公開前から楽しみにしてたのに、なかなか観られなくてやっと観られましたよ。
評判いいし、まわりの知人が次々とこの映画を観た報告をする中で出遅れ感半端無し。
“胸アツ”応援上映で観たのでよりライブ感があって、ライブエイドのシーンはなんだか泣きそうな気分に。
クイーンが成功するまでのストーリーがもうひとつカタルシスに欠けるし、全体にきれいにまとめ過ぎって言うか、クイーンの名曲と、俳優のくりそつっぷりと、再現力に助けられている映画という気もするけど、何故ゲイはゲイを見抜けるのだろう、フレディのメアリーに対する思いはなんなんだろう…とあんまり関係ないところがひっかかる映画でした。
あと、ボヘミアン・ラプソディの曲は全部やって欲しかったな~。
『ハイランダー悪魔の戦士』の挿入歌『Who Want to Live Forever』があの場面でかかるとは。はまりすぎですよ。
ネタばれ
映画は映画で事実ではないし(ノンフィクションだって作り手の意図が入るし)、物語の都合上時系列などフィクションの部分も大きくなるのはしょうがないとして、俳優がくりそつに演じるほどに、ライブがリアルに再現されるほどに、「でもこれは事実ではない」というどこか冷めた視点になってしまうので、こういう伝記映画にはいまいち入り込めない部分がある。
ファンとしてはこれを鵜呑みにされたくないと思うのは当然だろうし、実際、こっちも後からいろいろ調べるとあまりに事実と違い過ぎて、なまじっか事実っぽく描いているだけに質が悪いという気もする。
ボヘミアン・ラプソディが出来る流れも実際とはやっぱり違うようで、そこまで違っちゃうともう何も信じられない気分。クイーンという存在を使ったフィクションって割り切るしかないのかな。
まあ、これでクイーンに興味を持った人が各自で調べてくださいって話しかもしれないしね。
今回も、フレディとメアリーの関係はなんだったのだろうかと考える上で事実を調べてみたが、フレディがメアリーと別れた原因は彼の浮気であり、フレディは自分をバイだと言っていたが、メアリーはゲイだと限定する。とはいえ実際メアリーと別れた後もフレディは女性と交際しているし、やっぱりバイだったんじゃないのかな?と思うのだが。
もしフレディがゲイならメアリーの関係は男女間を超えたものがあって興味深いのだが、バイであるならばそのあたりは微妙。いずれにせよ、性愛を超えた繋がりがあったのだろうが。
また、ジム・ハットンは、フレディからHIV感染していたようであり、それでも献身的にフレデを看取ったと言う意味ではまさに最後の恋人と言える相手だが、時間軸を変えたことで、フレディは自分がエイズと知った上でジムとつきあうことにしたという、まるで故意にエイズをうつしたみたいになっちゃったのはいかがなものか。
この映画はアーティストの孤独と人との繋がりについて描いた映画という感じで、フレディの父親との確執、クイーンのメンバーとの確執、そしてメアリーとの確執などを経て、ファミリーとしての真の結束がバンドエイドですべてが昇華するという非常にエンタメな作りになっている。それは映画的には正しいのかもしれないが、なんだか何度も見てきた物語という印象で物足りない気もする。
苦労して何かを立ち上げ、成功をつかんだことで主人公が慢心し、仲間や家族を裏切って単独行動に走ったのち自分にとって何が大事か気づいて元サヤに収まるというストーリーはほんまテンプレっていうか、『グレイテスト・ショーマン』といい全部これ。
これまでフレディが何系なんて考えたことがなかったが、漠然とイタリア系みたいに思ってたんで、インド系(ペルシャ系?)とは意外だった。言われてみればそんな感じもするけど。