ネタばれあり

 

角川映画が続いております。

大林宣彦監督追悼って訳でもないのだけど、primeにあったのでなんとなく観てしまいました。

この原田知世に悩殺された男性が多かったようですが、当時私はあまり原田知世が好きではなく、可愛いという感覚もあまりありませんでした。でも、これが大林宣彦が理想とする架空の少女像だとするならば、男性の心に響く何かがあるのでしょう。

勿論、今観ると、「まあ、かわいいかなー」と言う気はします。まさにレトロで純な乙女って感じですものね。

 

地震においての人形の描写とか、火事の帰り道に誰かに口を塞がれる原田知世とか、ちょいちょいホラーっぽい演出が入るのが謎なのと、エンドロールで原田知世が主題歌を歌いながら各シーンに登場する演出などは気恥ずかしいものがありますし、後半のタイムリープのしょぼい合成映像もかなり残念感はありますが、それはともかく尾道三部作と言われるように、尾道の風景は非常にノスタルジックで魅力的に撮られています。

 

筒井康隆の原作も非常に人気で何度もドラマ、映画などになっていますが、お話自体は私はそれほど面白いとは思わないのですよね。ただ、このなんともいえない甘酸っぱい切なさが良いのでしょうか。

深町くんがあの時代にタイムリープして、和子と五郎の記憶をすり替えなければ和子は五郎に恋してたのかなーと思うと、なかなか罪深い男ですよ。大人になった和子は記憶を失っても深町に恋し続けているので、五郎からの誘いも断っちゃう訳ですしねー。そういう意味ではふたりの運命を狂わせちゃったように思います。

記憶のないまま再会したふたりだけど、どこかでかすかに互いを覚えているようでもあり、案外ここから再び恋がはじまるのか、すれ違って終わるのか、ラストの解釈もいろいろありそうですね。

 

今回この映画を見直して、深町が住み着く息子夫婦と孫を失った老夫婦が一番かわいそうな気がしてしまいました。深町が一時的に存在してたことで、祖母はその後もいもしない孫のものを買い続ける。そして、この先子供も孫もいないまま、ふたりで老いていくしかない、自分たちの軌跡を子孫へと託せないふたりが痛々しく刺さります。もっと言えば最後はどちらかがひとりになる可能性もある訳ですから、なんだかすごく切ないです。

映画的にはメインとは言えないこの老夫婦の描写を大林監督は何故こんなに丁寧に描いたのでしょうね。

なんだか気持ち的にはこの老夫婦の悲しさに全部もってかれた感ありますよ。

 

※追記

深町が五郎の記憶をすり替えたことで、和子は深町に恋をしたと解釈したが、そもそも最初に深町が登場した時から、和子は深町に惹かれているようにも感じる。

五郎は優しい男だが、女心にはいまいち無頓着だし、あまりに現実的すぎる相手だが、深町はミステリアスで、どことなく女心を解する雰囲気があり、ある種女性が夢見る男性という感じもする。

実際未来人という非現実感もあって、まさに空想の恋人っぽい。だから、記憶がすべて偽りであったと知っても和子の深町への思いはゆるがなかった。既に記憶など関係ない次元で和子は恋に恋したのである。

そう、和子は「これは愛なの?」と言っていたが、まさにそれは「恋」であると思う。

大人になってもその夢の恋人を無意識に思い続けている和子はもしかしてこじらせ女子かもしれない。