ということでこちらもプライムにあったので見比べてみました。
これって東宝対松竹でもあるんですねー。
岡本喜八版にくらべるとやや評価が悪いようですが、私はそう悪くはないかなーという感じです。
喜八版では描かれなかった部分を描いているので、補完する意味では良いと思います。自分は喜八版を観た後、自分でいろいろ調べて補完したので、そういう意味では原田版の方が各登場人物の動きをわかりやすく描いていると思います。
天皇、鈴木首相、阿南陸軍大臣、畑中健二少佐と登場人物を絞ってフォーカスを合わせているので、そのあたりは終戦に至る経緯を知らない者にとっても見やすいと言う感じで。
でも、何か物足りないというか、印象が薄いんですよ。見終わった後さらっと流れてあっと言う間に内容を忘れてしまいそうというか。
喜八版はここ近年の邦画観賞では『八甲田山』を見た時以来の衝撃というか、しばらく頭を離れそうにないんですが、原田版の方はそこまで残らない感じ。
やっぱり、作品の熱量とか、迫力とか、緊迫感、緊張感が足りないというか、製作がまだ戦後を色濃く引きずっている時代と、そうではない時代の差なのかなーという感じはありますね。
その当時の空気、リアリティがやっぱりもうひとつ足りないのかもしれません。役所広司が何かのインタビューで言ってましたが、顔立ちもね、やっぱり昔の俳優の方が当時の日本人顔をしていると言う点でも、リアリティがあるんですよね。
山崎努も役所広司も素晴らしい俳優だし、ひけはとらないと思うのですが、作品全体のトーンが喜八版のインパクトに及ばずと言う感じです。
ただ、原田版の方が東條英機をはじめ、実在の人物にビジュアル的にも寄せているようには感じられます。役所広司も本来顔立ちは阿南陸軍大臣とは違っているのですが、でも、時々本物の阿南と似ているように感じるのです。
天本英世が強烈なインパクトを残す佐々木武雄も、実際は小肥りな人で、むしろビジュアル的には松山ケンイチの方が近いように思われますが、でも、見た目はともかく、演技としては天本さんは佐々木武雄をよく表現していたようです。
畑中健二少佐は当時33歳という意味では、松坂桃李はちょっと若すぎるイメージはありましたね。軍人としての頑なな信念に凝り固まった青年将校の雰囲気は出ていたと思います。ちなみに畑中健二少佐を写真で見ると割とひょうひょうとした雰囲気なんですね。
そして、喜八版では控えめに描かれていた昭和天皇を、本木雅弘がどう演じるかも見所でしたが、結構はまっていました。ただ、天皇と東條英機のやりとりで、本当にサザエの会話はあったのだろうかと調べたら、監督によると東條が殻を失えば中身が死ぬと言ったような発言をしたのは事実のようですが、それに対して天皇がどう答えたかは不明のようです。ただしナポレオンについての発言は別のところでされているようで、そこに天皇の考え方を反映したのでしょうね。
天皇像に関してはちょいちょいフィクション的描写が見られ、少々ウェットに描きすぎている感があるので、そういう意味では喜八版の方が天皇の行動に静かに感じ入るものがありました。原田版の方が少々天皇をよき人として強調し過ぎかなという感じです。
ちなみに喜八版には登場しなかった東條英機は、原田版ではのっけから登場という活躍ぶり。冒頭鈴木首相に軍人ではないものが首相になると軍がソッポを向く的な発言をしたのは事実ですが、天皇の支持を失い、退陣してからは、自宅に隠棲していたようなので、陸軍将校たちをあじる場面はフィクションのようです。あの場の「勤皇には狭義と広義二種類がある」云々の発言はかつてされたもののようで、広島長崎投下後も戦争継続にこだわっていたことは手記からも明らかなので、潜在的に軍の将校たちに影響を与えているということを示唆していると思われます。
そういう意味では、あの場にフィクションとして登場させたのは畑中健二少佐のクーデターの動機をわかりやすく見せる意図があるのでしょうね。
カラー映画という点で、桜などの美しい描写もあり、ビジュアル的にはきれいな出来だと思います。
岡本喜八は撮影に際して可能な限り事実に基づいた描写を行うことを意識したようですが、原田版は監督が喜八版で感じた不満を解消すべくまた別のアプローチを試みているようです。
そういうアプローチの違いははっきりと伝わってきました。
ネタばれ
喜八版は、タイトル通りポツダム宣言受託から玉音放送が放送されるまでの一日に集約されているが、原田版は内閣発足時からの経緯を描いているので、この内閣がどういう意図をもち、人選を行ったかがわかりやすい。
鈴木首相や阿南陸軍大臣の家族を描くことで人となりもわかりやすくなっている。
それだけ人物への感情移入しやすい描き方にもかかわらず、終戦をやり遂げた鈴木首相や、身を挺して自害する阿南の描写が感動に至らず、やけに淡泊に感じられるのが不思議だ。
ちなみに自害を前にしても陽気に酒を酌み交わす阿南の精神力の強さには驚かされる。私ならきっと何も喉を通らなくなってしまいそう。
阿南の死後、夫人が駆けつけたというのは事実だろうか。あそこは泣き所とは思うのに、やっぱり涙腺にはこなかったな。