ラジー賞と呼び声高い映画『キャッツ』を見ました!(笑)
公開前から聞こえてくる海外の酷評の嵐に、「監督も『レ・ミゼラブル』の映画化で成功したトム・フーパーだし、キャストも豪華だし、あれだけロングランヒットのミュージカルを映画化して、そこまで酷評を受けるって、いったいどうしたらそんなことになるの?」と逆に楽しみにしてました。
私は劇団四季の『キャッツ』は2回観てるんですが、実はいまいちぴんとこない作品なんですよ。
回転式の舞台や、都会のゴミ捨て場をイメージした舞台セット、そして1981年初演のミュージカルなのに今も斬新と思えるキャッツメイク。とにかく舞台美術は素晴らしいと思います。
でも、肝心の曲が、OPとメモリー以外はアンドルー・ロイド・ウェバーにしてはキャッチーな曲が少ないというか、少なくとも私の耳にはあまり残らないのですよねー。気に入ったミュージカルはサントラを買って何度も聴くのですが、キャッツはそこまでに至らないというか、基本アンドルーのスコアは大好きなのに、このミュージカルはいまいちのれませんでした。
さらに、ストーリーがねー、ただただ猫たちの自己紹介を延々観るだけで物語性が殆ど無いので、なんとなく退屈になってきちゃうんです。もともとT・S・エリオットによる詩集「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」が原作なんで、物語性が薄いのはしょうがないとして、個々の猫たちのエピソードもそれほど面白いと思えないもので、毎度中盤あたりで睡魔に襲われちゃうし、二度観てるけど作品の印象が殆ど無い有様なんです。これは猫版『コーラスライン』とも言われていますが、言い得て妙ですね(『コーラスライン』も最初は物語性がなくてつまらないと思ったけれど何度も観ている内に結構好きになりましたが)。
じゃあ、キャッツの良さってなんだろうと思うと、やっぱりダンスパフォーマスなんですかね。確かに数あるミュージカルの中でもダンスのレベルが高く見せ場が多い作品ではあります。
とにかくキャッツ自体はロングランの人気作なので、私のあずかり知らぬ魅力があるのか、単純に自分の好みのミュージカルではなかったんでしょうね。
とまあ、このようにそもそもの舞台の『キャッツ』の評価がそれほど高くない私なので、映画もさほど期待はしてなかったし、見た結果そこまで酷評するほどひどいかな?と言う気分ではあります。多少の改変はありますが、殆ど舞台版の流れにはそってますしね。
ヴィクトリアを狂言回しに添えることで、物語性のない物語に入り込みやすくなっているし、映画用に足された新曲も悪くなかったです。ヴィクトリア演じる英国ロイヤルバレエ団出身のフランチェスカ ・ヘイワードの動きはさすがに美しく、バレエと猫は相性が良いと思います。
テイラー・スウィフト演じるボンバルリーナや、 イアン・マッケランの劇場猫ガスもはまってたし、最近『ジョジョ・ラビット』にも出演とご活躍の レベル・ウィルソンも『ピッチ・パーフェクト』の時からやや下品なイメージなんですが、その下品さを強みにしたかのようにはまっておりました。
舞台版は殆ど記憶にない中でも、マンゴジェリーとランペルティーザの泥棒猫コンビや、鉄道猫スキンブルシャンクスなんかは印象に残っているし、このあたりのシーンは面白く、特に鉄道猫のタップシーンは良かったです。
マキャヴィティも毛皮のコートを脱いだ後の体つきは黒豹みたいで格好よかったです。
そういえば長老猫オールド・デュトロノミーを演じたジュディ・デンチはキャッツの初演時にグリザベラを演じる予定だったらしいですねー。映画版でグリザベラをやらなかったのは、やっぱり高齢過ぎてもうメモリーは歌えなかったかしら。長老を女性が演じるのはちょっと新鮮でしたね。これもありだなと。
ちなみに酷評の大部分が、猫人間のデザインにあったようですが、これに関しては確かに可愛いのか不気味なのか微妙だなーという気分ではあります。でも、ぴくぴく動く猫耳はすごく可愛かったですよ。ええ、とっても。もし人間が猫のような耳と尻尾を持っていたら、今よりもっと平和な世の中になるんじゃないかって気が致します。
そして特に不評だった猫毛などは、ちょっとなでなでしたくなるような質感がありました。問題はそこまで猫っぽさをリアルに再現しながら、顔だけまんま人間ってところでしょうかね。顔の部分ももうちょっと舞台のキャッツメイクに寄せてもよかったんじゃないかと思います。個人的には中途半端に猫化するくらいなら、むしろ舞台版の衣装そのままにやって欲しかったですね。
人間ネズミや人間Gに関しては、これはちょっとやり過ぎというか、そういうところが不評の原因じゃないのかって思ってしまいましたね。
演出面で残念なのは、このミュージカルで一番印象的な猫ミストフェリーズのア・ラ・セゴンド・トゥール(32回転)がないこと。
映画版のミストフェリーズはなんだか自信なさげで頼りない感じ。そこがかわいいと言う説もあったりなかったり。
そして、この映画で致命的とも言えるのはグリザベラ演じるジェニファー・ハドソンですね。これはもう私の目にはミスキャストに思えましたよ。舞台を観た時、ただ、各猫たちの自己紹介の羅列にいささか退屈さを覚えてたのに、メモリーでいきなり涙腺に来たんですよね。グリザベラの背景って殆ど語られないのですが、この一曲だけで彼女の人生(猫生?)が一気に伝わってくるというか、
それがねー、ジェニファー・ハドソンだと強過ぎちゃうですよ。主張しすぎちゃうっていうか。彼女はソウルフルな歌声で、それはそれで胸に迫るものがあるんですが、メモリーはそうじゃないというか、切々と歌い上げ、心にしみこんでくるような、琴線に触れるというか、そういうデリケートなイメージなんだけど、ハドソンは『ドリームガールズ』さながらに「私は不幸な人生だったのよー!どすこい!」と訴えすぎてるように感じちゃったんですよね。もっと老いたるものの黄昏とか哀切とか、そういうものを表現出来る人にして欲しかったなーっと。
ジェニファー・ハドソンのぶつぶつした歌い方も気になっちゃいましたね。なんかぶつぶつと切る歌い方をされると気持ちが分断されて乗りきれないというか。勿論本来ジェニファー・ハドソンの歌声は素晴らしいと思いますけど、この役にははまってなかったなーっと。
なんで、このミュージカルの一番の見せ場であるメモリーが、私的には残念な出来だったので、猫人間の不気味さとか以前の問題とは思いました。
とはいえ、やはりそこまで酷評される映画なのかーというか、確かにものすごく良い出来とは言いがたいけど、まったくダメとも言えないかなーという感じではあります。
そもそも『キャッツ』自体映画化が難しい作品だと思いますしね。舞台ではファンタジーとして許される場面も、実写でリアルに描かれた世界では茶番にもうつる所がありますし。
それにしても映画『キャッツ』の興行的失敗で、ミュージカル映画がますます作られなくなるのではないかと心配です。
『ウィキッド』の映画化の話しもどうなったのやらですねー。
追記
映画のキャッツは捨て猫がジェリクルキャッツ教の信者たちに勧誘されてるようにも見え、天井に昇るアイテムを具体化したせいで、実は教祖である長老は人減らし(猫減らし)の為に毎年一匹の猫を天井に昇れるとだまして気球に乗せ殺していたようにも感じて、実はすごく怖い話だったんじゃないかと思える。気球に乗った猫たちはいずれ落下して死んでるのかなーと思うと嫌な話よねー。