『死霊のえじき(Day of the Dead)』から20年の歳月が流れ、新たにはじまったジョージ・A・ロメロのオブ・ザ・デッド新三部作の第一作目。
あまたのゾンビファンが期待と興奮に胸を高鳴らせたものでしたが、それだけに私の中では大きな失望となった作品でもありました。
というのも、かつてのどこかドキュメントタッチを思わせるゾンビの作風がなりを潜め、映像的にも洗練されて普通の映画っぽくなってしまったこと。日常の延長線上にあったゾンビが飛躍した未来で寓話的な作品に変わってしまったこと。言うなればまるで『マッドマックス2』のような世界観がゾンビにはなじめなかったのです。
虐げられる人々の象徴として怒れるゾンビビッグダディの登場が、これまでゾンビ映画に期待していたテイストをすっかり粉砕してしまったのです。走るゾンビに抵抗のある私は、ロメロののろのろゾンビ、無感情のゾンビに怖さを感じていたのですが、感情と知恵を身につけた『死霊のえじき』のバブの進化版みたいなゾンビは一気に怖さが半減してしまいます。というかそれは質の違う怖さなんですよね。だったらゾンビじゃなくても食人族でもいいんじゃないかという。
そこを受け入れられないまま違和感をひきずって見続けたので、私の中ではこれから始まる新三部作への期待値は一気に下落しました。
俳優もこれまでの無名俳優を使うことで醸し出されるリアリティが、ジョン・レグイザモ、サイモン・ベイカー、アーシア・アルジェント、デニス・ホッパー、サイモン・ペグ&エドガー・ライト(笑)と割と知られた俳優を使うことで、余計に「らしくない」感覚を覚えるのです。
ネタばれ
まあ、でも、改めて見直すと、これはこれで面白い点もあります。
花火に見とれるゾンビとか、水を移動するゾンビとか、首の皮一枚で繋がったゾンビとか(頭がないと思ったらぱくっと頭が現れる演出はびっくりです)、キャッシャーの物陰に密かに潜むゾンビとか、自殺した死体がゾンビに変化する様とか、要所要所面白いアイディアが見られます。
ゴアシーンも2000年代に入った割には頑張っていました。ただ、かつてのゾンビ三部作で感じた寒々とした後味はなく、残酷だけどあっさりした印象ですね。ようするにほとんど後を引かない感じ。
あれほどゾンビに脅かされる世界で、ホッパーの住むマンションがよく建設出来たなーという不思議もあります。
登場人物でいえば主人公ライリーはヒーロー然し過ぎていて人間味があまり感じられないし、彼を守るチャーリーなどは結構キャラ立ちしているのに、主人公との関係が設定だけで終わった感じはあります。アーシアもキャラ立ちしてたけど、やっぱり主人公との中途半端な恋愛エピソードで昇華仕切れてない感じ。
もしかして新三部作は全部ライリー、チャーリー、アーシア演じるスラックをメインに描くのかと思ったら、そういう訳でもなかったですしね。旧三部作にみられるようなメインのキャラクターの魅力がいまいち新三部作では不足している印象ですね。
その代わりジョン・レグイザモが主人公たちを喰う勢いで目立っています。
彼が自分を裏切ったホッパーにゾンビと化して復讐に向かうのは印象深いです。
ちなみに旧三部作に対してゾンビに噛まれてゾンビ化するまで僅か4時間という設定の違いが見られます。
(『ゾンビ』のロジャーが噛まれてからゾンビ化するまでもう少し時間かかってましたものね)
ロメロのゾンビシリーズと思わなければこれはこれでありかなと思えるようにはなりましたが、でも、旧三部作にはやはり及ばない作品という評価になってしまいますね。
そうそう、トム・サヴィーニが『ゾンビ』と同じキャラでゾンビ化して現れるファンサービスは良かったですね。