昔観たジュディ・ガーランドの『スタア誕生』と同じタイトルだなーと思ったが、まさかリメイクとは思わなかった。
というか、
1937年 ジャネット・ゲイナーとフレドリック・マーチ主演版、
1954年 ジュディ・ガーランド、ジェームズ・メイソン主演版、
1976年 バーブラ・ストライサンド、クリス・クリストファーソン主演版、
と今回四度目の映画化だったのね。
ジュディ・ガーランド版しか観たことなかったけど、あれは最後で二度号泣したなー。
今回はまあまあというか、泣くには至らず、いや、そもそもストーリーが何度も観たいと思わせる内容でもないので、歌はいいけどねーというところで終了。
どうも私はブラッドリー・クーパー好きじゃないんだなー。ケビン・コスナーも好きじゃなかったけど、同じ臭いを感じる。
ガガ様の演技は意外に悪くなかったけどね。でも、別に特別ガガファンでもないので、あまりのれなかった。
ネタばれ
ジュディ・ガーランド版では夫が自殺して、悲しみにくれる彼女に「彼は自分が駄目になったけど、君まで駄目にはしなかった。君と言う宝が守ったんだ(かなりうろ覚え)」みたいな台詞を言うところが泣けたなー。
そして最後の台詞「私はノーマン・メインの妻です」にはほんま泣いたわー。
なんだろう、ジュディ・ガーランド版の方が台詞は刺さるものが多かったような。
今回はジャクソンの兄(サム・エリオット素敵に年をとってるなー)がアリーを慰めるのに「君や僕が悪いんじゃない。悪いとしたらジャクソン自身だ」みたいな台詞を言うんだけど、なんかぴんとこなかった。
いやいや、悪いとしたらあのレズって言うマネージャーだろう!
(そもそも誰が悪いって話し?)
というか、ジュディ・ガーランド版のノーマンの滑落っぷりはジャクソンの非じゃないというか、本当にすべて空っぽになって救いようがない所にあったように思うんだけど、ジャクソンはまだそこまでじゃないというか、救いがありそうな感じがあったので、「そこで死ぬ!?」という感じはあるんだけど、そういう意味では13歳に自殺未遂しただけあって、ずっと満たされない心の空洞があったってことなんかねー。ただ、描写が足りない内に自殺しちゃった感あるから、なんやねんって思うの。グラミー賞で失禁しちゃうのはちょっと強烈だったけどね。
難聴もちゃんと補聴器つけて進行を食い止めればいいのに何故しない?って思うけど、自分の声しか聞こえなくなるのがそんなに嫌だったのかな。それはミュージシャンとして致命的なこと? それともそもそも破滅型だったのかなー。
あのマネージャーごときの言葉で自殺しちゃうというのは(実際にアリーが自分に気を遣っていることを実感しちゃったのもあるけど)、そういう意味ではやっぱり悪いと言わないまでも彼自身に問題があったとも言えるのだけど、それにしても、今後もアリーがあのマネージャーのもとで仕事を続けると思うと溜飲さがらんわー。ある意味あのマネージャーの思惑通りになったって話しだし、最後の追悼ライブも、嫌な見方をしちゃうとそれをネタにあのマネージャーが美味い汁を吸っているようにも見えるしね。
ヒット中の『シャロウ』は良い曲だと思うけど、結構最初の段階で歌うので曲としての盛り上がりのピークが案外早かった。あんなぶっつけ本番でいきなり歌えちゃうというのは映画的ファンタジーだねー。
まあ、自分だったら自分の好きなミュージシャンのライブに行って、そのミュージシャンの彼女が自分の知らない曲をラス曲で歌われたら、どんなに上手でも微妙な気持ちになるだろうな。
アリーがなんだかんだマネージャーの言いなりで、最初は拒否していたイメチェンやダンスも結局は受け入れ、今風のポップスになっていくあたりは、ガガのセルフパロディっぽくも見える。
そもそもいつの時代の話しなんだろうと思ってたんだけど、携帯電話もあるから割と最近のお話って設定なのよね(最初は70年代後半、80年代初頭の話しかと思った)?
今でもカントリー歌手ってそこまで人気があるのかしら。アリーをコンサートに招待するのに自家用ジェット飛ばしたり、かなりはぶりがいいのねー。あのあたりのシンデレラストーリーは夢のようで、でもある意味、アリーがジャクソンの運気をすべて奪い去ったようにも見えるね。
いや、アリーがいなくてもジャクソンはきっと駄目になっていたのだろうけど、ふっとそんな風にも思えるお話でした。