1961年にブロードウェイミュージカルを映画化したロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』は私が小学生よりもっとも好きなミュージカルで、映画は何度も観たし、サウンドトラックも何度も聴いたし、劇団四季や、ブロードウェイキャストによる舞台も複数回観ている。

それほど大好きな作品故に、スピルバーグがリメイクすると聞いていまいち不安を覚えたものだ。

それはスピルバーグ、ミュージカル、ウエスト・サイド・ストーリーが自分の中であまり一致しなかった為である。

 

キャスティングの発表の時点でも「なんか違う…」と言う気持ち、そして予告編を観ても、あまり期待値があがってこない。

それでも、歴然としたベースがあるのだから、そこまではずれることはないと思っていたが、いや、それは甘かった。

 

とにかくこれだけは言える。

もし、私が小学生の時、最初にスピルバーグ版の『ウエスト・サイド・ストーリー』を観ていたならば、私は『ウエスト・サイド・ストーリー』をこれほどまでに好きにはならなかっただろう!

 

と言うことで、これからネタバレを含めスピルバーグ版R&J版を長々検証したいと思う。

ちなみにR&J版は舞台版といくつかの相違点はあるが、ほぼほぼ一緒。

スピルバーグ版の方がより多くの変更を加えている。

 

まず、キャストの面だが、R&J版はプエルトリコ人を白人が演じていたが、スピルバーグ版はほぼプエルトリコ人をキャスティングしている。

私は個人的には、昨今のトランスジェンダーの役はトランスジェンダーが演じるべきだとか、その国の人種はその人種が演じるべきだとは思わない。舞台でいえば、男が女を演じたり、女が男を演じることは歌舞伎、宝塚の世界ではあることだし、若い人間が老人を演じようが、別の人種が別の人種を演じようが、問題ないと思っている。

昨今の人種や性別のこだわりは、私はひとつにはビジネス的な問題だと思っている。日本人の役を中国人が演じたら、日本人俳優の仕事はなくなる。マイノリティの俳優にとっては、仕事を得る絶好の機会だからこそ、そこにこだわるのではないかと思うが、本来はその役にあっているなら、どの俳優が演じたっていいと思う。

とはいえ映像においては実際の人種を起用した方が確かに絵的にはリアリティはある。

 

歌は基本的に本人が歌っているようだが、私は歌が吹き替えであることにそこまで抵抗がない。

ここはどっちでもいいかなーという気分。

 

配役に大きな変更点はないが、一点ドクをヴァレンティナという女性に変更している。

このヴァレンティナを演じるのはかつてアニタを演じたリタ・モレノ。現在90歳で歌も披露する。これはすごい。


スピルバーグは歌に関してはほぼオリジナル通りで、特に大きな変更は加えていない。

しかし、ダンスに関してはかなり変更を加えている。

歌もそうだが、ダンスも同じくらいWSSの要だと思うのだが、スピルバーグはそこにはこだわりはなかったようだ。

 

オープニング。

WSSのアイコンと化している、ジョージ・チャキリスを含む3名の脚上げポーズ。

スピルバーグはこの有名なポーズをカットしている。

あれがあってのWSSなのに、いきなり出鼻をくじかれる。

ここで一気にテンションが落ちる。

しかし、カメラワークなど演出面は悪くはない。

しかしダンス的な要素は大きく削られた印象。

 

リフ役のマイク・ファイストは結構好き系な俳優。だが、リフにしてはちょっと線が細い印象。

ラス・タンブリンのリフの方がリーダーの風格があった。

ジェット団はAラブとかアクションとか印象的なメンバーが他にもいるのだが、スピ版ではリフ以外は誰が誰だか状態。

 

トニーに前科があるなどの設定が加えられている。

その設定もちょっとひっかかると言えばひっかかる。

個人的好みによるのだが、トニー演じるアンセル・エルゴートにはどうも好感を覚えない。

いずれにしてもリチャード・ベイマーもそうだが、リフと共にジェット団を立ち上げたワルにはあまりみえない。

というか、R&J版のリフもトニーも育ちがよさそうなのよねー。

ぶっちゃけ、トニーは恋に惚けたおまぬけさがあるのだけど、そういう意味ではリチャード・ベイマーの方が好感を感じる。

 

