坂本龍一の訃報の流れで、なんとなく観たくなりました。
観るのはこれで3度目くらいだけど、この映画はどうもすっきり自分の腹に落ちてこない映画でして、いまいち理解しきれてないというか。
でも、デビット・ボウイが坂本龍一に接吻するシーンや、ビートたけしの最後の笑顔など確かにどこか心に引っかかるものがあるし、なんといっても坂本龍一が自ら大島渚監督に名乗り出た曲がね、いい仕事してる訳ですよ。
原作はローレンス・ヴァン・デル・ポストによる「影さす牢格子」と「種子と蒔く者」という小説を元にしていて、自身もインドネシアのジャワ島での、日本軍俘虜収容所体験していると言う。
だから、この映画に登場するローレンスは作者自身と言えるのでしょう。
私は原作は未読だが、原作と映画の相違点について語るブログをネットで発見して、この映画の理解が進んだ感じ。
ということで、これまで理解出来なかったこと、あるいは、自分が感じた違和感などを語りたいと思う。
なお、ここからはネタバレです。
私が一番理解しにくかったのは、やっぱりボウイ演じるセリアズと、教授演じるヨノイの関係性だ。
どことなく同性愛的なものが匂っていて、少なくとも若い頃はそういう関係性がよくわからなくて感情的に蓋をしていた感じ。
そういう意味では同性愛的な匂いのないたけし演じるハラとローレンスの関係性の方が受け入れやすいものがある。少なくとも昔の自分は同性愛は理解出来なかったが男の友情ならなんだかわかったような気分になれたということだ。
ただ、もともと日本は衆道という文化があり、男色に関してタブーという訳ではなかったという過去を知ると、軍隊という特殊な状況下で男性をレイプしたり、ヨノイがセリアズに同性愛的に惹かれた経緯というのは特殊なことではなかったという理解が進んだ感じ。
また映画ではあまりにさらりと描かれていたので気にとめてなかったのだが、ヨノイが二・二六事件に参加出来ずにそれをどこか負い目に思っていること、だからこそ住民への危害を危惧し自ら捕虜となったセリアズに惹かれる自分への負い目という二重苦による苛立ちなど、彼の心情的背景が以前よりわかるような気がする。とはいえ、この場合セリアズに性的魅力を覚えたのか、人間的魅力を覚えたのかはちょっとわかりにくい。セリアズが背中の怪我を見せるために衣服を脱ぐというシーンが挿入されることを考えると、前者の方が強かったのか?
また、途中セリアズを殺そうとしたヨノイの部下も忠実な部下であるだけでなく、ヨノイに同性愛的感情を抱き嫉妬していたのだろうか?
とにかく先に敵兵をレイプしてさげすまれた朝鮮人というエピソードがあるように、誇り高いヨノイにとって敵兵にそうした欲望を抱くこと自体が恥じ入ることだったのかもしれない。
(ちなみに、朝鮮人の兵士が切腹した後、敵兵のオランダ人が舌をかみ切ったのはなぜなのか? 実は相思相愛だったということなのか?)
セリアズもセリアズで弟のエピソードは印象的ではあるが、その罪悪感、免罪という感覚がやっぱり腹に落ちてこない感じだったが、完璧を求めるセリアズが、そのために弟を見捨て、その歌声を奪った罪悪感から、軍人となって戦い、そしてまた、自らを完璧であろうともがきつつも、セリアズに惹かれ、二・二六事件の負い目を抱き続けるヨノイにどこかシンパシーを覚えたのではないだろうかと、ふたりを結びつける心情に理解が進んだ感じ。
この場合セリアズはヨノイに同性愛的心情があったのかどうかは不明確だし、自分はなかったのではないかという気がするが、セリアズがヨノイに接吻したのも(原作では抱擁だけで接吻はしてないそうだ)、同性愛的なものではなく、ヨノイへの受容すること、すなわち自分への許しであり、一種のキリスト教的無償の愛のような気がする。あるいは仏教で言うところの慈悲なのか?
教授の演技は上手とは言えないが、このセリアズに接吻された際の表情は絶妙でカメラワークの力もあって、最高のシーンに仕上がっている。接吻のあとセリアズがぐっとヨノイを見つめる視線も素晴らしい。
そのセリアズの命がけの愛によってついにヨノイの心の鎧が砕かれる流れは名シーンと言えるだろう。
ヨノイを受容することで、セリアズはやっと弟の許しを得て天に召される。人間が人間以上の愛を示した時、その人間の地上での役割は終わりなのかもしれないという気がする。
セリアズはキリストの磔刑にも匹敵するような厳しい処刑がなされ、ヨノイはセリアズの髪を切り、ここに憎み合う戦争の中で、愛を示したセリアズの思いが種となってヨノイの中に蒔かれた。
と、ここで引っかかったのは、せっかく種を蒔かれたヨノイが戦後あっさり処刑されてしまったことだ。
私としてはヨノイは生きてその罪を背負い、世界を変える礎となるべきだと思うのだが、処刑されては意味がない。
実は原作ではヨノイは処刑されず、自らセリアズの髪を奉納したということらしい。私はその方が良いと思うが、大島渚はヨノイを処刑せずにはいられなかったのか? 彼の捕虜に対するクライマックスの無慈悲な行為、その犯した罪は生きて償うでは足らなかったのか?
ここは、昔から違和感があったのだが、原作は処刑されなかったと聞いて、ちょっと納得出来た気がする。
さて、ハラとローレンスの関係性だが、こうなってくるとハラはなぜクリスマスにローレンスとセリアズを釈放したのか、なぜ、最後にローレンスを受容したのか、セリアズやヨノイの心情以上に不明確である。
ただ、ハラは戦時中でなければ気のいいおっちゃんだったのかなーという感じ。
最後に処刑から自分を救えないローレンスを許し笑顔を贈るのも、ヨノイとセリアズの姿に何か心動かされるものがあったのだろうか。
原作でもこのハラの笑顔は美しかったと描写されているようで、ハラも処刑を前にして神の愛の域に達したかのようにみえる。
そう思ってみると、ハラの最後の笑顔は今まで以上に心に沁みるものがあった。
そして絶妙なタイミングでテーマ曲がかかる。
正直戦メリはちょっと奇妙な映画とは思う。奇妙な映画であるが、どこか心に引っかかるそんな映画だ。