ネタバレあり
泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』の映画化。
1979年に公開され、1981年に一度だけテレビ放映された幻の作品。
私はこの1981年テレビ放映の歳に一度だけ観た記憶あり。
権利問題が絡んでいたのか、長らくメディア化されることがなかったが、2021年に4Kデジタルリマスター版としてリバイバルされ、Blu-rayも発売もされている。
私も久しぶりにとアマゾンプライムで観る事が出来た。
この作品は何と言っても、坂東玉三郎である。
池の底に封印されている龍神、白雪姫と、美しい人間の女性百合の二役を演じている。
特に白雪姫は歌舞伎女形のメイクがばっちりで、人外の美しさを醸し出す。
一方百合の方はメイクが普通なので、どうしても男っぽさが感じられる。百合も後半は白塗りメイクをするのでそこからはやっぱり人外っぽい美しさが漂う。
とはいえ、玉三郎の本領発揮はやっぱり白雪姫という気がする。キャラ的にもいかにも姫の気性という感じで魅力的だ。
白雪姫がそこまで慕う剣ヶ峰の恋人の姿も見てみたかった。
百合はなんだかめそめそと男に依存的で鬱陶しい。加藤剛とのキスシーンもあるが、女形とはやっぱり心も女性になりきって演じられるものだろうかなんて考えがノイズになる。
それにしてもこの百合という女性が最後まで謎だった。
白雪姫も百合を特別視しているのは何故なのか? 彼女がただ美しい女性であるということだけで、妙にシンパシーを感じている。最後にいたっては「お百合さん、お百合さん、一緒にお歌を歌いましょうね」と語りかけてさえいる。
とにかく百合の美しさは、あたかも魔性であるかのように人を恐れさせる域にあるので、私は最初百合は白雪姫の分身なのかと思っていたが、特にそういう訳でもなさそう。
でも、孤児という設定からしても、百合はやっぱり何らかの化身だったのではないかと言う気がする。
このあたりは作品でははっきり明言されない。同じ恋する女同士というだけではなく白雪姫と百合にもうひとつ接点があると良かったのになーとは思う。百合は恋人を守る為に自らを犠牲にし、白雪姫は恋人に会うためにまわりを犠牲にするという意味では対照的な恋の形を描いたとも言えるのかもしれないけど。
百合がお人形を赤ん坊代わりに語りかけるあたりなど、どことなく怖くもあるのだけど、何を意味しているのかはちょっとわからない。
加藤剛、山崎努と男性陣も良かった。
ふたりともものすごく若いなー。
水不足に陥った村で、目にゴミが入った山崎努の目に母乳をふりかけようとする女性の存在が度肝を抜く。
もともとは舞台として上演されていたようだが、映画として見せるなら、やっぱり舞台では描けない洪水シーンのスペクタクルには力が入るのだろう。79年の特撮だが、かなり見せ場となっている。
最後に決壊した池はイグアスの滝の海外ロケということで、とても迫力あるシーンとなっている。
鐘を突き龍神を静めるという掟を怠ったために村が滅びるというだけのお話なのだけど、どことなく不穏で怪談じみた演出。それでいて白雪姫をはじめとする精霊たちが登場するシーンはやけに舞台っぽい。
なので映画的でもあり舞台的でもある。
村のロケは白川郷かと思ったら違うようだ。白川郷以外にも岐阜県や富山県にはこういう合掌造りの集落群が残っているのだな。こうしたロケーションはとても良かったと思う。
池の映像も実際存在する夜叉ヶ池ではなく縄ヶ池という話しもある。
松竹としては制作費2億をかけ、興行的に失敗するという、負の遺産のようだが、決して悪くない作品だし、国宝級の美しさを放つ玉三郎の若き姿をフィルムに焼き付けたというだけでも価値があるかも。