アニタ(アリアナ・デボーズ)、マリア(レイチェル・ゼグラー)のキャスティングは悪くない。

特にアニタはリタ・モレノもそうだったが、魅力的だ。

 

ダンスパーティのシーンのダンスはちょっと見せるが、マンボのダンスはオリジナルの方が好き。

アニタを筆頭とした女性陣がポーズを決めながら前進する場面が印象的なのに、スピ版ではここもカット。

 

マリアとトニーの一目惚れの流れもR&J版の方がいい。

理屈を抜きにしてお互いを惚れ込んでしまう運命の出会いっぽさがよく出ていた。

スピルバーグ版は演出上そのあたりが弱い上に、ふたりが誰もいない舞台裏でキスする設定にしたのは違和感。

オリジナルのように、互いに惚れ込んでしまうあまりにまわりがみえなくなる方が恋愛のパワーを感じるし、ベルナルドが激高するのも直接マリアとトニーがキスをする所を目撃した方が説得力がある。

 

ジェット団とシャーク団はここでいきなり決闘の段取りを決める。

本来はドクの店で打ち合わせをしてからの決闘という流れで、トニーがここで武器がエスカレートをする両者を留め、こぶし1対1の決闘とするよう促す。恋に惚けたトニーがかつてはリーダーシップをとっていたのだと思わせる大事な場面だが、ここを割愛してしまう。

 

また、マリアを歌い上げるトニーをスピルバーグ版は非常に揶揄した演出を見せる。

恋に酔ったトニーの横を冷ややかに通り過ぎる黒人。白人、プエルトリコ人の対立の影に、もっと厳しい立場にある黒人の存在を伺わせる演出が他の場面にもちょいちょい取り入れられている。

でも、そういう皮肉な視点ここにいるかなーと私は思うけどね。ここはただ恋の素晴らしさに酔う場面でいいと思うし、他にもそんなトニーを滑稽で笑いものにするような演出が入るが、ちょっと嫌な気持ちになった。

そういうのはパロディとしてやるにはいいけど、この世界観の中でやってはいけないと思うんだよね。

 

さて、WSSでも最もスタンダードなトゥナイトであるが、R&J版ではただふたりが歌うだけの場面を、スピ版ではいろいろ工夫した演出を加えている。少々せわしない感じもあるが、この演出自体は悪くはないかなー。

 

スピ版で一番悪くないかなーと思う場面はアメリカの歌。

舞台版ではここは女性だけが歌う場面だが、R&J版は男女混合でダンスシーンたっぷりに見せるよい場面。

スピ版R&J版にならってか、男女混合で、カメラワークに懲った演出を見せる。

正直ダンスそのものはR&J版の方が好きだが、スピ版も見せ方は悪くなかった。

ただ、最後に子供も一緒に踊るあたりは、スピルバーグだなーと言う感じ(と言うかディズニーっぽい?)。これは好みによるが、私はそういうのはいらんかなーと思う。

 

クラプキ巡査の悪口に関しても演出面はまあ、悪くはなかった。

舞台版ではクラプキ巡査の悪口とクールのナンバーは映画版とは逆で、ジェット団とシャーク団が打ち合わせをする前にリフ主体でクールを歌い、決闘後はクラプキ巡査の悪口という流れになる。

私はここにおいては、R&J版のように、決闘の打ち合わせ前にクラプキ巡査の悪口、決闘後にクールの方が断然良いと思うので、スピ版もそれにならったのは正解だと思う。

 

トニーとマリアのデートだが、本来はマリアが務めるブティックで落ち合う事になるが、スピ版では電車に乗ってデートする。ニューヨークのスケール感を出したかったのだろうが、私はオリジナルのように、ふたりが結婚ごっこをしながら、やがてその気になっていく演出が好きだ。ブティックのマネキンなどの使い方も効果的。

