久しぶりにプライムで再見しましたけどね、やっぱりこれはデビッド・クローネンバーグの初期の大傑作だと思うんですよ。

実に奇想。しびれますね。


ネタばれ

自分の怒りを目に見えて形にする。まずここが素晴らしい。人間の身体はストレスで病気になったりもするが、そもそも心の疾患は形として見えないから、他人には理解されにくい。それが、肉体的変異によってはっきりわかる形になる。さらにそれが推し進められ、肉体から分離され生みの親の抑圧された怒りを発散する役目を果たすという、実に素晴らしいアイディア。

虐待は親から子、子からまたその子へと連鎖する。本人が無自覚のまま、怒りが暴走するという手に負えない状況は恐ろしいと同時にただひたすら悲しみを覚える。

この映画の製作中に子供の親権をめぐって離婚協議中だったクローネンバーグは「妻を絞め殺したい」と公言していたが、それを映画の中でまんま実行する。これはまさに彼の怒りの形の映画。勿論彼個人のフラストレーションを発散させるだけだったら傑作とはなり得ないところを、きちんと妻の背景も描いているところがバランスのとれた物語となっている。この映画において決して妻もただの悪役ではなく、トラウマを抱えて生きる気の毒な存在なのだ。

 

得たいのしれないブルードによって次々と起こる殺人は割と地味な展開だが、祖母にしても祖父にしても悪い人にはみえないというか、祖父に関しては妻を失った悲しさが伝わってきて胸が痛かった。学校の先生も謂われのない嫉妬によって犠牲になる様が気の毒。

主人公が娘を助けるために妻をなだめるクライマックスから一気に物語のテンションがあがる。彼女の感情が高まるにつれ、ブルードたちの怒りのボルテージがあがっていく緊張感。妻を演じるサマンサ・エッガーの演技も狂気に満ちていて怖い(ちなみに今更ながらサマンサ・エッガーって『コレクター』のヒロインだったのね。ザ・ブルードの彼女の演技があまりに怖かったので、あのヒロインと同一人物とはまったく気がつかなかったよ)。

この夫婦のやりとりは最高の見せ場。

完全に怪物と化した妻が最後に夫に自分を殺すように挑発するあたりも悲しい。本人にも抑制出来ない感情の暴走は死ぬ以外の選択しかなかったのかもしれない。これは『ザ・フライ』のラストにも通じる悲しさ。クローネンバーグの初期の作品では異形は破滅する以外に道がないのだ。

妻もまた誰かを傷つけたかった訳ではなく、夫を、娘を、愛し愛される関係を望んでいたと思うのだが、彼女が求めれば求めるほどまわりを傷つけてしまう。救いのない悪循環だ。

 

夫婦が争う中で一番悲しい思いをしているのが子供であることもクローネンバーグはちゃんと描いている。

子供の抑圧された悲しみが、肉体に涙と共に表れるラストは染みる。

 

精神科医のもとに集まる患者たちの姿もなにげに悲しい。父親の愛に飢え、精神科医にも見捨てられ、行き場を失った患者はその後どうなったのだろう。

新治療によって肉体に副作用が起こるという伏線も良く出来ていた。リンパに癌が発症した患者が『スキャナーズ』でアーティストを演じたロバート・シルヴァーマンが演じているところも味噌だね。

自分の分身が自分の代行者となるというのは、ファンタジーな感じもあるが、クローネンバーグはあくまでサイエンスティックに、リアリティのある描き方をするのが面白いと思う。

 

ここからクローネンバーグ映画には欠かせない存在となるハワード・ショアのスコアも終始悲しみを盛り上げる。