ネタばれあり
1979年公開、大竹しのぶの代表作のひとつとも言われている。
原作は同名の山本茂実によるノンフィクション。
大竹しのぶはひたすら健気で愛らしい女工を演じていて可憐だった。
実は有名な作品だけどずっと観る気がしなかった。
女工たちが厳しい労働環境の中でばたばたと悲惨に死んでいくお話だと思っていたから気が進まなかったのだ。
でも、ここにきてなぜか観てみようと思った。
実際観ると、私が想像していたよりは悲惨ではなかった。いや、もちろん、労働基準法なんてない時代のお話だからして、過酷な労働状況や、今で言うパワハラ、セクハラなども当然のようにあるし、悲惨といえば悲惨なのだけど、自分の頭でこれまで想像していたイメージよりは悲惨ではなかったというか。
映画も悲劇的な出来事はあるが、ずっと悲壮感漂う演出にはなっていなし、それなりに楽しげで明るい描写もみられる。女工さんたちも厳しい労働下の割には結構血色よかったりして、いや、それは現代の俳優が演じているからやむなしなんだろうけど。
それに、ろくに休憩はもらえない状況ではあったが、それなりに食事はきちんととれていたようなので、そこまでばたばた人が死ぬという感じではなかった。
実際のところ、この時代の女工さんはどれくらいの割合で死亡したんだろう。
とにかく同じ口減らし的な意味合いでも女郎を描いた作品よりはややマイルド感はある。
そして吉原では女郎の世界でも花魁道中なんていう華やかな一面もあったりする訳だが、女工の世界でも百円工女なんてわずかながらのサクセス感があったりするのだな。
大竹しのぶ演じる政井みねは実在した人物で、銅像もあるらしい。
一度は百円工女でサクセスするも、二度目の奉公で結核に罹患し故郷飛騨を目の前に死亡する。
最初は製糸会社の社長の息子に言い寄られたりもして、いっそ社長の息子の妻になった方が楽な暮らしが出来たのではないだろうかと思ったが、まあ、この社長の息子、最初はちょっと優しい感じもあったのだが、結果的にとんでもないクズ男だったので、みねの判断は正しかったのだろう。
このくず息子を演じるのが『ウルトラセブン』のモロボシダンこと森次晃嗣なんだけど、やっぱ幼き時に見たヒーローには、悪役を演じるのは俳優業として仕方なしとしても、女性を襲うような役をやって欲しくないという心情はあるねー。観ているあいだ「ああ、モロボシダンが…」なんてことをつい思ってしまう。俳優としてはそういう目で見られるとやりづらいだろうけどね。
政井みねは貧しい農家の出ながらも、家族に恵まれて、気立ての良い娘だし、女工の仕事も優秀にこなすわけだが、対する原田美枝子演じる女工は孤独な身の上で、勝ち負けにこだわり、社長の息子の子供を宿すも捨てられ、その子供さえ失うというとことん薄幸な運命で、まるで悲しい身の上の人間はなりあがろうとしても結局悲しい結末になると言われているような後味の悪さがある。
この映画を観て涙したという人もあるが、自分はなぜか泣きはしなかった。
みねが死んだ時女工が集まって嘆く様子はちょっと感じるものがあったけど、やはり泣くには至らないかな。
とはいえ、私は明治大正時代にロマンを感じるが、それはやはりある程度めぐまれた環境にある人たちの暮らしぶりであって、貧しい農家などのこのような状況はロマンとはほど遠いものだ。
映画でも鹿鳴館の華やかさと対比して描いていたが、その華やかさの一方でこうした現実があったのだと言うことは心にとどめておくべきことだとは思う。