アマプラで再見。
言うまでもない、貴志祐介衝撃のデビュー作を森田芳光監督による映画化。
(余談ですが、実は私も角川の日本ホラー小説大賞に短編部門で応募したことがあるのですが、『黒い家』を読んだ時、「これは自分には無理だ」と思って諦めましたね。まあ、正解だったと思います。)
はじめてこの映画を観た時は、ちょっと「これじゃない」感はあったし、内野聖陽の怯え演技が尋常じゃなくて、別の意味で面白い映画だなーと思ったけれど、やっぱり小説で読んだときのような恐怖感には至らない感じだった。
大竹しのぶの怪演もさすがだなーとは思うけど、でもやっぱり小説を読んだ時に感じたイメージとは違うんだな。
なんかちょっとお洒落すぎるかなーというか。もっと普通のおばさんがよかったような。
全体的にはどことなく不快感を感じる演出はよく、そう悪くない出来とは思うのだけどね。
ただ、もう少し原作に忠実なバージョンの映画を見て見たいという気持ちはあるね。
ネタばれ
映画独自の設定として大竹しのぶ演じる菰田幸子はボーリングが趣味となっている。
小説の時も思ったけど、大の男が女性ひとりに怯えすぎというか、不意を突かれて襲われたならともかく、腕力的には本来有利なはずなので、主犯がわかった時点でそこまで恐れることはないのではという気がしてきてしまう。
そのあたりの疑問をボーリングで鍛えた腕力を持っているということで補強したのかな?
また、多くの人の笑いをとった「乳しゃぶれ!」も、原作にはないのに菰田幸子を性欲の強い女性として描くことに何か意味があるのかなーという疑問を覚える。
このあたりは何かしらサービス的な感覚なのか、サイコパスは性欲に突出しているという監督自身の見解があるのかはよくわからない。
個人的にはこの物語のピークは、主人公が恋人を助けに菰田幸子の家に訪れるところにあると思うので、その後菰田幸子が主人公の会社に訪れるあたりはちょっとやり過ぎというか、非現実感が伴ってくるんだけど、ここではもう菰田幸子はホラー映画に出てくるジェイソンとかフレディのような人外の存在と化してしまって、それまでの保険金絡みのリアリティある怖さが一変してしまうのがちょっと残念なところでもある。
大体消化器ぶっかけられても咳き込みひとつせずに襲いかかってくるなんてまるでB級映画の怪物ではないか。
あくまでモンスターではなく、人間でありながら心がないというサイコパス的怖さが、普通のモンスター映画に成り下がってしまうのはちょっと違うかなーと思う。まあ、これは小説もそういう流れなのでしょうがない部分ではあるし、映画的にももうひと盛り上がり欲しいのはわかるんだけどね。
主人公が菰田幸子の家に訪れた際も、慌ててたとはいえ、武器ひとつ携えず、また、幸子が家に戻った際も怯えてただ隠れるだけと言うのも、なんとも不思議な感じはした。玄関で待ち構えて何かで殴りつけるとか、他に手の打ちようもありそうなのに、主人公びびりすぎだろう。
まあ、元極道だった男がいともあっさり殺されているのを見たらびびるのもわかるけど、にしてもやっぱり女性ひとりに大の男がおたおたしすぎな感じがしてしまう。でもまあ、気が動転すると人の行動はあんなもんなのかなー? 主人公とてつもなくへたれだし。
ちなみに元極道の男を小林薫が演じるのもちょっと違う気が。なんか小林薫ってどことなく優しげな雰囲気あって、そこまですごみを覚えないんだな。彼がどうして菰田幸子にあっさり捕まって殺されたのかは映画からはよくわからない。映画では幸子が色仕掛けをしかけるような雰囲気はあったけど、そんなことにひっかかるような男にも見えなかったがねー。
(ちなみに映画では死体が見つかる描写であっさり終わるけど、小説ではトラウマ級のかなり悲惨な殺され方をされている)