ネタばれします。
私は『エクソシスト』という作品を一番好きなホラー映画と位置づけている。
多分『エクソシスト』について語り出したら止まらないほど面倒な奴になるだろう。
また、『エクソシスト』のみならず、その後のシリーズも気に入っている。
唯一『エクソシスト ビギニング』だけはこのシリーズとは認めない。
原作者ブラッティが関わっているという意味では『エクソシスト』の正統な続編は『エクソシスト3』と言えるのかもしれない。
しかし、ジョン・ブアマン監督の『エクソシスト2』はそのあまりの独自性に、例え『エクソシスト』の正統な続編とは言えなくても、独立した面白さを持っていると思う。
『エクソシスト2』で驚かされるのは、まず、リンダ・ブレアの成長っぷりだろう。
パート1ではまだ少女に過ぎなかったリンダが僅か4年の月日でここまでむっちりした女性に成長するとは、アメリカ人の発育の良さは驚異である。
そして彼女が住むマンションのバルコニーがあまりに危険な作りであることも、高所恐怖症にとっては驚異だ。夢遊病の気があるリーガンにあんな作りのバルコニーではいつか転落死するのは必至!
もうひとつ高所恐怖症を震撼とさせるのが、ラモント神父が訪れる崖の上の正教会。
実際アフリカにあんな教会が存在するのかと調べると、どうやらこれはエチオピア正教会と思われるもので、エチオピアにはこうした崖上の正教会が多く点在しているらしい。
何故、エチオピア正教会がこのような風変わりな場所に教会を設けているのかと言うと、エチオピアはイスラム教国に囲まれているようで、キリスト信者は異教徒から襲撃を防ぐために教会を隠すような場所に建てたということらしいのである。
実際、教会に行くにはロッククライミング並に岩壁をよじ登らなければならないようで、映画のように転落して死亡する者もあると言うのだから、信仰も楽ではない。
そんな異国情緒溢れた世界にイナゴの背に乗って飛ぶというファンタジックな表現が非常に楽しい。
大いなる善に悪が引き寄せられるというのも非常に哲学的だ。
アフリカの宗教儀式のようなエンニオ・モリコーネのスコアも素晴らしい。
ところどころ挿入されるセンチメンタルな音楽もやけに扇情的で泣けてくる。
私はコクモがラモントに針のテストをし、倒れたラモントがイナゴの研究室にいるというシークエンスがとても好きだ。かつてイナゴを追い払う能力を持った少年が今はイナゴの研究家という、ファンタジーとリアルの境界が実に見事。
続いてコクモが語る良いイナゴの話は何故か泣きそうになり、流れるモリコーネの曲に不思議な感動さえ覚える素晴らしいシーンだ。
この一点だけを観てもこの映画は高評価されても良いとさえ思う。
脳波をシンクロさせるというテレパシック的な装置というアイディアもSF仕立てで面白い。
この物語は一人の人間の善悪の葛藤を象徴的に描いた作品であり、リーガンの葛藤とは、実は淑女であるか悪女であるかという部分だったりする。
悪女というのはわかりやすく性的になまめかしい。神父でさえその魅力に誘惑されむしゃぶりつきたくなるのだが、そうした悪女の誘惑に勝ち、滅ぼすことで、残ったのは聖なる乙女ということになる。
リーガンは最初から白い服を着ていることが多いのだが、悪女に対して善なるリーガンは処女性を感じさせる。そして彼女が聖なる乙女になるということは、男が女の誘惑に打ち勝つことでもあるらしい。
まあ、こうした性欲的な部分を抑圧するというのはいかにもキリスト教らしい考えとも言えるかも。
昨今のDVDはディレクターズカット版が多く、劇場公開版がないのが残念だ。
いろいろ追加されたシーンは私にとって不要であり、何よりラストが私は劇場版の方が気に入っているし、感動的だった。
神父とリーガンは一体どこに旅だっていたのだろう。
その後良いイナゴは増えているのだろうか。
世界は今だ羽のすりあわせによる狂気が続いている。