『魔界探偵ゴーゴリII 魔女の呪いと妖怪ヴィーの召喚』の流れで再見。
邦題がひどすぎてとてつもない駄目映画感を醸し出していますが、作品はファンタジックでいい感じです。1967年の作品ですが手作り感ある特撮にぬくもりを感じます。まあ、もはやこの駄目邦題も実際の映画とのギャップで作品のカルト感に拍車をかける意味では効果的かもしれません。
この映画の監督アレクサンドル・プトゥシコはソビエト・アニメーションの初期の重要人物とも言われているようで、私が彼の作品をはじめてみたのが『石の花』でした。というか、今回この映画について調べていたら『石の花』の監督とわかってちょっと興奮しています。『石の花』も綺麗な映画で、ロシア映画ってアーティスティックだなーと私の中のロシア映画の評価を高めた作品でした。今回やっぱり彼の作品好きだなーと再認識。
実写でありながらこの監督はアニメーションから出発しているので画作りが絵のような美しさがあるんですよね。レトロな色彩もよく、絵本のような趣があります。
『魔界探偵ゴーゴリII 魔女の呪いと妖怪ヴィーの召喚』でも説明しましたが、これはニコライ・ゴーゴリの中編小説『ミルゴラド』を原作にしています。原作未読なんですが、他の方のレビューを読むと原作に忠実な作品のようです。
映画を観ているといろいろ謎の部分があって、私も原作読んでみたいんですよね。原作読んでも謎が解明されるかはわかりませんが。
ホラーと言うジャンルにもくくられるようですが、まったく怖くはないです。
ウクライナののほほんとした牧歌的空気と主人公のおとぼけ感に、日本語吹き替えのまぬけっぽい声がより拍車をかけて、終始コメディ調で、ホラーが苦手な人でも安心して観られる作品です。
自分はあえてこの作品はファンタジージャンルに分類するけど、あえて言うならホラーファンタジーかなー。いずれにせよ好きな分野です。
ネタばれ
まず、娘が魔女だったのか、魔女が娘に化けているのか謎。
どこぞの金持ち貴族の娘っぽいけど、その娘に魔女が取り憑いていたと言うことなのか???
たまたま泊まった家が魔女の家で、何故か3人いる神学生のうち、ホマという神学生だけが目をつけられる。でもって空中散歩を余儀なくされるけど、なんとか振り払って魔女を殴ってその場を立ち去る。
魔女は美女の姿に変わり、呆気なく死亡したようで。
でも、神学生に復讐すべく彼を呼び寄せ、ホマは三日三晩祈祷を命じられる。この三日ってシチュエーションもいいね。
逃げたくても、「立ち上がれないほど鞭打つぞ!」と脅されていやいや祈祷をするも、夜になると魔女が起き上がり次々攻撃を仕掛けてくる。二日目にして恐怖で髪が真っ白になるホマ。
で、誰にもその事実を伝えないまま、やけくそになっているのか突然コサックダンスはじめちゃったり、深刻なようで深刻にならない。このあたりのホマの心理状態も小説だともっと理解出来るのかな。
ちなみに娘の姿になった魔女(ナターリア・ヴァルレイ)は大変美しく眼福ある。神聖な輪の中に入れずにひたすら主人公のまわりをぐるぐるまわったり、棺桶で攻撃してきたりと、このあたりの特撮もよく出来ている。
三日目にしていよいよ魑魅魍魎総出演で主人公を攻撃。これまたストップモーションアニメの手作り感がよい。そして満を持して親玉ヴィーが登場するのだが、粘土細工の出来損ないみたいなゆるい姿に一気に脱力感。いい意味で意外性のあるラスボス。
この怪物はゴーゴリのオリジナルという話しもあるし、東スラヴ神話の怪物であるという話もある。ヴィーの瞼は自分で開けることが出来ず、誰かに持ち上げられなければならないという不便さ。でもその目が開くと、観た者を確実に殺せるだけじゃなく、村や都市を破壊することも出来るらしいので、かなり強力な怪物のようだ。でも、やっぱりメタボっぽい体系といい見た目は全然怖くないのね。
結局ヴィーの出現によって神聖な輪の効力が失われ主人公は魑魅魍魎に殺される訳で、魔女も老婆の姿に戻り、教会は廃墟と化す。魔女は自分を殴った神学生がよほど許せなかったのだなー。
で、エピローグで「あいつは災難だったな」と暢気に話す他の神学生の姿で締めくくられる。
よく考えると怖いお話だし物語は不条理感あるけど、なんとなく後味は悪くなく非常に不思議なテイストの映画である。
誰かの感想で、この魔女が主人公にとってファム・ファタールだったんじゃないかという解釈があって、なるほど、言われてみればまさにこれはファム・ファタール映画ではないかという気がした。