その点スピ版は教会に来る演出がまんまという感じでストレート過ぎる。

オリジナルでは決闘を止めるように進めるのはマリアだが、何故かここではトニー自ら決闘を止めに行くという変更が加えられる。オリジナルでは確かにマリアの無茶ぶりが結果的に悲劇となった訳だが、それもまた皮肉な感じでよかったのだがなー。箱入り娘のように兄に守られてきたマリアには喧嘩の本質的なことがわかっていなかったし、本来それを理解しているトニーがついマリアの願いを前に判断を誤らせるあたりもリアルだと思うし。

それに、その後トニーがベルナルドを殺してしまう経緯も、元を正せばマリアが決闘を止めに行かせたという流れがあったからこそ、マリアもトニーひとりを責める事が出来ないという伏線になっていたのではないかな。

 

さて、最もスピ版が致命的にダメだと思ったのが、クールである。

というか、基本的に曲の構成はR&J版と同じなのだが、クールだけは、まったく異なるタイミングでまったく異なる演出によって描かれる。何故そんな改変をしてきたのだ、スピルバーグ。

というのも、クールはWSSの中でもっともカッコイイナンバーで、私は初見、このクールのダンスを観てWSSにはまったので、私にとってWSSはクールあってのWSSってくらい重要なナンバーなのだ。

なのに、スピ版は、あろうことか、トニー主体でリフと銃を奪い合うというつまらないシーンに変えてしまった。

R&J版では、決闘後、気が立つジェット団をナンバー2のアイスが諫め、激しいダンスによって発散するもっとも迫力ある場面なのに(ちなみに舞台版では決闘前なのでリフ主導になっている)、ジェット団数名で銃を奪い合うだけのシーンに変えてしまうなんて。

クールのダンスこそがWSS最大の見せ場と言っても過言ではないのに何してくれるの???

これで、スピ版のWSSの評価は決定的になった。

 

トゥナイト(クインテット)は、WSSでも好きな場面で、ここはスピ版も悪くない。

ただ、教会で浮かれるアニタはちょっとイメージが違うかなー。

そして歌の最後をアニタの映像が飾るのはなんだか違和感。ここはやっぱりR&J版のようにジェット団とシャーク団の映像で締めてほしかった。

 

決闘は塩倉庫。

ちょいちょいオリジナルとは違う設定を加えてくるがなんとなく小手先感。

私はやっぱり高架下の決闘の方が好き。金網のフェンスとか、やっぱりWSSの象徴だと思うし。

塩工場ではWSSらしさを感じない。

床に長い影が映るなどの絵的な部分は悪くはないのだけどねー。

 

アイ・フィール・プリティはマリアの勤め先がブティックではなく百貨店になっているので、そこで展開される。

でも、ブティックの方が演出的には効果的だと個人的には思う。

それでも、華やかな映像とカメラワークで悪くないシーンに仕上がっている。

 

スピルバーグはオリジナル以上にチノの存在をクローズアップしている。

スピ版ではチノはシャーク団ではなくベルナルドの友達という立ち位置。

そして、真面目だけが取り柄のつまらない男感が出ている。

トニーと決闘場で一緒にシャッターを開けたり、そこはかとない交流があるなどのシーンが加えられているが、それが何を意味しているのかいまいちわからん。

 

トニーが決闘後マリアの元へ行くシーンでは、弟のように思っていたリフが殺されたことで思わずベルナルドを刺してしまった経緯を説明するくだりをカットしたので、マリアが兄殺しのトニーをあっさり受け入れたようで違和感がある。

 

サムウェアリタ・モレノが歌う。

スピルバーグの意図は、この歌にこめられた願いは、この物語すべてにかかるものだとしたかったのだろうが、私はここは愛し合うものたちの切なる願いとしてやっぱりトニーとマリアに歌わせて欲しかった。

どうも、スピ版はトニーとマリアに感情移入しにくい。

ある意味白人ドクと結婚したプエルトリコ人のヴァレンティナはマリアの未来の姿とも言えるかもしれないけど、なんていうか、そういう主張がちょいちょいうるさいなーと感じてしまう。

 

