原爆投下から8年後に製作され、原爆を体験した人も含めて約8万8500人の広島市民がエキストラとして参加した映画で、諸事情からいくつかのシーンをカットするように要請されたが、応じなかった為に大手配給会社から公開を拒否され、小規模公開になったと言うある意味幻の作品。原爆投下からわずか8年なので、原爆ドームをはじめロケを行った広島市内にはまだまだ原爆の傷跡が生々しい雰囲気で、戦後の広島の光景としても貴重なフィルム。
最後に広島市内を行進する群衆描写はすごかった。
モノクロ映像もあって原爆投下後の惨状はドキュメンタリーのようなリアルさがある。おかげで観ている内にどんどん苦しい気持ちになった。
原爆の惨状というとやっぱり『はだしのゲン』のインパクトがかなり大きいのだが、そういう意味では火傷等の描写は控えめな印象。『はだしのゲン』で一番衝撃を受けたのは、やはり火傷で皮がはがれてそれが爪の部分で止まってたれさがっている描写だが、実際の被爆者の写真でも、映画でもそのような描写を観たことがない。ただ、実際体験した人の文章や惨状を描いた絵を観るとそういう描写もあるので、事実は事実なのだろう。
そういう意味ではこの映画でも惨状を描ききったとは言えないかもしれないが、それでも当時の地獄絵図は伝わってくる。
『はだしのゲン』でもあったが、瓦礫の下敷きになって身動き出来ない人が生きながら焼け死ぬ描写がつらい。その恐怖に自分ならパニックになるだろうと思うのだが、最後まで子供の事をたくしながら死んで行く母親はすごいと思う。川に逃げて力尽きる人、ろくな治療も受けられないまま、痛みと苦しみの中で横たわる人。どれも味わいたくない体験ばかり。
こんな地獄のなかで死んで行った人の苦しみや、生き残った人の苦しみ、すべてが重く、ああ、この世はなんと怖いところだろうと改めて思う。そして自分はなんと幸せな時代を生きているのだろうと(とはいえ平和な時代にあっても人生時に悲惨なことは起こりえるのだけど…)。
勿論、この先のことはわからない。また同じ悲劇が繰り返されない保証もない。でも、この映画を観るとノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキの言葉通り、二度と起こって欲しくないと祈る気持ちを強くする。
この作品、残念なのは出演者が皆標準語なところ。やっぱり広島弁じゃないと雰囲気でないよー。