストーリー性を求めてはいかんのはわかるけど、少なくとも『サスペリア』『サスペリア2』は一応筋は通っていたような気がするけど、これに関しては支離滅裂感否めず、完全にアルジェントが暴走した作品だと思うが、でも、だから駄目ってこともなく、音楽と映像美術には一見の価値もあるし、これはこれで訳わからんけど面白いってことでよしなんだわさ。

でも、こんだけホラームードもりあげておいて、びっくりするくらい怖くないのはなぜなのかしら。

ここまでくるとなんだかホラーの様式美を見せられたようが気がするからかな。