ほら、無神論者に子供が影響されるとこんな恐ろしいことが起こるんですよと言わんばかりの作品です。

『回転』の前日談ですが、『回転』では兄妹に対して、こちらは姉弟、そして『回転』では新しい家庭教師がくる際に兄は全寮制の学校にいて不在だったという点を考えれば微妙につながらないお話です。

それでも『回転』の理解の助けにはなるかもしれません。
というか、『回転』の一解釈という方が正しいでしょうか。
ただ、こういうのは、語りすぎても、語らなすぎても、なんというかさじ加減が難しい気がいたします。
『回転』の時はよくわからないというフラストレーションは確かにあったんですが、しかしそのわからないところが不気味さでもあったように思うので、ここまで何があったかはっきりわかると言うのは、少々野暮な気もいたします。

ただ、あくまでこれ単体として見るならば、『悪の種子』とか『悪を呼ぶ少年』とか、子供の無邪気さがもたらす怖さみたいなジャンルとしての面白さはあると思います。

両親の死亡、引き取り手の叔父の無関心、隔絶されたお屋敷で愛情に飢える子供たちが、等身大にかまってくれるクイントに魅了され、彼と女教師との関係に擬似的両親を見ていたのかなーと思うと、ふたりが死して尚永遠であると信じたかったのかなーと思わせるものがありますね。

それにしてもこれまで『ゴッドファーザー』以降の晩年のマーロン・ブランドばかり見ていた私ですが、こんなにセクシーな人とは知りませんでした。
若い頃の彼の写真を見ましたが内側からぎらぎら感漂う、かなり肉食系な感じですね。

ステファニー・ビーチャムの肉体がこれまたぼよんぼよんでエロっぽく、教師であり教養のある女が、無学で粗野な下男との愛欲におぼれ、SMに興じるなんて、典型的な官能小説みたいですね。