未知の存在との書記言語によるコミュニケーションの過程は非常に面白かった。

言語により思考が影響されるというのは、私も最近強く感じていて、わかりやすく言えば、英語と日本語では結論が先にくるのか、後にくるのかという文法の違いが思考過程に大きく影響を及ぼしているように思う。

それを究極に推し進めたのがこの物語という感じ。

 

しかし、やっぱりこの種のSF映画って規模が大きい割には矮小化するんだなー。

予告の段階から、『コンタクト』『インターステラー』と同じ臭いを感じたのだけど、宇宙や世界という大規模なお話でありながら、結局最後は自分の庭に帰結する感じが自分にはどうもつまらない。

 

この種のSFはいつも未知との遭遇という題材にわくわくするのだが、結局未知のものに対する人間の想像力の限界を感じる。

 

それにしてもこの映画における中国の影響力はすごい。

日本なんて北海道が出てきただけで影薄い。でも北海道が取り上げられるのは珍しいのでちょっと嬉しい。

 

 

ネタばれ

ヘプタポッドのデザインが、H.G.ウェルズのタコ型に似ていて、古典的な宇宙人像だなーと思った。

宇宙人の言語を知ることで時間軸をも超えられるというのはぶっとび過ぎな気もするが、アイディアは面白い。

 

過去に娘が死んだとミスリードしつつ、実は未来の出来事だったというのは途中から気づくし、その相手がジェレミー・レナーというのもすぐにわかることなので、最後の最後までエイミー・アダムスの夫の姿を見せないのは引っ張り過ぎな気がした。

 

この映画は、世界が宇宙人のメッセージを解読するために団結することで平和となり人類が存続出来るというわかりやすい、非常にわかりやすいメッセージもさることながら、一種のタイムトラベル、タイムパラドックスの亜流でもあり、悲しい結末がわかっていてもその選択をするべきか否かという問題も描かれている。

 

ただ、メッセージ解読による世界の平和と、主人公の結末がわかった上での人生の選択というテーマが噛み合っていないように感じて、テーマが二分化しているように思える。