監督のヨアキム・トリアーはなんとラース・フォン・トリアーの遠縁にあたるらしい。

 

北欧版『キャリー』なんて話もあるが、狂信的な親による抑圧と、思春期の女性のサイキックパワーという点は共通しているかな。

『キャリー』よりもずっと地味だけどね。

 

最近日本では世界初の「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(長い)が制定されたけど、2017年の作品ながら、そんな時代の流れをなんとなく表す作品のようにも感じられる。

 

 

ネタばれ

 

自分は同性愛ものの映画は興味がないので、その設定だけで観るのを失敗したなーという気分ではあった。

どーも女性同士がいちゃいちゃするのを観るのは居心地が悪いしね。

ただ、キリスト教的には同性愛は禁忌だし、酒やたばこを吸うだけで罪悪感を覚えてしまう主人公には、自分が同性愛者である現実は確かにストレスではあるなーと思う。

 

しかし、同性であれ異性であれ、自分は観劇している最中に自分の足をさわさわしてくるような輩は気持ちが悪いと思うし、そこで劇場を出ようとする主人公がその友達といきなりキスする展開はちょっと理解不能すぎちゃって引く。

 

母親の愛情を奪う弟を氷の下に飛ばし、恋愛感情を抱いてしまった女性アンニャを消し、抑圧する父親を火に包む、主人公の能力はいまいちよくわからん。なんでもありなんか?

赤ん坊の死体が氷の下にある映像はショッキングだし、体が炎に包まれる父親の死に様もなかなか気分の悪いものがあるが、アンニャだけは直接的に殺す描写がないせいか、あっさり蘇らせることが可能なようだ。また、母親の足を治すという力も発揮する。

キリスト教的倫理に縛られた主人公が、そこから解放される物語だと思うのだが、都合の悪い人間はとにかく超能力で消していくというのもなんとも安易で単純過ぎる。

カラスや蛇などもどういう意味があるのか、何か宗教的な意味合いなのか。

映画の中で主人公が言う「キリストはサタン」と言う言葉が象徴するように、彼女はある意味これまでの抑圧を解放するキリストでありサタンなのかもしれない。