多少ネタバレあり。

 

『TENET』の流れから『インセプション』『インターステラー』を再見するという密かなノーラン祭り決行。

『インセプション』についてはこのブログで既に感想を書いているので、今回は『インターステラー』の感想を書くことにする。

 

『インターステラー』は公開当時に映画館で観たのだが、前半眠ってしまったのと、後半、壮大に風呂敷を広げて箱庭的なオチに帰結する『コンタクト』的な内容にちょっとがっかりした印象。まあ、それもそのはず、この映画の前提が『コンタクト』の原作者カール・セーガンとノーランが知人同士であることと、映画『コンタクト』のプローデューサーと理論物理学者によって考案されている訳で、どことなく『コンタクト』との共通点を感じるのもその為だろう。

今回前半ははじめて観る映画みたいな気分で鑑賞。この映画はワームホールに入ってからが面白いので、前半見損ねても大きな支障ではないのだが、それでも、改めて観ると前回観た時よりも悪くない印象となった。

特にこの映画の見所はワームホールやブラックホールが科学考証的にかなり正確に描かれている点にある。

そのあたりの映像的見応えはあったし、リアリティある未知の世界に踏み込む楽しさを味わえる。

 

また最初の構想にはなかった、水の惑星での時間の流れに違いなどは『インセプション』同様実に面白かった。自分的にはこの設定がすごく好きだったりする。この映画で一番好きなエピソードと言っていいし、なんだったらこのシーンだけ何度も観たい感じ。

 

氷の惑星において置いてきぼりジミーちゃんによるサスペンスも農場の火事やら、ジミーちゃんとの対決やら、相変わらず平行に描くことによって、無理矢理緊張感を盛り上げる演出健在。

 

やはり、ワームホール、ブラックホールという壮大な話しになりながら、結局地球に時空が繋がるあたりに非現実感が伴ってしまうのと、この種のSFにありがちな風呂敷広げて結局自分の家の本棚に収まるあたりが自分的には気に入らないのだけど、まあ、今回はそれもまたありかなーという柔軟性を覚えた。

勿論、もっとぶっとんだ人知を越えた広がりを見せてくれるSFを期待したいのだが、そもそもこの映画の主題はそこじゃないし、突き詰めれば「人は皆ひとりでは〜、生きてゆけないものだから〜」という中村雅俊の歌が思い出されるのである。

孤独でも平気と思っていても、人はやっぱりどこかで人を求めるものなのかしらねー。

娘との絆、ヒロインへの愛情など、最後はなんとなくロマンティックにまとめたね。

 

宇宙描写が『2001年宇宙の旅』を思い出す感じと、なんとも言えない虚無感みたいな感じが『惑星ソラリス』を思い出す。