好きな作家は?と尋ねられたら「ドストエフスキー!」と答えるほど、高校の時にはまっていたんですよね。
彼の作品は短編、中編、長編と翻訳されたものは大部分は読んだつもりでしたが、この映画の原作となった「二重人格」は未読です。
てんかんもちのドストエフスキーは病的な心理状態を書かせたら天下一品だし、『カラマーゾフの兄弟』でも次男のイワンが自分と対話する場面なんかが出てくるし、二重人格という題材はお手の物という感じがいたしますが、映画の方は殆どドストエフスキーらしさを感じるものではありませんでした。
まあ、イギリス映画だし、舞台はイギリス(?)みたいだし、テレビがブラウン管だったりするんで時代も60年代くらいなんですかね。原作とは舞台設定から異なってるんだろうし、かなり脚色されているのでしょう。
ちょっと『未来世紀ブラジル』みたいなレトロ感覚の未来にも見えます。
出だしは主人公の鈍臭さにちょっと苛々します。まあ、それは狙いでしょうけど。
やがて『裏窓』的展開になり、自殺を目撃するところまでは面白かったです。
で、彼とは正反対の分身が現れてからは、割とありがちな展開になり、殆ど分身というよりドッペルゲンガー みたいな存在だなーと思えてきて、ああいう結末になるのもむべなるかなという感じで。
あくまで、自己の存在を見失いつつある主人公の内的世界なので、主人公と同じ存在がふたりいるというのに、まわりの反応がとてもふわっとしていて、終始夢の中のお話のようなんですね。なんで解決しようのない悪夢の中にいるようで息苦しいのです。
これって、まんま二重人格の人の脳内世界なのかもしれないですけど、それが面白いかというと例によって微妙なんですよね。多分私はひとりの内的世界を主観で描いた映画が苦手なのかもしれません。
そういう訳でこの作品、それなりに期待してたんのですが、それほどツボに来なかったです。
BGMが坂本九の「上を向いて歩こう」など、日本の昭和歌謡だったり、ちょっと妙な感覚に陥る感じが面白いかな~。
主人公がジェシー・アイゼンバーグに似てるなーと思っていたら本人でした。何故気づかない…。
ミア・ワシコウスカは相変わらず不思議な存在感でした。
配役は悪くないんですけどね。