黒沢清監督の映画ってちょっと苦手なんだけど、何故かちょいちょい観る頻度が高いんですよ。

なんだかんだ役所広司をずっと起用してた時期があるんで、その流れで観ちゃうんですよねー。

 

で、私が今まで観た黒沢清監督作品の中でも、これは結構好きです。

なんといっても役所さんのひとり二役がねー、とっても良かったのよねー。

役所さんも楽しげに演じてる気がしましたよ。

 

研究一筋で、真面目で、社会性があり、いつもフラストレーションを溜めているような男、早崎と、一方、どこかお気楽で自分の欲望に忠実で、暴力行為も厭わないドッペルゲンガー早崎の演じ分けが絶妙で、さすがは役所さんだなーってその演技力にしびれました。

こういう役所さんの演技を観られたというだけで私は幸せな気分です。

 

スプリットスクリーン技法も面白く(ちょっと見辛い時もあるけど)、同じ俳優を同画面で見せる技術も自然に出来ていてとても良かったです。

 

とにかく中盤まではすごく楽しかったのですが、後半からはいつものさんって感じの映画でした。

ただ、最後がいつもよりライトというか、結局『CURE』同様、癒やしの話しはのかもしれないけど、なんだか可愛らしい終わり方で、好印象です。

 

 

ネタばれ

 

ドッペルゲンガーは限界まで押さえつけられた自我や欲望が開放される物語と言う感じで、最初に登場した永作博美の弟も、己の欲望に忠実なドッペルゲンガーを前にそれまでの自分を自殺という形で放棄し、ドッペルゲンガーとしての自分が生きる道を選ぶ。

早崎もまた、最終的には自分を葬り、ドッペルゲンガーとしての自分が生きることになったように見える。

ちなみに途中で明確に早崎が死亡し、ドッペルゲンガーと入れ替わるシーンがあったようだが、黒沢氏はそこをカットしたらしい。

私はドッペルゲンガーがいずれは自分たちはひとつになると予告したように、早崎はドッペルゲンガーと一体化したのだと思っていた。早崎はずっと社会の為にロボットを作ることが自分の目的だと信じてきたが、実は金と女を欲していたという自分の欲望に忠実な道を選ぶ。最後のロボットの自殺は、早崎自身の作られた願望の死でもあったのかもしれない。

それまでがなんだか殺伐としてるのだが、あっけらかんと金と女を手にして楽しげに去って行く早崎と永作博美のラストカットは不思議とこちらを明るい気分にさせる。なんだかわらかないけど「これでいいのだ」バカボンのパパ気分になるのだ。

そういう意味で今までにない突き抜けた明るさがあるのが良い。まあ、よく考えると身も蓋もないお話ではあるのだけどね。

 

最初は、またさんは役所さんに鬱屈した男の役をふったのかと思ったが、ドッペルゲンガーの陽気な役所さんを観られてよかった。

早崎が最初の方でちょいちょい自分っぽい姿を見てしまう薄気味悪い演出も良かったし、とうとう目の前にドッペルゲンガーが現れてあっ!となって目を閉じる役所さんの演技もよかった。

そこからいつのまにかドッペルゲンガーの存在を本人のみならず誰もが受け入れて共生していく様も奇妙で面白かった。

ドッペルゲンガーのちょいワルな雰囲気もすごく魅力的だった。

役所広司ファンにはたまらん役所祭りだったなー。

 

ユースケ・サンタマリアもいい味だしてたし、途中から怖い感じに豹変するのもよかった。

永作博美が何故早崎に惚れ込んでいったのかがちょっとわからんかったけど、ま、いっかって感じ。

 

正直もっと早崎とドッペルゲンガーのやりとりを観たかったのだけど、途中でドッペルゲンガーが葬られ、ロボット争奪戦みたいな展開になったのは残念ではあった。

まあ、さんお得意のこういう訳分からん混沌とした展開が今回はまあまあはまった感じではあるかなー。

黒沢作品の中でも珍しくDVDが欲しいって思ったよ。

まあ、ひとえに役所さんの魅力あっての話しだけどね。