アニタが遺体安置所でベルナルドの遺体と面会するシーンはいらないなー。

そんなシーンがなくても、本来ベルナルドを失ったアニタの悲しみは伝わるし、表現がいちいち直接的過ぎるのよ。

 

トニーとマリアのもとに訪れるアニタ。

オリジナルではマリアが部屋の鍵を開けるが、スピ版では普通にアニタがドアを開けて入ってくる。

いや、そこは鍵がかかっていた方が自然と思うが。

 

ア・ボーイ・ライク・ザット/アイ・ハブ・ア・ラヴは悪くない。

R&J版では歌がショートバージョンだが、スピ版では本来のロングバージョンになっている。

概ね文句のないシーンではあるが、最後にアニタとマリアがカメラ目線のアップになる演出はいただけない。

 

さて、ジェット団に入りたがる女性エニボディズはスピ版ではトランスジェンダーに変更。

ここは時代を反映させているとは思うけど、自分的にはやっぱり男世界に憧れる女性の方が良かったような。どうも無理矢理今のご時世をぶっこんできたようにみえてしまう。

エニボディズがアイスに仲間と認められる場面はいい場面なのだが、この後、ジェット団によるアニタレイプ未遂事件が起こる。

いや、確かにこの場面はレイプの暗喩的シーンではあるが、はっきり言葉にしてしまうのはちょっとなーと思う。

少なくともオリジナルでは悪ふざけが高じすぎてという印象だし、いやだから許される行為ではないし、アニタの怒りも十分刺さるのだけど、スピ版はちょっとストレート過ぎるかなー。

そして、R&J版ではアイスはこの暴行の時には不在なのだが(もしいたら、キャラ的に絶対止めていただろう)、ここでは現場に立ち会っているので、その前のエニボディズとアイスのシーンが台無しになったように思う。

舞台版にはアイスは存在しないR&J版のオリジナルキャラだし、スピ版ではアイスの存在はそこまで重要ではないけど、R&J版タッカー・スミス演じるアイスはWSSで一番好きな人物なので、スピ版のアイスの扱いはとにかく残念でならない。

 

ラストの悲劇の流れはR&J版の方が断然いい。

マリアは白いドレスで登場し、大人の女性となったことで深紅のドレスを身にまとうあたりがわかりやすい。

スピ版のように紺ではインパクトが薄い。というか、そこは既に喪を象徴しているのかもしれないが、赤の方が私は好き。

ここでマリアはトゥナイトを歌う訳だが、これはオリジナル通りサムウェアの方がよかった。

起こった悲劇に居合わせるジェット団、シャーク団の人数も少ないし、巡査や警部が居合わせないのもなんだか物足りない。

マリアの嘆きの前に、やっと和解の兆候を見せるジェット団、シャーク団の歩み寄る演出もR&J版の方が良かった。

スピ版はただの予定調和にみえる。

そして、その流れに何故か妙にクローズアップされるチノ。この当て馬男にスピルバーグは何か思い入れでもあるのか?

もしかして、スピルバーグはメインのふたりより片思いのさえない男の方に自分を投影して感情移入してるのかなー。

 

全体にズーンとくる重さがあるもののそこに微かな希望を感じるR&J版

それに対してスピ版はどうも残る物が少ないなー。

 

ということで、そりゃー映像の綺麗さや、お金かかってる感のあるセットなど、スピ版の方が豪華にみえるし、R&J版は古くささは否めないが、それでも私はやっぱりR&J版の方が好きである。

もしWSSをまだ観たことない人にはR&J版の方を先に観てと泣いてすがりたい気分。

 

どうせリメイクするなら、R&J版を完コピしつつ、映像や演出やダンスシーンをグレードアップするか、年代を現代に置き換えてマイケル・ジャクソンBADBEAT ITくらいアレンジしちゃうかどっちかにしてくれればいいのに、変なマイナーチェンジを加えた中途半端な作品という印象で、やっぱスピルバーグはWSSのなんたるかがわかっていなかったのかなーなんて思ってしまうね。

ということで、自分的にはこのリメイクはなしかな。